巨匠・黒澤明の助監督を務め、『雨あがる』(00)で監督デビューして以降、一貫して人間の美しい心根や生き方、在り方を描いてきた小泉堯史監督が、吉村昭の小説を映画化した『雪の花 ―ともに在りて―』(公開中)。江戸末期の福井藩を舞台に、“死に病”と恐れられていた疱瘡(天然痘)から人々を救うために奔走した、実在の町医者・笠原良策の奮闘を厳しくも美しい自然を背景に描きだす。
【写真を見る】夫婦の絆を体現した松坂桃李と芳根京子を撮り下ろし!
異国ではすでに行われていたが日本では未知のものだった、現在の予防接種につながる「種痘」を導入しようと奔走する良策を演じるのは、松坂桃李。数々の困難にぶちあたる良策を励まし、実現のため共に闘おうとする妻・千穂に芳根京子。日本映画界のレジェンド、超ベテランのスタッフが集った、しかもフィルム撮影という緊張感漂う現場で、いかに2人が撮影に臨んだのか、その様子を語ってもらった。
「初めてのフィルム撮影、しかも小泉監督が撮る時代劇。感動するくらいうれしかった」(松坂)
――『居眠り磐音』(19)での共演から、5年以上が経ちましたね。
松坂「前作では結局、夫婦になれず、悲しそうな顔ばかり見ていましたが」
芳根「今回は無事に夫婦になれ、さらに夫の背中を押すこともできてうれしかったです」
松坂「芳根さんは、小泉組に以前も参加されていて、つまりフィルム撮影もすでに経験されているので、勝手に頼りにしていました。きっと芳根さんの佇まいがフィルムの現場では正解に近いんだろうな、と感じていて」
芳根「え!?うれしいです。いま初めてお聞きして、撮影時の自分が悔やまれます(笑)」
――その小泉組へのオファーを受け、どんなことを思われましたか?
松坂「初めてのフィルム撮影、しかも小泉監督が撮る時代劇だなんて、舞台が整い過ぎて怖いほど。感動するくらいうれしかったです」
芳根「私は、お話しを聞いた瞬間、怖くて逃げたくなりました」
松坂「なるほど、経験しているからこそ、そういう反応になるんだ!」
芳根「でも台本読ませていただき、こんなすてきな役をまた小泉組で、しかも松坂さんがいらっしゃる、これをやらない選択はないだろう、と。もちろん殺陣や太鼓など挑戦もたくさんあって怖いけれど、自分の判断が追い付く前に“絶対にやる”と。自分の気持ちはあとからだ、という気持ちでした」
――それくらい、やっぱりフィルム撮影は役者にとって大きなことなんですね。
松坂「やっぱり自然と緊張感が湧き上がってきますよね。単純に“自分がフィルム撮影の作品に出られるんだ!”という喜び、興奮と緊張がすごくありました」
芳根「それ、ありますよね。“フィルム撮影を経験した自分”という自信が出てくるというか。私は木村大作監督の『散り椿』、小泉監督の『峠 最後のサムライ』に続いて3作目になりますが、それでもとても緊張しました。いまは(デジタル撮影なので)よくも悪くも『じゃあ、もう1回』と簡単に言えてしまう時代だからこそ、(フィルム撮影の)1回1回の重みを体感できるのは、本当に貴重な経験だと思います」
松坂「ちょうどいま、我々は共に別の連続ドラマで主演をしていますが、やっぱり普通に何度も撮り直しますよね」
芳根「そうですね…。でも絶対にセリフを間違えたくないという意識が、フィルムを経験するとすごく強くなるんです」
「“2人は一生を共にする、ずっと一緒だ”という感じがあって、すごくすてきな夫婦の愛の形」(芳根)
――さて、お2人とも時代劇は何度も経験されていますが、町医者とその妻という役どころを踏まえて、本作だからこその所作や動きや仕草など、これまでと違うところがありましたか?
