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自由な創造者、アレッサンドロ・ミケーレが描くヴァレンティノの新たな展望

  • 2025.1.29

1970年代のローマ。子どもだったアレッサンドロ・ミケーレの大好きな遊びのひとつは、母親のクローゼットを漁り、カサカサと衣擦れの音をたてるタフタやキラキラ光るスパンコールなど、昔の華やかな服やアクセサリーを撫で愛でることだった。彼の母は当時、映画制作会社幹部のアシスタントとして働いており、仕事では自分を着飾ることが要求されていた。そんな彼女のクローゼットにあった服の中で、ある1着のガウンが幼いミケーレの想像力をとりわけ引きつけた。それは、ヴァレンティノVALENTINO)らしいクレープデシン生地で作られた、フルレングスのハイネックドレス。まっすぐストンと落ちるシルエットがミケーレにロウソクを思い出させ、全面黒のフロント部分が、ミケーレの母は絶対的にシックだと考えていた。一方、バックには巨大なピンクとライラックの蝶が刺繍されており、変容と儚い美しさを暗示する、エレガントながら破壊的なデザインだ。映画のプレミア用に買った、とミケーレの母は説明したそうだが、後から思い返すと、「『もう今は存在しない世界で着ていたドレスよ』と言われているみたいでした」とミケーレは言う。

そのようにして母のクローゼットを漁っていた子ども時代から40年後。ミケーレはまた新たに漁るべく服の宝庫を手に入れた。それは、2024年春にクリエイティブ・ディレクターに任命された、ヴァレンティノのアーカイブだ。ヴァレンティノの本社オフィスは、ミニャネッリ広場に立つルネサンス後期の宮殿にある。そこでの初日、ミケーレはメゾンの類いまれなアーカイブに夢中になった。そこに収められている服や靴はどれも、威厳と絶妙な軽やかさを湛えるように作られている。2022年の終わりまで約8年間にわたってグッチGUCCI)のクリエイティブ・ディレクターを務めていたミケーレは、グッチでは熟達したキュレーターとして自分を確立。ヴィンテージとボヘミアンを寄せ集めたようなテイストでブランドを再構築し、海外の蚤の市にあるような服や、イタリア貴族のワードローブから出てきたような服を生み出していた。ヴァレンティノのアーカイブを自由に見物し、収蔵されている素晴しい品々の土台を作るノウハウを持った、熟練の技術者たちと触れ合う。ミケーレは、名高い前任者が残したレガシーを実際に手に取り、その価値と重みに触れ、再解釈することで自分の想像力を膨らませるという、かつてない機会を手にしたのだ。

9月のある土曜日の夕方、アーカイブで過ごした初出社日から6カ月弱、ミケーレはパリにいた。ヴァンドーム広場にあるヴァレンティノのオフィスで、翌日午後に発表される、自身初となるヴァレンティノのプレタポルテコレクションの仕上げに追われていたのだった。アクセサリーとフットウェアについては、まだ確定せねばならない部分がいくつかあり、裾の長さやネックラインも最後の調整を必要としていた。かつては大広間だった部屋の端で、ミケーレは椅子に座っている。頭上には金箔仕上げの石膏装飾が施された天井が広がり、あたりにはターバン、メガネ、バッグ、子猫の形をした陶磁器のようなクラッチバッグなど、アクセサリーが所狭しと並べられた長机がいくつも置いてある。隣に座っているのは、制作チームのメンバーたち。後ろから見守っているのは、パートナーであるジョヴァンニ・アッティーリだ。部屋の向こう端、大きな枠付き鏡の前には、さらに巨大な鏡が1枚置かれており、モデルが一人ひとり向かって歩いてくると、服を前と後ろの両方から同時に確認することができる。ルックに一貫性はあるか、破壊力はあるか。ミケーレは子ども時代に虜になった母のドレスの黒と鮮やかな蝶の刺繍に見た、相反する要素のかけ合いのようなものを探している。

