企業は新規事業に必要な資金を銀行から借りる。その資金を銀行はどこから調達するのか。評論家の中野剛志さんは「多くの人は、銀行による『貸付け』というものは、個人や企業が貯蓄のために預けたお金を又貸しすることだと思い込んでいる。しかしそれは、全くの誤りである」という――。
※本稿は、中野剛志『入門 シュンペーター』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
ほとんど知られていないシュンペーターの貨幣論
ジョセフ・シュンペーターの『経済発展の理論』は、イノベーションを「新結合」として理論化したり、イノベーションの担い手としての「企業者」の概念を提示したりしたことで、よく知られています。
その一方で、シュンペーターが『経済発展の理論』の中で、貨幣について極めて重要な議論を行なっていることについては、シュンペーターの専門家以外には、ほとんど知られていません。
しかしながら、シュンペーターの経済発展やイノベーションの理論は、彼の貨幣についての議論を踏まえておかなければ、本当に理解したことにはならないのです。そこで、今回は、『経済発展の理論』における貨幣論について、簡潔に解説し、その現代的な意義について議論したいと思います。
まず、シュンペーターは、経済の類型を「静態的」と「動態的」に分けました。「静態的」な経済は、消費と生産、需要と供給が一致し、均衡・安定している状態を維持している経済です。
「静態的」な経済において、貨幣は、支払手段や交換価値の尺度として使われています。このため、貨幣は、商品の流れとは反対方向に流れています。
「静態的」な経済では、完全な競争の結果、企業の収入と支出(機会費用を含む)の差額である「純利潤」(経済学上の利潤)はゼロになっています。また、需要と供給が均衡しているので、そもそも、消費のために使う量以上に貨幣を貯蓄しておく必要性に乏しいという特徴もあります。
完全な競争状態なら企業に純利潤は存在しない
さて、ある企業者Aが、手織機しかなかった「静態的」な経済において、力織機の導入という「新結合」(既存の物や力をまったく新しい形で組み合わせること。シュンペーターが考えるイノベーションの本質)を行なおうとしたとします。
この場合、企業者Aは、力織機を開発するにせよ購入するにせよ、資金を必要とします。しかし、その資金をどこから調達してくるのでしょうか。企業者Aは、自らの貯蓄から資金を捻出するか、あるいは他の貯蓄を有する企業者から資金を調達してくるのだろう。そう思われるかもしれません。
しかし、「静態的」な経済では、企業には「純利潤」というものがありません。言い換えれば、市場が均衡している状態の経済に存在するのは、利益がわずかしかない中小零細企業ばかりだということです。ということは、新結合を行なうのに必要な資金を捻出できるほどの貯蓄というものは、どこにも存在しないはずです。
「純利潤」のない企業は資金をどう調達すればいいのか
そうだとすると、企業は、何もないところから、新たに貨幣を生み出して、それを元手にして新結合を行なうしかありません。
しかし、誰が、何もないところから貨幣を創造するのでしょうか。それは「銀行」であるというのが、シュンペーターの答えです。銀行とは、貨幣を創造する特殊な機関なのです。
(略)このような支払手段の創造は銀行を中心としておこなわれ、銀行の本来の機能になっていることである。(中略)銀行が自らに対して請求権を作り出すことでおこなう貨幣創造については、旧師アダム・スミスや、より以前の一般的誤りから完全に免れていた理論家たちの著作で読むことができ、今日では、こうした見解は広く知られている(*1)。
シュンペーターは、「銀行家が貨幣を作ると言っても大きな罪にはならないだろう(*2)」とも言っています。
「銀行が自らに対して請求権を作り出すことでおこなう貨幣創造」とは何のことなのか。「銀行家が貨幣を作る」とはどういう意味なのでしょうか。説明しましょう。
無から貨幣を創造するのは「銀行」
多くの人が、銀行による「貸付け」というものは、個人や企業が貯蓄のために預けたお金を又貸しすることだと思い込んでいます。主流派経済学もまた、銀行は個人や企業から預金を集め、その銀行預金を元手にして、貸出し業務を行なっていると想定しています。
例えば、ある主流派経済学の標準的な教科書は、「銀行は、貯蓄をしたい人々から預金を受け入れ、その預金を使って借りたい人々に貸出を提供することを主な業務にしている(*3)」と説明しています。そして、「貯蓄は貸付資金供給の源泉である(*4)」と強調しています。
このような考え方を「貸付資金説」と言います。
ノーベル経済学賞受賞者であるポール・クルーグマンは、「すべての個々の銀行は、預金として受け取った貨幣を貸出さなければならない。銀行の職員は、無から小切手を発行することなどできない(*5)」と明言しています。彼もまた、貸付資金説を信じているのです。
しかし、この貸付資金説は、誤りなのです。実際には、民間銀行は、貸出しによって、預金という貨幣を創造しています。