松坂「これまで『真田十勇士』の忍者も含め、ほぼ武士系の役ばかりだったので、その時代の日常に近い町医者の役だと聞いて、単純にうれしかったです。武士ではない所作とはなんだろう?と考えた時に、まず腰に刀を差して歩かないのか、と。そういう人の振る舞いや、当時の医者が人々を診る際の所作など、武士とは違う振る舞い方を勉強できて、とても新鮮でした」
芳根「この時代ゆえの品のよさや美しさはベースとしてありつつも、今回は “こうでなければいけない”という概念を取っ払って現場にいられました。それは自分が時代劇の経験を積んできたからなのか、この作品だからなのかは正直、わからないのですが…。ただ千穂は“男之介”と呼ばれるような存在でもあるので、この時代にあってもチャキチャキしていて少し豪快さが見えたほうが、より魅力的に映るのではないかな、ということは意識しました」
――不屈の精神で道を切り開いていく良策と、良策を助けようとする頼り甲斐のある妻・千穂の夫婦関係を、どんなふうに感じましたか。
松坂「当時はなにかを伝えるにしても、“文を送る”という手段しかなかった。そうなると、『じゃあ、行ってくる』という言葉の重みや深みは、現代とは段違いだったんだなと感じました」
芳根「確かに『ご無事で』という言葉の重さもそうですよね」
松坂「この信頼関係や愛情の深さは、時代劇だからこそ描き得るものだと思いますね」
芳根「互いに互いを健気に信じる気持ちが強いですよね。どっちが欠けても成功しなかっただろうなと思いますし、2人でワンセットというか、“2人は一生を共にする、ずっと一緒だ”という感じがあって、すごくすてきな夫婦の愛の形だと思いました」
「黒澤明監督が映画撮影で使われた道具をお借りしたり、スゴイ現場でした」(松坂)
松坂「お薬を2人で作るシーンも、町医者の日常がすごく感じられて好きなんです。しかも2人が作る丸薬も、当時のものを使って作っていて。本来なら博物館に陳列されているであろうものが、そこに置いてある」
芳根「言うなれば、撮影現場では私たちが博物館側にいた感じですよね(笑)」
松坂「そうそう、僕らはそっち(陳列物)側で芝居してる感じでおもしろかったです(笑)。黒澤明監督が映画撮影で使われた道具をお借りしたり、スゴイ現場でした」
芳根「ある殺陣のシーンでも、お互いを励まし合って心強くて。そんな夫婦、あまりないですよね(笑)」
松坂「普通はどちらかが守る側になるけれど、千穂も立ち回れちゃうので(笑)、そういう場面で守る必要があまりない」
芳根「“あなたはそっち、私はこっちを”、みたいな(笑)」
――中盤、良策が7人の輩を倒す比較的長い殺陣シーンがありますが、それもワンシーンワンカットで一発OKだったそうですね。
松坂「ただ、そこに至るまで何度もリハーサルやホン読みを重ねたうえでの一発OKなんです。特にアクションシーンは、リハーサルを何度も重ね、アクション部の人たちと入念に相談し、画角もちゃんと決まっている。どこからどこまでが見切れるか、それもすべて計算してリハーサルを経たうえでの本番です」
――すんなり一発でOKが出ちゃったけれど、もう1回やりたい、みたいな気持ちにはならないですか?それともガッツポーズな感覚ですか?
松坂「ガッツポーズに近いですね。もう1回やりたいとは、まったく思わないですよ(笑)」
芳根「ですよね。ただもう、その1回に賭けて、すべて出し切りますからね」
「小泉監督の現場自体が、美しい現場ですね」(芳根)
――なるほど。画角も決めて本番に臨まれるということですが、逆に型にハマり込むおもしろさというのは感じましたか?小泉監督作品は、美しい風景の中、美しい精神性を描く、そうした“美を取り込んだ画”が切り取られている感覚があるのですが。
松坂「いま、初めて確かにそうかもしれないと思ったくらいで、型の中でやらせていただくという意識はまったくありませんでした。それだけ小泉監督が演者に対して、お芝居のしやすい環境を徹底的に作ってくださったということだと思います」
芳根「そうですね、私もその感覚はまったくないです。ある意味、まんまとハメられていたのかもしれませんが(笑)。本当に役者思いの監督なので、必要のない緊張を排除してくれている。小泉監督の現場は、雑味のない澄んだものだけを感じ取らせてくれて、そこに居させてくれる。もちろん映画ですから“画”を切り取ってはいますが、どれだけ広げても世界観は変わらない気がします」
――やはり本作も、“画”の美しさは印象に強く残りますね。
芳根「小泉監督は自然を味方にする方だと強く感じました。今回も“雪が降り次第はじめよう”とか、本当に自然に身を任せるというか。そういうものも含めて、すごく懐の深い方だと感じます。すべてを受け入れ、信じて臨まれている印象が強い。だから安心感があるんです。もちろんとても張しますが、わからないことがあればハッキリ伝えられますし、そこでお話しもしてくださる。現場自体が、美しい現場ですね」
――監督のみならず、撮影の上田正治さんのほか、照明や録音そのほかに至るまで往年の日本映画の現場を知る方々がスタッフとして参加されています。そういう“イズム”的なものも感じましたか?
松坂「上田さんが多分、年齢も一番高いと思いますが、カメラを担いで平気で山を登っていらっしゃる。驚異的に現役感がバリバリで、本当に皆さんスゴかったです。なんと言っても本番にかける集中力と熱量がすごい。だから終わる時間も驚異的に早いんですよ」
芳根「1カットしか撮らない日もありましたしね」
松坂「多くて3シーンくらい。それで、余った時間で翌日のリハーサルをやったりしました。そういう時間の使い方に、皆さんの体のリズムも現場も慣れているというか」
芳根「だからこそ、とても緊張をするのですが、一瞬“バン”と緊張が上がって、“はい、解ける!”みたいな感じ。う~ん、心臓には悪い!?(笑)」
松坂「ね(笑)。でも全体としては、みんなにとても優しい現場でした」
取材・文/折田千鶴子
※本作で撮影監督を務められた上田正治さんが1月16日、87歳で逝去されました。編集部一同、謹んでお悔やみ申し上げます。