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【黒柳徹子】私が好きな画家は、対象をよく観察して、深いところまで愛している

  • 2025.2.10
黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第33回】マリー・ローランサン

好きなことを仕事にしたい。好きなことをして、お金をもらうことができたら、どんなに幸せだろう? 誰もが、一度はそんなことを考えたことがあるんじゃないでしょうか。私も、幼い頃は、女スパイに始まり、チンドン屋さん、駅で切符を売る人に憧れましたし、少し大きくなってからは、バレリーナにピアニストに競馬の騎手にオペラ歌手にスイートポテト屋さんなどなど……いろんな「なりたいもの」がありました。私が社会に出て働くようになってもう70年(!)以上の月日が流れましたが、昔に比べたら、いろんな現場で女性の活躍を目にするようになりました。作家だって画家だって、それが女の人だったりすると昔は職業の前に「女流」とついていたものです。「私が出会った美しい人」についてお話しするのに、なぜこんな前置きが長くなったかというと、今回ご紹介するマリー・ローランサンという画家が、プロの画家として初めて成功した女性とされているからなのです。

ローランサンはパリのアカデミー・アンベールという美術学校で学び、その後、キュビスムの創始者とされるジョルジュ・ブラックやパブロ・ピカソなんかが中心となった文化人サークルに紅一点の存在として迎え入れられます。キュビスムっていうのは……私もあまり詳しくはないのですが、日本語では「立体派」っていって、プリズムの中の絵みたいに、いろんな角度から光が差し込んで、一つの顔の中に二つの表情があったりとか、幾何学的な形を用いながら対象を描いていく手法……みたいな説明で、なんとなくわかっていただけるかしら。とにかくそんな手法が、「常識からの解放」みたいに言われて、散々もてはやされていた時代に、ローランサンはキュビスムに全く影響されず、女性をモチーフにした、柔らかい、パステルカラーの絵を好んで描いていたんです。

「なぜ死んだ魚や玉ねぎ、ビールグラスを描かねばならないのでしょう。女の子の方がずっと可愛いのに」

そう言っていたローランサンは、若い頃は、レズビアンの女性と交際していたこともあるようです。だからといって彼女がレズビアンというわけではなく、男性相手に大恋愛をしたこともあれば、ドイツ人男爵と結婚したことで、第一次世界大戦のときはパリを追われたこともあります。戦後、30代後半で離婚を決意してパリに戻ってからは、上流階級の婦人の間では、ローランサンに肖像画を注文することが流行します。そのとき、あのココ・シャネルもローランサンに肖像画を依頼し、その絵は今もパリのオランジュリー美術館に所蔵されています。そのほかにも、クラシックバレエの舞台衣装をデザインしたり、舞台美術に関わったりして、今でいうところの「マルチアーティスト」みたいな活躍ぶりだったようです。

私が最初にローランサンの絵を観たのはいつどこでだったかしら? 日本でだったと思うけれど、当時、ローランサンの絵は、「少女漫画みたい」とか言われて、あまり高く評価されていなかったように思います。でも、私は一目見て、「好きだなぁ」「いいなぁ」って思いました。私が好きな画家って、いわさきちひろさんにしても、堀文子さんにしても、ローランサンにしても、対象をよく観察して、深いところまで愛していると思うんです。ローランサンは、今でいうバイセクシャルだったけれど、だからこそ女性の表面的な美しさだけじゃなく、黒目がちな瞳の奥に潜む謎めいた、どこか神秘的な部分を、さりげなく表現できるんじゃないかしら。

「自分と同じ時代やそれ以前にも女性の画家はもちろんいますが、彼女たちは男性の真似しかしなかった。わたしは男性的なものについてはおじけづいてしまうけれども、女性的なものについては全く自信があるんです」

かつてローランサンは、そんなふうに語っていたといいます。

今はもう閉館してしまったのですが、日本の蓼科に、「マリー・ローランサン美術館」というのがありました。そこの館長さんが、ローランサンのことを「女性の感性によって女性を描いて成功を収めた初めての画家」と評しています。でも、私がローランサンからいちばん影響を受けたのは、自分で絵を描くときかもしれません。パステルの絵の具と、太めのタッチで人物を描くと、あの優雅で、でもどこかシュールな世界観が簡単に真似できちゃうので、おすすめです。

ココ・シャネルの肖像画
※ローランサンが描いたココ・シャネルの肖像画
マリー・ローランサン

1883年フランス・パリ生まれ。美術学校在学中にジョルジュ・ブラックと出会う。彼を介してモンマルトルのアトリエでパブロ・ピカソや詩人のギョーム・アポリネールと交流。やがてローランサンはアポリネールのミューズとなり、2人はアンリ・ルソーの絵画「詩人に霊感を与えるミューズ」のモデルにもなった。アポリネールの代表作である「ミラボー橋」は、彼のローランサンへの思いを歌った詩とされる。1914年にドイツ人男爵と結婚、第一次世界大戦を機にパリを離れる。1920年に離婚を決意して単身パリに戻ってから、「プロ画家」としての地位を確立。1956年逝去。享年72。

─ 今月の審美言 ─

私が好きな画家は、いわさきちひろさんも、ローランサンも、対象をよく観察して、深いところまで愛していると思うんです。

取材・文/菊地陽子 写真提供/アフロ

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