Text by 編集部
ドイツ1部のヴェルダー・ブレーメンからFC東京へ完全移籍することが発表されたFW佐藤恵允(けいん)。
昨年のパリ五輪に出場した23歳のアタッカーは、明治大学から直接欧州へ渡りブレーメンの一員になったことで知られる。
同じように、欧州挑戦を経てJリーグへ初参戦した大学サッカー出身選手5名を紹介する。
平山相太
筑波大学→ヘラクレス・アルメロ(オランダ)→FC東京
「大学サッカーからヨーロッパ」という道を選択して最初に話題になったのは平山相太だ。
国見高校時代に選手権で2年連続得点王に。アテネ五輪のアジア最終予選に高校生で唯一選出された稀代の“怪物”は、卒業後の進路が注目されていた。
恩師・小嶺忠敏監督の助言もあり、国内外のオファーを断って2004年4月に筑波大学へ。ただ自身2度目の出場となった2005年ワールドユースで周りとの成長の差を痛感し、急遽大学を休学してオランダのヘラクレス・アルメロと契約した。
オランダでは1年目の2005-06シーズン、8ゴールを記録。しかし新監督に代わった2年目の夏に構想外となりそのまま帰国し、FC東京へ加入。以降再びヨーロッパでプレーすることはなかった。
現在は現役を退き、仙台大学で監督を務めている。
林彰洋
流通経済大学→プリマス・アーガイル(イングランド)→シャルルロワ(ベルギー)→清水エスパルス
槙野智章、安田理大らと同じ“調子乗り”世代で、2007年のU-20ワールドカップで正GKを務めた林彰洋。
流通経済大柏高校では「高校ナンバーワンGK」との評価を受け、流通経済大学に進学後の2007年には大学生でありながらイヴィチャ・オシム監督の日本代表候補に選出された。
190cmを超す日本人離れした体型で期待は大きく、複数のJクラブからオファーを受けた林。しかし本人は海外志向が強く、2009年9月にイングランド・チャンピオンシップのプリマス・アーガイルと契約した。
プリマスでは出番がなく、当時3部だったベルギーのシャルルロワへ移籍するもケガで出場機会は限られた。
2012年には日本へ戻り、清水エスパルスに加入。以降10年以上に渡りJリーグでプレーしており、現在はJ2のベガルタ仙台で守護神となっている。
長澤和輝
専修大学→ケルン(ドイツ)→浦和レッズ
現在、自身2度目の海外挑戦として、オーストラリア・Aリーグのウェリントン・フェニックスでプレーしている長澤和輝。
地元・千葉の八千代高校時代には主将として全国高校サッカー選手権大会に出場し大会優秀選手に。専修大学では全日本大学選手権優勝や関東大学サッカーリーグ戦3連覇を達成した。
大学時代には横浜F・マリノスで特別指定選手に。しかし、ユニバーシアード日本代表のドイツ遠征時に1.FCケルンからスカウトされ、ヨーロッパでプロキャリアを始めた。
ケルンでは大迫勇也ともプレーし存在感を示していたが、大きなケガもあり帰国。浦和レッズへ加入すると、そのまま地元のジェフユナイテッド千葉へ期限付き移籍して活躍をみせた。
渡邊凌磨
早稲田大学→インゴルシュタット(ドイツ)→アルビレックス新潟
浦和レッズで欠かせない存在となっている渡邊凌磨も、大学から直接ヨーロッパへ渡っている。
群馬の強豪である前橋育英高校3年次に高校サッカー選手権で準優勝に輝き、大会優秀選手に。高校卒業後は早稲田大学へ進学した。
ただ高校選抜で渡独した際にドイツのインゴルシュタットからオファーを受けたため、急遽ヨーロッパ行きを決断。入学から間もない2015年9月にインゴルシュタットU-23に加入することが発表された。
ドイツではフィジカルの違いに悩まされ、トップチームでの出場がないまま帰国。アルビレックス新潟、モンテディオ山形、FC東京で着実に成長し、2024年に出身地・埼玉のビッグクラブである浦和へ加入した。
小池裕太
流通経済大学→シント=トロイデン(ベルギー)→鹿島アントラーズ
昨年4月に右膝前十字靭帯断裂から復帰を果たした小池裕太も、プロキャリアの第一歩はヨーロッパだった。
アルビレックス新潟ユース出身だがトップ昇格は果たせず。流通経済大学では全日本大学サッカー選手権大会で優勝するなど屈指の存在となり、「長友佑都以上の選手になる」と評価された。
その後、岡田武史氏から早期のヨーロッパ行きを後押しされたこともあり、サッカー部を退部。2018年夏、日本人に所縁のあるポルティモネンセ、シント=トロイデンという選択肢の中から後者へ加入することが決まった。
ただシントでは1試合も出場できず、1年足らずで鹿島アントラーズへ期限付き移籍。その後、セレッソ大阪、横浜F・マリノスを経て、今季J1連覇中のヴィッセル神戸に加わった。