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【インタビュー】躍進のいわきFCを支え続ける陰の功労者、浜を照らし続けるサポーターたちの姿を追う

  • 2025.2.13
【インタビュー】躍進のいわきFCを支え続ける陰の功労者、浜を照らし続けるサポーターたちの姿を追う
【インタビュー】躍進のいわきFCを支え続ける陰の功労者、浜を照らし続けるサポーターたちの姿を追う

Text by 高橋アオ

これまで怒とうの勢いでJリーグへとたどり着いたJ2いわきFCは、2015年12月に一般社団法人いわきスポーツクラブからクラブの運営権利を譲り受けてから10年目となった。

新体制となってから「いわき市を東北一の都市にする」「日本のフィジカルスタンダードを変える」というスローガンを掲げ、地域リーグからすさまじい勢いで上へ、上へと駆け上がった。

最先端のフィジカルトレーニングメソッド、充実した環境、優れた企画力を有するクラブスタッフ、選手の成長を伸ばす現場スタッフ、そして潜在能力に優れた選手たちの活躍が結実して新体制移行から6年目でJリーグ参入を果たした。

【インタビュー】躍進のいわきFCを支え続ける陰の功労者、浜を照らし続けるサポーターたちの姿を追う
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ただクラブの繁栄を支えた人間はチーム関係者だけではない。クラブを支え続けてきた陰の功労者であるサポーターたちにスポットライトを当てた。

(取材・構成・写真 高橋アオ)

選手も大切にする『浜を照らす光であれ』を作った男

いわきFCを2016年から応援する浜のチンピラさん(愛称)は、これまで多くの横断幕を手掛けてきた。いわきFCの陰の仕掛け人と呼ばれるほどの斬新な横断幕を世に送り出してきた浜のチンピラさんは2016年1月の新聞記事に掲載された地元いわきにサッカークラブを発足する記事を読んで「大興奮しました」と歓喜した。

これまでサッカーの応援といえば、子どもが出場する試合の応援しか経験がなかったため、応援のコミュニティは選手の親同士の間だけだったという。「地元にクラブができることで応援の括りがオープンになるじゃないですか。応援するコミュニティがすごく広がる可能性に大興奮しましたね」と当時を感慨深そうに振り返った。

看板塗装を生業とする浜のチンピラさんは、開幕戦に合わせて横断幕作りに取り掛かったという。「始まる前から1枚作っていたんですよね。(チームスローガンの)『WALK TO THE DREAM』に『together』とつけた横断幕を作ったんですよ」と明かした。

【インタビュー】躍進のいわきFCを支え続ける陰の功労者、浜を照らし続けるサポーターたちの姿を追う
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陰の仕掛け人と呼ばれる浜のチンピラさんはその後も多数の横断幕をデザイン、制作してサポーターだけでなく、チーム関係者も目を引く大作をゴール裏に掲げてきた。チームの知名度を上げる広報活動も地道に行っていた浜のチンピラさんはチームののぼり旗を独自で制作し、いわき市内の商店に掲出するなどして盛り上げに貢献した。

その中で、チーム関係者だけでなく選手たちも口にするあの言葉の生みの親となった。あるサポーターから「いわきFCはいわきだけじゃなくて、浜通り地方のチームじゃないですか。浜通り全体をテーマとする横断幕を作ってほしい」という話が出て、新横断幕の制作に取り掛かった。だが「自分の中で(そのテーマは)ハードルが高くて、これって思うワードが浮かばなくて中々作れなかったんですよ」と難航したという。

横断幕制作に思い悩む中、若手サポーターの中島さんが『BE THE LIGHT』というゲートフラッグを作っていたことに着想を得て、「光だなと思って、浜と灯台が思い浮かんで、灯台が導き照らす光のような存在になってほしい」と思いを込めて『浜を照らす光であれ』という言葉とともに、灯台の光で浜通り地方の都市名を照らす横断幕を製作した。