雰囲気は穏やかだ。「もうめちゃくちゃです」と、取材はじめにミケーレは冗談を飛ばしたが、「あと少しで終わるので、ちょっとゆっくりできます」と続けた。ミケーレのこの日の出立ちは、ブルーのデニムにブラックウォッチのタータンチェック柄シャツ、赤と白のヴァンズVANS)。髪はまるでカラヴァッジョが描いたキリストのように肩に広がり、それを両サイドにゆるく編んだ三つ編みだけで抑えている。手首にはいくつものブレスレット。連なったカメオ、煌めくディアマンテ、幾重ものバングルが、彼が手直しを入れるたびに、ジャラジャラと重そうに鳴る。モデルたちも、ミケーレの風変わりで豪勢なスタイルに則って着飾られている。「手をポケットに入れて歩いてみて」と、ミケーレはモデルの1人に指示を出す。ナッツブラウンのミモレ丈スカート、ハイネックのブラウス、ファーで縁取られたジャケットと、モデルが纏っているものはすべて、ヴァレンテノのアーカイブにあった同じ柄のシルククローク生地を使用している。そこにゴールドのスパンコールをふんだんにあしらったジョン・レノン風のサングラス、ラッパーがつけていそうな、派手なペンダントが揺れる重厚なゴールドのチェーンネックレスをミケーレは合わせた。「真っ直ぐ立つのは難しい?」と彼はよろめいていた別のモデルに尋ねる。ブラックとゴールドのストラップシューズ、ホワイトのレースタイツ、ラッフル付きのジョーゼットクレポンのネグリジェを身につけ、スパンコールのテディベアを手にしたモデルは、優雅にくつろぐこと以外はできなさそうだ。「立ち止まらない方がよさそうだね」とミケーレは同情した。

また別のモデルが、グレーのハイウエストテーラードパンツと水玉模様のクリーム色のボクシージャケットという、コンサバスタイルを匂わせたルックを着て登場。ジャケットは赤のサテンリボンで留められている。リボンの色は、2008年に引退するまで45年にわたってヴァレンティノを率いた、ヴァレンティノ・ガラヴァーニが数十年前に自分のシンボルカラーにした同じ赤だ。白いドット刺繍がアクセントの繊細なブラックメッシュのグローブを合わせたルックは清楚だが、大ぶりなディアマンテのノーズリング、ビジューが煌めく三日月形のリップリングといった、パンキッシュなジュエリーが外しを効かせている。モデルのハート型の顔とブラウンのロングヘアを見て、イザベル・アジャーニに似ていると誰かが言う。途端に、周りにいた人たちが騒ぎ始め、次から次へとアジャーニをグーグル検索し始める。似ていると言われた当の本人はというと、頬を赤らめ、リップリングが取れてしまうほど大きな笑みを見せた。

真髄たるヴァレンティノ・レッド<br /> 創業者が愛した、メゾンのシンボルカラーのレッド。その色褪せない魅力は、かけがえがのない風情を生む。
創業者が愛した、メゾンのシンボルカラーのレッド。その色褪せない魅力は、かけがえがのない風情を生む。

数時間かけてチームは着々と作業を進め、ミケーレは夕方に薄くスライスされたプロシュットの盛り合わせでエネルギー補給。「疲れた?」と、ヴァレンティノの黄色いセーターを着て、首にメジャーをかけた女性に声をかける。彼女は1階上で懸命にお直しにあたっている裁縫師たちのチーフだ。ヴァレンティノ・ガラヴァーニが求めた仕事の質の高さには驚かされた、とミケーレは語る。そして水玉模様が入ったセルリアンブルーのシルクシフォン製ストラップレスドレスを見せてくれた。丈はフロアレングス。ボディスには水平にギャザーが入っており、ラッフルがたっぷりと施されたドロップウエストからは細いプリーツのコラムスカートが伸び、ひざ下からもさらにラッフルが垂れ下がっている。「ものすごく手が込んでいます」と、異なるプリーツについてミケーレは言う。「まるで折り紙です。異次元の美しさですよ。ヴァレンティノはヴァレンティノならではの方法でルックを設計していたんです」。なぜ三人称を使っているのか困惑した。このドレスはアーカイブにあったものを忠実に再現したものなのか、それとも新作のピースなのか。手がけたのはヴァレンティノ・ガラヴァーニか、それともアレッサンドロ・ミケーレか。

「これはヴァレンティノと私が、一緒に作り上げたものです」とミケーレは答える。「手がけたのはほぼ彼ですが。そこに私が少し捻りを加えてみました。(アーカイブには)あまりにも魅惑的なピースが多いので、まったく同じに作ろうとすることもあるんですよ。でも、今回は2人とも同じ1枚のドレスに息づいている気がします」。ガウンはもう何十年も見ていないスタイルのものだった。80年代初期のダイアナ元妃のワードローブにあったものでもおかしくない。「今はすごく時代遅れに見えますが、古めかしくて時代遅れなものこそ、なんというか、傑出した魅力があるから好きなんです」とミケーレは話す。「それに、1か月後には大流行しますよ」

