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大事なのは愛かお金か。帰省で母の料理を食べて浮かんできた答え

  • 2025.1.29

とあるテーマについて考え改めたことがある。

中学一年生のときに、道徳が好きな先生がいて、授業の中でディスカッションを開いたことがあった。

テーマは「愛とお金、どちらが大事か」。

◎ ◎

選択肢は「絶対に愛・どちらかというと愛・どちらかというとお金・絶対にお金」の4つがあり、それぞれを選んでディベートをする。一年前までランドセルを背負っていた子らにはなかなかに重いテーマである。

私は迷うことなく「どちらかというと愛」を選んだのだが、クラスメイトの多くは「絶対に愛」を選んでいて、お金側にいる子はいなかった。なんて清い心の持ち主ばかりなのだろう、と先生は感心していたが、やりたいことはディベートなので、絶対に愛チームvsどちらかというと愛チームで意見のぶつけ合いが始まった。

クラスメイトの8割が「絶対に愛」にいて、こちらは私と他3人しかいない少数精鋭である。しかも私以外あまり発言をしないおとなしい子たちばかりで、「クラスメイトvs私」みたいな構図が出来上がるのに時間はかからなかった。中学生のディベートなんて勢いがすべて!なところがあるから、それはそれは理不尽な主張をぶつけられたものだ。

◎ ◎

そのときの私の主張は以下の通り。「人間の原動力は愛であっても、行き着く先はお金である。愛で飯は食えないし、愛する人も救えない。愛だけで生きていけるなら、そもそもこの世にお金なんて必要ないのだから、このテーマの答えが"絶対に愛"はありえない」

そんな私は先日、一週間帰省していた。久しぶりの実家で久しぶりに母の手料理を食べたときに、ふと中学生のときのそのテーマを思い出した。

母の料理が美味しかった。決して豪華ではない、野菜炒めや煮物といった普通の料理だ。材料費のことを考える。大してこだわりもない母だから、きっと肉も野菜も高いものは買っていないだろう。値引きされていたものを買い溜めてうまく活用しているのかもしれない。
私なら倍のお金をかけて外食ができる。実際、もっとお金をかけてレストランのフルコースを食べることだってできるくらいのお金を持ってはいる。

しかし、母の料理にこれ以上ない満足感を覚えたのは、その料理で育ってきた事実があるからだ。高くない食材に手を加えて料理を完成させるという工程は、言わずもがな面倒くさい。ヒト一人を手料理で健康に育て上げるのは簡単なことではないが、母はそれを私相手にやってのけたのだ。愛がなければできないことではなかろうか。

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今でもあのテーマには「どちらかというと愛」を選ぶ。でも理由は当時と少し変わる。

生きる上でお金は確かに大事だが、今なら大事にすべきは愛だと思える。お金は誰しもが平等に与えられた対価で、失っても努力次第でまた手に入れられるが、愛はコントロールができない。他人の想いなんて特に、失えば最後、お金がいくらあっても取り戻すことは難しい。なぜなら愛は恵まれものだから。

母の料理を食べて、日々のストレスが幾分か和らいだ瞬間にそんな答えがまざまざと浮かんできて、成長したなと実感した。当時の私の主張を否定することはできないが、お金の方が大事だと即答するようなつまらない人間にはなりたくない。どちらかというと愛、あのテーマに対する私の一生をかけた答えである。

■瀬璃のプロフィール
絵を描くのが好き。本を読むのも好き。写真を撮るのも、小説を書くのも、歌を歌うのも、とにかく全部好き。

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