【インタビュー】躍進のいわきFCを支え続ける陰の功労者、浜を照らし続けるサポーターたちの姿を追う
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ただ横断幕ができた当初はいいものができたという手応えがなかったというが、チームの代表である大倉智(さとし)代表取締役が横断幕を見て「これだよな。俺たちが存在する価値はこういうことだよな」と絶賛したという。それからサポーターだけではなく、選手たちにも『浜を照らす光であれ』という言葉が浸透し、クラブにとって掛け替えのない言葉となった。

昨季も新たな大横断幕を手掛けた。いわきといえば大型温水プール、温泉、ホテルを経営する大型レジャー施設『スパリゾートハワイアンズ』やいわきを舞台とした町おこしをテーマとする映画『フラガール』が有名だ。浜のチンピラさんは映画に登場するヒロインの兄である炭鉱夫(演・豊川悦司)と実在するフラダンサーをモデルにした2種類の横断幕を制作。豊川悦司さんからも許可を得て、スタジアムのスコアボード上に掲げた。

【インタビュー】躍進のいわきFCを支え続ける陰の功労者、浜を照らし続けるサポーターたちの姿を追う
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巨大な横断幕を見た他クラブサポーターたちは「これはいわきって感じだよね」「こんな立派な横断幕を作るなんてすごすぎる」と感嘆する声が多かった。浜のチンピラさんは「熱狂空間、日常とは異なった空間を演出するお手伝いをこれからも続けたい」と、今後も「あっ」といわせる素晴らしい横断幕を制作し、熱狂空間の一助となる。

チームの応援を先導するコールリーダー

チームの応援を統率する中心応援団体『Lino La Iwaki』(通称リノラ)のコールリーダーを務める會田(あいた)さんとクラブとの出会いは、意外なきっかけから始まった。高校1年次に競技者としてサッカーに取り組んでいた會田さんは競技指導者を志していたため、地元の中学校で外部コーチとしてサッカーを指導していたという。

【インタビュー】躍進のいわきFCを支え続ける陰の功労者、浜を照らし続けるサポーターたちの姿を追う
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そのため「コーチとしての知識が無かった。地元で勢いがあってプロリーグを目指しているチームがあったので、最初は練習前のアップなどを観に行っていました」と意外な理由でスタジアムへ通っていた。

当然目当てのアップの後には試合が開催され、いわきイレブンたちのフィジカルの強さと身体能力の高さを生かしたサッカーを目の当たりにして「他のJクラブにない戦い方をしていたので惚(ほ)れました」とハートを鷲づかみにされた。

次第に中島さんら応援団体の応援に感化され、「いいなと思っていたので勇気を出して応援団に入りました」とチームを鼓舞する側となった。ただ当時は東北リーグで戦っていたチームを応援しているサポーターの年齢層が高く、中島さんと會田さんしか若者はいなかったという。若くて活気のある二人の応援する位置が次第に後方部から前へ、前へと前進していった。

2021年のJFL最終盤にこれまで太鼓を担当していた中島さんが大学進学のため、県外へと引っ越すことが決まっていた。そのためホーム戦で太鼓を叩ける人材を探していた応援団体は複数のメンバーに太鼓を叩かせて中島さんの後継者を探す中で、會田さんが適任者に選ばれたという。ただこの決定と同時にある重要な大役も任された。

「僕の知らないところで話が進んでいたみたいですけど、チームがJ3に上がったタイミングで『来年はあなたがコールリーダーです』と急に決まりました。最初は太鼓を叩いてリーダーを支えるのかなと思っていたんですけど、断ることはできませんでした」と声援を先導するコールリーダーを任された。

急な決定だったが、「おっしゃ、やってやる!」と気合を入れて大役を引き受けた會田さん。それから身振り、手振りを真似て我武者羅になりながらサポーターが歌うチャント(応援歌)を先導してゴール裏を盛り上げた。