「時代遅れのもの」が「今の流行」へ変貌を遂げる瞬間。その瞬間は翌日の午後、コレクションの発表とともに訪れた。今回は恒例となっていたパリ中心地にあるシックな会場ではなく、パリ市を環状に囲む高速道路ペリフェリック沿いの武道場をこの日のために改装した会場を使用した。エルトン・ジョンハリー・スタイルズハリ・ネフといったミケーレの友人やゲストたちがひび割れた鏡張りの床の上を歩き、埃除けのシーツがかけられたアームチェアや長椅子に腰掛ける。亡霊が優雅に行き交う、荒れ果てた邸宅のような空間をモデルたちは観客の間を蛇行しながら歩き、豪華なブロケード、優美なドレープのファー、ふわりと波打つシフォン、繊細なレース、煌めくスパンコール、ひらめくラッフルを間近で披露していく。バックで流れているのは、人生の儚さを歌った17世紀の曲「Passacaglia della Vita」の悲しげな調べ。ショーの3分の2が過ぎたころ、例のブルーのドレスが登場した。だが、纏っているモデルはヘッドアクセサリーの類も身につけておらず、ほぼノーメイクで、いつになく飾り気のない。その姿はまるで、母親のクローゼットから引っ張り出してきたガウンを着てみた子どものよう。真っ直ぐ落ちるドレスの長いコラムシルエットが、ひび割れた鏡張りの床に映し出され、スカート部分の複雑に渦巻くシフォンが揺らめき、はためく。その様子はまるで、躍動する真っ青な炎だ。

ショーの約2か月後、ミケーレに近況を尋ねにヴァレンティノのローマ本社を訪れた。かつては本社があるこの宮殿の最も格式高い応接間だった部屋を、ミケーレは自分のオフィスにしている。私物の19世紀のダブルデスクと黄色いサテンのクッションが並ぶ18世紀のデイベッドでしつらえられた部屋は、これまでこの部屋を使ってきた人々の歴史がしのばれる。16世紀後半から変わらない格天井から19世紀に描かれた壁画、1980年代にヴァレンティノ・ガラヴァーニが貼ったボワズリー風の壁紙まで、何度も上書きされた羊皮紙のように、その痕跡が幾重にも重なっている。「美しい天井と不気味な会話をしているみたいですね」とミケーレは話す。「ごちゃごちゃしているこの感じが好きなんです」。そして、今では経年劣化によるシワが目立ってきたヴィンテージの壁紙の下に、どんな過去の遺物が眠っているのか見てみたいと付け加えた。

私がミケーレに初めて会ったのは2016年の春、彼がグッチのクリエイティブ・ディレクターに任命されて1年ちょっと経った頃だった。今朝もその容貌は当時から少しも変わっておらず、相変わらず髭をたっぷりとたくわえ、羨ましいほど豊かなダークヘアをセンター分けにしていた。ただ、今回は髪を2本のきつい三つ編みでまとめている。ローマで初めて顔を合わせた時と唯一違うのは、彼の指を派手に飾るジュエリーだ。8年前につけていたシルバーのリングはもうなく、あたたかみのある輝きを放つアンティークのゴールドにアップグレードしていた。服はバーガンディー色のカシミアセーターとブラウンの太畝コーデュロイのバギーパンツ。首もとにはネックレスをじゃらじゃらと重ねづけしている。18世紀のネオクラシック様式のカメオのビブに、天然シードパールのネックレス。プトレマイオス朝後期のものとされる、花モチーフの装飾が揺れるターコイズのセラミックビーズのロングネックレスまでつけていた。ロングネックレスに至っては、普段使いできるアイテムではないとさすがに本人も認める。食べ物や飲み物を一口でもこぼしてしまえば、2,000年も大切に受け継がれてきたピースを損傷させてしまう。