民間銀行の貸出しには元手が必要ない
民間銀行の貸出しは、預金など元手となる資金を必要としません。民間銀行は、手元に資金がなくても、預金という貨幣を生み出すことができるのです。まさに、文字どおり、「無から」貨幣を創造するというわけです。
これは、「信用創造」あるいは「貨幣創造」と呼ばれています。
預金が貸出しを可能にするのではなく、その反対に、貸出しが貨幣(預金通貨)を創造するのです。そして、債務が返済されると、貨幣は破壊されます。
貸出しが「貨幣創造」であるならば、返済は「貨幣破壊」ということになります。
例えば、甲銀行が、借り手のA社の預金口座に1000万円を振り込む場合、甲銀行は保有する1000万円の現金をA社に渡すのではなく、A社の預金口座に1000万円と記帳するだけです。そして、A社が1000万円の負債を甲銀行に返済すると、預金という貨幣は消滅します。
元手を必要としない銀行の貸し出しに限界はあるのか
もっとも、銀行は手元に元手となる資金がなくても貸出しを行なうことができるからといって、無限に貸出しを行なうことができるというわけではありません。
銀行の貸出し、つまり銀行の貨幣創造には、当然、限界があります。その限界とは、借り手である企業などの返済能力です。債務を履行する能力のない企業などにまで貸出しを行なうことはできません。
ですから、借り手の収入見込みあるいは返済能力が、銀行の貸出しの上限になります。だから、銀行は、融資に当たっては、いわゆる与信審査を厳格に行なっているわけです。逆に言えば、借り手の企業に返済能力がある限り、銀行は、いくらでも貸出しを行ない、貨幣を創造できるのです。
信用創造がイノベーションを生み出す
銀行は、貸出しを通じて、預金という貨幣を無から創造する。この信用創造(貨幣創造)を理解することは、決定的に重要です。
なぜなら、信用創造が大規模な新結合、つまり大規模な新規事業を可能にするからです。そして、それによって、発展しない「静態的」な経済は、発展する「動態的」な経済へと転換するのです。
シュンペーターは、こう述べています。
私たちの考える意味での、信用のただ一つの本質的な機能は、すでに知っているように次の点にある。つまり、信用の供与により、企業者はその必要な生産手段に対する需要を増大させて、それを従来の用途から引き抜き、経済を新しい軌道に乗せることができる。
こうして信用は、財を引き抜く手段となる。さて私たちの第二の命題は、以下の通りである。すなわち、信用が過去の事業の成果や過去の発展によって得られた購買力の貯えから与えられることがなければ、信用はそのつど創造される信用支払手段だけからなるしかない(*6)。
大規模な新規事業を実現に導く銀行の役割
もちろん、企業は、自らの貯蓄や、他人の貯蓄から資金を調達して、新たな事業を行なうこともできるでしょう。しかし、資金調達を貯蓄だけに頼っていたら、大規模な新規事業を行なうことは難しいでしょう。
しかも、貯蓄というのは、シュンペーターも書いているように、過去の事業や過去の発展の成果です。したがって、過去に成功した事業がない場合は貯蓄がなく、新しい事業を行なうことができないということになってしまいます。
しかし、事業に将来の可能性さえあれば、何もないところから、貨幣をいくらでも創造して、それを事業資金として投入することができる、そんな仕組みがあれば大規模な新規事業であっても実現することが可能となるでしょう。
そして、まさに銀行とは、事業に将来の可能性さえあれば、何もないところから、貨幣をいくらでも創造できる機関なのです。
したがって、もし、信用創造を行なう銀行という機関が存在しなければ、新結合(イノベーション)や経済発展は、ほぼ不可能であったでしょう。それゆえ、シュンペーターは、「企業者が王であるとすれば、銀行家は市場の最高監督官である」(*7)と言っています。
*1 J・A・シュンペーター著、八木紀一郎・荒木詳二訳『シュンペーター 経済発展の理論』(初版)(日経BP/日本経済新聞出版本部)2020年、P199
*2 前掲書、P191
*3 N・グレゴリー・マンキュー著、足立英之ほか訳『マンキュー経済学1マクロ編』(第二版)(東洋経済新報社)2005年、P221
*4 前掲書、P230
*5 https://archive.nytimes.com/krugman.blogs.nytimes.com/2012/03/30/banking-mysticism-continued/
*6 シュンペーター(2020,p.207)
*7 シュンペーター(2020,p.191)
中野 剛志(なかの・たけし)
評論家
1996年東京大学教養学部教養学科第三(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)入省。2001年エディンバラ大学より優等修士号(政治理論)、2005年同大学より博士号(政治理論)取得。特許庁制度審議室長、情報技術利用促進課長、ものづくり政策審議室長、大臣官房参事官(グローバル産業担当)等を経て、現職。