【インタビュー】躍進のいわきFCを支え続ける陰の功労者、浜を照らし続けるサポーターたちの姿を追う
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いわきのゴール裏は老若男女と幅広い世代が多く、応援の統率は容易ではない。サポーターの疲労度を考慮してスローテンポのチャントを入れるタイミングや、攻撃時にはハイテンポの応援歌で盛り上げる。「メリハリの部分は本当に難しい。本当に気を付けながらやっています」とすべての世代が熱狂する空間を作るために気を配っている。

チームのスローガンである『魂の息吹くフットボール』は、いわきイレブンがピッチで体現してきた。泥臭く、激しく、試合終了の笛が鳴り終わるまで走り続ける愚直な姿勢は多くのサポーターの胸を打ってきた。このスローガンは選手だけではなく、サポーターにも浸透している。

「僕らも選手、スタッフと一緒になって観客もあの箱で『魂の息吹くフットボール』を体現しないといけない。非常にいいゴール裏をいま作れていると思っています」と話すように、華やかな応援だけではなく、魂の息吹く鼓舞で選手たちを奮い立たせるエールを送り続けてきた。

そしてサポーターたちの応援する姿とチームスローガンが結実する瞬間があった。昨年6月16日に開催されたJ2第20節ヴァンフォーレ甲府戦で、燃え盛る炎が揺らめくようにチームカラーの赤と青の旗がゴール裏を埋め尽くした。

【インタビュー】躍進のいわきFCを支え続ける陰の功労者、浜を照らし続けるサポーターたちの姿を追う
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サポーターたちが旗を掲げて応援する姿は、いわきでしか見られない唯一無二の光景だった。コールリーダーは「あれを文化にしていきたい。あれだけの旗を導入して、SNSでは『浦和みたいだ』『J参入3年目でこのクオリティを出せるんだ』といろいろな声がありました。これからはいわきといったらあの旗だよねという感じにしていきたいですね」と胸を張る。

独自の応援文化が根付いてきた。応援を通して地元愛が深まったというサポーターの声も多く聞こえてくる。會田さんはチームに「地元をもっと好きになれた存在ですし、きっかけをくれた存在です。これからも浜通りを照らし続けて、浜通りに住むひとたちがいわきFCを誇れる存在になってほしい。県外の人と話しても胸を張って堂々といわきFCがあるよと言えるような存在になってほしいですね」と大きな期待を寄せている。

サポーター団体を統括する中心人物

2016年からチームを応援し続ける中島さんは豊富な応援経験により多くのサポーターから厚い信頼を勝ち得ており、「中島がいるから安心できる」という声も聞こえてくる。トラメガでの声援の先導、太鼓やスネアでの鼓舞、サブコールリーダーとしての振る舞いなど、様々な役回りをこなしている。

【インタビュー】躍進のいわきFCを支え続ける陰の功労者、浜を照らし続けるサポーターたちの姿を追う
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クラブを知ったきっかけは、スタジアムのイメージパースが描かれた記事をLINEニュースで読んだことだった。いわき市にサッカーチームが誕生するというニュースに「プロを目指すクラブができるんだ」と胸を高鳴らせた。

初めてチームを観戦した試合は中学3年の夏、2016年8月14日に開催されたFC東京との『夢に向かってともに歩もうチャリティーマッチ』だった。当時福島県2部のいわきFCは格上相手に0-2で敗戦した。

応援席の端で観ていた中島さんは「トゲがある言い方ですけど、当時の応援がすごくダサいなと感じた」。小学校低学年から首都圏のJリーグクラブのゴール裏で応援していた少年にとって、いわきサポーターのエールに物足りなさを感じたという。

「この応援をなんとかしたいと思いました」と熱い想いを抱いて県リーグ戦に通い始めた。

ただこれまで応援していたチームはプロクラブであり、地域リーグでの応援を成立させる難しさを痛感したという。「当時はJ1のクラブと単純に比べてこのチームの応援はださいと思っていましたけど、生意気というか。若気の至りがありましたね(苦笑)」と振り返った。