ミケーレのカリスマ性は相当なものだ。彼はオープンで人を惹きつける魅力があり、知的好奇心も旺盛。「ミケーレと過ごす1秒は、ほかの誰かと過ごす3日間分くらいの濃度があります」と、彼の親しい友人であるエルトン・ジョンはメールで綴った。(ジョンはまた、ミケーレがフィレンツェの薬局サンタ・マリア・ノヴェッラが約200年前に作り始めたフレグランスの大ファンだということも教えてくれた。やはり写真だけだと、こういった彼の人柄が垣間見えるエピソードを知ることはできない)。グッチを率いていた頃のミケーレは、すっかり居心地がよさそうに、ジャレッド・レトやハリー・スタイルズとレッドカーペットで肩を並べていた。だが、トップのポジションに昇格するまでは無名だった。それまですでに13年もグッチに籍を置いていたミケーレは、前任のクリエイティブ・ディレクター、フリーダ・ジャンニーニの下でアソシエイト・クリエーティブ・ディレクターとして活躍していただけでなく、1990年代にグッチをセンシュアルな70年代風のスタイルの代名詞にしてみせたトム・フォードの下でも従事。グッチというブランドについての豊富な知識を備えていた。そしてトップに就くと、その知識にルネサンス装飾やバロック劇のドラマ性、20世紀のパンクなど、さまざまなものから影響を受けた、自分ならではの美的センスを加えた。

当初、ミケーレが再構想したグッチに対する反応は厳しいものだったが、まもなく彼のビジョンは評論家からも消費者からも熱烈に受け入れられた。向こう見ずなクリエイティビティの持ち主であるミケーレだが、仕事への姿勢はしっかりとしている。「アレッサンドロは、本当は一緒にいて楽しい人なんです。いつもジョークを飛ばしていますが、何事にもいつも真剣に取り組んでいることを知らない人は多いです」と、過去20年、ほとんどのプロジェクトでミケーレと携わってきたミケラ・タフーリは語る。ミケーレのローマでの隣人で友人、そして映画監督であるジネブラ・エルカンはこう言う。「彼はものすごくはつらつとして見えます。確かにそうなんですが、意外ときちんとしているところもあるんです。計画的で几帳面で、行き当たりばったりな人では決してないです」

ミケーレの計画性と努力は、グッチを傘下に持つケリングに利益をもたらした。ブランドの収益は彼の任期中、たった40億ユーロ足らずから、2022年終わりにミケーレがケリングと袂を分かった時には約100億ユーロにまで成長していた。「会社の何かが上手く機能していない気がしたから辞めたのです」とミケーレ。「私たちは、ブランドをどう育てていくかを考えなければなりません。人間の体と一緒で、時間をかけて育てていく必要があるんです」。いち個人としてもクリエーターとしても、ミケーレは異様なスピードで成長していくグッチについていけなくなっていたのだ。「グッチというものに、絡め取られそうになっていました。飛行機でもホテルでも、常に同じ人たちに囲まれていて、少し社会から隔離された、狭い世界に住んでいましたね」と語る。一方、ヴァレンティノが報告しているブランド収益は、グッチの10分の1ほど。グッチと比較して、ごく小規模なビジネスだ。

古色に宿る、現代の輝き<br /> 燦然と輝くシアードレスを纏い、ヴィラ・ジュリア国立博物館に佇むチャン・ジャフイ。黄金の刺繍と優雅に揺れるラッフルが、彼女を異世界の女神へと変身させる。
燦然と輝くシアードレスを纏い、ヴィラ・ジュリア国立博物館に佇むチャン・ジャフイ。黄金の刺繍と優雅に揺れるラッフルが、彼女を異世界の女神へと変身させる。

競業避止義務契約により活動できなかった1年間、ミケーレはファッション以外のことに打ち込んだ。まず、中世の塔がひときわ目を引く、有名なローマの宮殿にあるアパートを修復。ルネサンス絵画やデルフト焼タイルをはじめとする自身のコレクションの品々で部屋を飾った。さらに、ローマ北部の田舎にある所有地に立つ城の修復にも乗り出した。(城がある土地は、工業型養豚のさらなる拡大を防ぐために買い上げた一帯だ)。ミケーレの不動産ポートフォリオは、ヴァレンティノのものにはまだ及ばない。ローマのヴィラ、パリ郊外のシャトー、ニューヨークロンドン、カプリ、グシュタードにある隠れ家数軒、さらにヨットを所有していたヴァレンティノは、各物件を転々としながら暮らしていた。だがミケーレはミケーレで、ヴェネツィアにある15世紀の宮殿のワンフロアを占めるアパートを購入している。建物が2つの運河に接しているのだと、携帯で写真を見せてくれた。「美しい場所が好きなんですよ」と、諦め気味に言う。「車とかに興味はなくて、唯一本当に興味があるものは歴史のある場所なんです。人が実際に暮らしていた場所、生涯を終えた場所に惹かれます」

ヴァレンティノを25年もの間率いたピエールパオロ・ピッチョーリがクリエイティブ・ディレクターを退任することになった時、ミケーレを後任に抜擢したのは、メゾンのCEOを務めるヤコポ・ヴェントゥリーニ。「当然の人選だった」と彼は語る。「ミケーレはアーカイブをもとに制作するのが好きだと知っていましたし、ヴァレンティノには膨大なアーカイブがあります。ヴァレンティノは形だけの器ではありません。歴史があるので、好き勝手にできるブランドではないんです」

ヴァレンティノ・ガラヴァーニという人物、そしてヴァレンティノがビジネスパートナーで元恋人のジャンカルロ・ジャンメッティとともに築いたレーベルは、ローマの歴史の一部だ。パリのメゾンに匹敵するようなオートクチュールメゾンを創ろうと1960年に創業したヴァレンティノは、世界各国のプリンセスやファーストレディ、彼女たちに憧れる女性たちのための服を作ってきた。一方、10代をローマで過ごしたミケーレは、ヴァレンティノが生み出したオートクチュールの類いよりも、音楽や音楽と分かちがたく結びついているヴィヴィアン・ウエストウッドVIVIENNE WESTWOOD)のようなデザイナーの革新的な創作に影響を受けていた。だが、ヴァレンティノはローマでは重鎮的な存在。「教皇さまみたいに、身近な存在でした」とミケーレは話す。「時々、教皇さまが車で通るのを見かけるのと同じように、ヴァレンティノも見かけていました。ここはローマ帝国や人類の長い歴史に触れられる街なので、『権力』というものをすごく身近に感じられます。ローマは神の街であると同時に、堕落と美と豊かさと情事の街でもあるので、ヴァレンティノと教皇さまをひとくくりにするのが好きなんです」。御年92歳を迎えたヴァレンティノだが、ミケーレは何年も前に通りすがりに会ったことしかないという。だが、任命時にはショートメッセージが送られてきたそうだ。「ヴァレンティノさんとはちゃんと話したことはありませんが、彼の家に滞在すると、対話した気分になれます。飾られている思い出の品々から、彼の人生の断片がいろいろと見えてくるのです。また、モノは全く違うストーリーを語ってくれます。繊細な感性や彼にとって自由とは何かなど、彼が面と向かっては決して言わないようなことについて教えてくれます」

ヴァレンティノの顧客は何かしらの有力者であることが多いが、ヴァレンティノ自身は従来の慣習や保守的な考えからはまったくかけ離れた人物だと、ミケーレは言う。「すごく伝統を重んじる人だと思われていますが、全然違います」。イヴ・サンローランのように、今でこそ「昔ながらのクラシカルなエレガンス」の代名詞となっているヴァレンティノだが、世間が思っているこの「従来のエレガンス」は、サンローランとヴァレンティノがかつてカルチャーにもたらした、革新的な変革なのだと語るミケーレ。「例えばフーシャピンクのシャツにブラックベルベットのスカートを身につけた女性は、『シックで、とてもクラシカルで、とてもサンローランっぽい』と言われますし、上品なラッフルワンピースを着た女性は『ヴァレンティノっぽい』と言われます。でも、これらのようなクラシックな装いは、当時は斬新でした。2人が多くの革命を起こしたことを、私たちは忘れているだけです。ヴァレンティノは、ゲイの男性として70年代を生きました。その頃のファッション界で、そんな風に生きる人は誰もいませんでした。ですが彼は、後悔することなく生きました」

パリで発表されたミケーレのコレクション、そしてショーが行われた会場は、ミケーレのマキシマリスト的な美学とヴァレンティノの洗練されたクラフツマンシップのレガシーを融合させたと、批評家やファンから高く評価された。ミケーレはその反応に概ね喜んでいたが、ショーの2日後に会うと、SNSでやや辛口の評価をチェックしていた。「グッチでやったことを焼き直しているに過ぎない」と、かなり辛辣な言葉で不評を言う人が一部いた。「現代のとても面白いところですね。やりたいことを自由にやれる人に対して、すごく攻撃的になる人たちがいるというのは」。ある投稿者は、ミケーレの遊び心あふれるアクセサリーを激しく非難していた。「子猫型のバッグを持ったモデルごときで騒いでいるだけですよ!」。批判の背景には、批判する人の自信のなさや無力感があるのではとミケーレは考える。「窮屈だと思い込んでいる人は、自由に生きている人が、癪に触るんだと思います。それで、自由を謳歌している人を見ると、不公平だとヘソを曲げるんです。面白いですよね」