2017年当時県1部時代から本格的に試合に顔を出し始め、中島さんは当時ホーム試合会場だったいわきFCフィールド(現在は練習場)へと通い続けた。最初は太鼓を叩く担当となった中島さんは、次第にゴール裏が組織化されていくと2代目コールリーダーの上遠野希心(かとうの・のぞみ)さんらとともにチャントの制作に当たった。

2022年のJ3終盤に声出し応援が解禁されたが、久しぶりの声出し応援を上手く統率できなかった。「このままではいけない」と中島さんを中心にいわきのサポーターズグループ『ARMOURS』(アーマーズ)内のサポーターのエールを先導する中心団体組織としてリノラを2023年に立ち上げた。

新潟の国立大学院生の中島さん、平日は大学院で研究に励み、休日になるといわきに戻ってサポーター活動に精を出している。現在はリノラで「何でも屋をやっています(笑)」と団体の運営や応援の方針など裏方として、日々LINEなどを駆使しながら団体の活動を統括している。

【インタビュー】躍進のいわきFCを支え続ける陰の功労者、浜を照らし続けるサポーターたちの姿を追う
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いわきのゴール裏は幅広い年齢層のサポーターが同居しており、老若男女を問わず歌えるチャントを作らなければならない。

「他の真似事ができない団体が新しいことはできないと個人的に思っています。既に応援として成り立っている洋楽を持ってきて、その曲をどういわきっぽく落とし込むのかにすごく気を遣っています。歌いやすさで選曲することもありますし、あまりいわきオリジナルで原曲を持って来ない意識を持って作っています」

いかに声を出しやすい安心、安全な熱狂空間をどのように作るのかという意識を絶やさず、ゴール裏で熱狂するサポーターの様子を見て、柔軟に対応しながら切れ目のない声援を実現させている。多くの子どもたちがエールを送るゴール裏は、リノラのメンバーは子供たちが退屈しないように時には遊び相手になり、プレゼントを渡すなど、保護者も安心して応援できる環境を作るために尽力している。安心して、安全に応援ができる環境を作るために日夜中島さんはゴール裏で奮闘している。

これまではチームの運営会社のいわきスポーツクラブが主導する形でサポーターや自治体をけん引してきた。近年は「自分たちはクラブに対してまだ何もやってあげられていないと思っていましたけど、最近はクラブが地域に入り込んでくれていることが一番大きいです。地域と一緒に巻き込みながら、サッカー以外の側面でいろんなことをしてくれている。いまは横並びで手を取り合ってやっているので、(サポーターとの)信頼関係がすごく強くなってきています。僕たちもクラブに何かを与えられる側になってきたのかな」と関係性が変わりつつあると明かした。

学生生活は残り1年であり、就職活動も終えた中島さんは後継者を育てようと尽力している。「個人的に引継ぎの期間に入っていると思っています。うぬぼれと言われるかもしれませんが、このまま身を引いてしまったら何もできない団体になってしまうかもしれないと思っている部分があります。いまの僕の立ち位置を引き継げる人を見つけて育てて、僕がいなくてもゴール裏が大丈夫な環境を作っていきたいです」と、クラブとの調整役、団体の統括など多岐に渡るマネジメントをこなせる人材を育てる構えだ。

【インタビュー】躍進のいわきFCを支え続ける陰の功労者、浜を照らし続けるサポーターたちの姿を追う
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人生の半分はいわきFCに尽くしてきた。今後いわきには「Jリーグクラブが60チームある中で、唯一無二のチームになってほしいですね。いわきにしかできない空気感ができつつあります。そういった文化が出来上がりつつあるので、クラブ、サポーター、スタジアムの雰囲気も唯一無二の『これがいわきだよね』という存在になってほしいですね」と笑顔で期待を寄せた。

チームは15日(土)午後2時にジェフユナイテッド千葉をホーム・ハワイアンズスタジアムいわきで迎えてJ2開幕戦に挑む。

これまで地域リーグからJリーグへと破竹の快進撃で駆け上がってきたクラブをサポーターたちは、しっかりと支えながら歩んできた。クラブが常磐の新たな象徴となるために、サポーターたちと共に成長の歩みを着実に進めていく。

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