1年の休暇中、ミケーレは哲学者のエマヌエーレ・コッチャと『La Vita delle Forme(原題)』を執筆・出版した。都市計画の教授でもあるパートナーのアッティーリの影響か、ミケーレは常に、自身のクリエイティブなアウトプットを批評的かつ理論的に捉えてきた。活動休止期間中は、ローマの大学で教鞭をとっているアッティーリの講義に何度か忍び込んだそうだ。「来世は、生涯勉学に励みたいです」と話す。「やりたいことは、ゆっくり見つければいい」。グッチを去った時、アッティーリはそう助言したとミケーレは言う。「『自分の人生は、自分で変えられる。君の人生は君のものだ。私は大丈夫だから、好きなように生きればいい』と言ってくれたんです」

著書(英語版は近日刊行予定)でミケーレは、自身が過去数年間ランウェイで追求してきたことの下敷きとなっているアイデアについて記述している。今ではほぼ完全に浸透した「ノンバイナリージェンダーアイデンティティ」という考えとその表現にも触れている。「忘れられてきた存在たちに宿る、理想的な美しさと両義性を追い求めました(中略)。ひとつひとつのフォルムに多様性を取り入れる手段として、はじめから出会うものすべてをかけ合わせたのです」と各コレクションについて述べている。

ヴァレンティノでの活動は、必然的にグッチで行っていたことの延長線上にあるとミケーレは言う。彼の知的・美的センスは一貫しており、創作の枠組みと作品の根底にあるヘリテージが変わっても、そのセンスはブレない。「少しは変わると思います。半分は昔のまま、半分は変化していく感じですね。つまり、ブランドの精神はキープしつつ、新たな息吹をもたらすんです。でも、ヴァレンティノの古色を帯びた感じは好きです。古色は、出そうと思っても出せない貴重なものですから」

ヴァレンティノでの初のオートクチュールコレクションを構想し始めていた時、ミケーレはある絵のことばかり考えていた。それは数年前に購入し、今はローマの自宅のダイニングテーブルの奥にかかっている絵で、16世紀後半のパリで活躍し、ミケーレがコレクションをしているフランソワ・ケネルによるものだ。描かれているのは、1人の女性。細身のウエストライン、深くカットされたボディス、顔とデコルテを縁取る繊細な白い立ち襟のダークカラーのガウンを纏い、首もとは真珠のチョーカーで飾られている。

「裕福な女性だったんです」と、ヴァレンティノのオフィス近くにある老舗レストラン「Ristorante Nino」でアーティチョークのフライとドーバーソールを頬張りながらミケーレは説明する。「みんな黒いドレスと言えば喪服を思い浮かべますが、黒というのは、昔は最も高価な色で、豊かさの象徴でした。彼女が着ているのは、どちらかと言うと濃いナスビ色みたいなニセモノの黒ですね」。ミケーレの興味を引いたのは色だけでなく、絵に隠されたメッセージだった。女性の背後の壁には、女性の若かりし頃の肖像画がかけられており、彼女の横にはの「母性」を象徴する幼い娘が立っている。ウエストから垂れ下がるゴールドチェーンのロケットペンダントに入っているのは、亡き夫の肖像画だ。「彼女には、夫から受け継いだ巨大な王国というレガシーがあるんです。とても面白い方法で、自分の権力を示していますよね」。この絵の画像を、ミケーレはクチュールスタジオチームのリーダーに送ったという。「『ここを出発点にしましょう。最終的な着地点は全然違うかもしれませんが、とりあえずこれを基点にしましょう』と言ったんです」

服に託す祈り<br /> 美と豊かさと情事の街ローマの魅力を享受するミケーレ。その自由な発想から生まれてくるのは、神々しい無二のピース。
美と豊かさと情事の街ローマの魅力を享受するミケーレ。その自由な発想から生まれてくるのは、神々しい無二のピース。

グッチに在籍していた頃は、華麗な一点もののガウンを何点も作っていたミケーレ。フローレンス・ウェルチが2016年のグラミー賞で着用した、ピンクのシルクシフォンドレスもそのひとつだ。ラッフル付きの深いネックラインと、星や月のアップリケがポイントのフロアレングスドレスを、ウェルチは絶賛。「すごく着心地がよくて、とても私らしいと思える1枚でした。アレッサンドロは、私がイメージしていたルックの美しさと魅力をちゃんと汲み取ってくれたんです」と語っている。初のクチュールコレクションに着手する以前にも、ミケーレはヴァレンティノの卓越した技巧を応用したドレスを、グウィネス・パルトロウクリス・マーティンの娘アップル・マーティンに提供している。昨年11月にパリで行われた「ル・バル・デ・デビュタント」に出席したマーティンのために、ミケーレはシルクプリーツシフォン製の6段のティアードストラップレスドレスを制作。鮮やかな水色の1着は、ヴァレンティノの高い技術力を見事に表現してみせた(パルトロウとクリス・マーティンも、この日はヴァレンティノを着用)。だが、もう間もなく開催されるクチュールショーは、ミケーレにとってセレブやその家族のためのものではない。、コレクションの出発点である例の肖像画の女性、その現代版に当たる資産家の女性たちのために作られた、一点もののハンドメイドガウンを披露できる初の機会なのだ。

プレタポルテでは無意識のうちに、ひとつのデザインをどう繰り返し再現するかについて考えながら制作に取り組むミケーレ。だが、クチュールではそういったアプローチは通用せず、考え方を意識してシフトしなければならなかったと彼は説明する。ヴァレンティノのテーラーたちの技術力は超人的で、ミケーレの想像力を限界まで試す。オートクチュールは彼曰く、「現実世界を無視したドレス」を作るということだ。「1着の服に、好きなものをなんでも際限なく詰め込むことができるんです。私は制約がある中で創作する方が好きなので、少し大変ですね。制約を破ることに慣れているので。いつも小さな隙間へ入り込む水のように、制約が課されている狭い範囲の中で、創作の限界に挑んでいます。そうやって制作に没頭している時の私は、無敵です」とミケーレは語る。さらに、こう続けた。「『自由』は、とても脆いものじゃないですか。裸の自分、ありのままの自分を見せるということですから」。プレタポルテとオートクチュールの制作過程にはもうひとつ、重大な違いがある。プレタポルテコレクションでは、9月のパリでのフィッティングと同様に、制作チームが完成されたルックをモデルに着せた状態でミケーレに見せる。だがクチュールでは、下着姿のモデルの体に合わせて、裁縫師たちがその場でドレスを組み立てていくという。その雰囲気は、ミケーレに言わせると、まるで神聖な儀式。

「クチュールは、すべての起源です。私たちが引き継いでいく、人類の歴史を辿る儀式のようなものです。作り上げたドレスを着たモデルをテーラーたちと一緒に囲むと、とても強いパワーみたいなものを感じます。ルックに魂が宿っているみたいで、それを後世に伝えていくのが私たちの役目です。宗教的なものに近いですね」。そしてルックを操る裁縫師たちを、ミケーレは修道女やウェスタの処女に重ねる。ウェスタの処女とは、女神ウェスタの神殿で聖なる炎に仕えた古代ローマの巫女だ。その神殿跡が、今もヴァレンティノのオフィスから歩いてすぐのフォロ・ロマーノ内に残っている。そう裁縫師たちを例えたミケーレは、何千年にもわたり、ずっと途切れることなく続いてきた歴史に比べると、私たちの命はいかに儚く短いものかを、改めて実感していた。簡単に言えば、ファッションがいかに刹那的なものかについて思い巡らせていた。ヴァレンティノで彼が受け継いだ文化について、ミケーレはこう語る。「炎を絶やさず、守り続けていくこと。それがメゾンの望みで、私もその炎を守り続けていく人の1人です。でも大勢の中の1人に過ぎません。炎だけは、絶やしてはならないのです」

In this story: hair, Shiori Takahashi; makeup, Yadim; manicurist, Silvia Magliocco; tailor, Viola Sangiorgio. Produced by AL Studio and Kitten production.

Text: Rebecca Mead Photography: Annie Leibovitz Adaptation: Anzu Kawano

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