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【田園日記~農と人の物語~ Vol.3】飛騨牛に寄り添い 牛飼いを育てる

  • 2025.1.26

農にまつわるリアルを伝えるドキュメンタリー連載。情熱をかけて地元で「農」を盛り上げる「人」にスポットを当て、いま起こっているコトをお届けします。今回伺ったのは、岐阜県高山市で高校の教員として飛騨牛の授業や牛舎での実習を行う田中里佳さん。牛の育成に興味を持ちながらも、自ら牛飼いになるのではなく、「牛飼いを育てる」教育に情熱を注いでいます。


「飛騨牛を育てる牛飼い」を育てる先生として

岐阜県立飛騨高山高等学校に勤務する田中里佳さん(23)は、昨年四月に教員になったばかり。
現在は動物科学科の教員として、飛騨牛の授業や牛舎での実習をしています。

同校の卒業生でもある里佳さんは、在学中の高校三年生のとき(2019年)に「和牛甲子園」の総合評価部門で最優秀賞に輝くなど、当時から故郷の飛騨牛の育成に興味を持ってきました。
担い手の育成を「先生」としてめざす志を、彼女は次のように話します。

「わたしは生まれ育った飛騨がすごく好き。だから生徒に、一度は飛騨を離れても『いつか帰ってきたい』と思ってもらえるような授業をしたい。飛騨だからこそできる教育を、地域と連携してつくっていくことが大きな目標です」



里佳さんにとって、飛騨牛は幼い頃から身近な存在でした。
伯父が四百頭ほどの牛を繁殖・肥育しており、牛舎は子ども時代の「遊び場」でした。
そのなかで産業動物としての牛に興味を持ち、農業高校への進学を選びました。

伯父の牛舎で働き、自らが「担い手」になる将来を「なんとなく思い描いていた」という里佳さん。
転機となったのは高校二年生のとき、岐阜県の「農業高校生海外実習派遣事業」のメンバーに選ばれ、ブラジル、オランダ、スイスで海外の農業生産の現場を見たときのことです。

「『農業を支える仕事をしたい』という人が多くいたのです。生産者になる選択肢以外にも、農業指導員や研究者といった道もある。それから、『生産者を増やす仕事』に興味を持つようになったんです」



もう一つ、里佳さんには胸に焼き付いている思い出があります。それは海外実習の前、将来の目標を伯父に聞かれたときのことです。

「卒業したらここで働いて、もっと牛舎を掃除してきれいにしたいな」

そう話すと、伯父はこう里佳さんを諭したそうです。

「うちの牛舎に来るなら、もっと『なにをしたいか』という目標を持たないといけない。ただ牛舎で働きたいだけなら、他を当たってくれ」

この言葉をきっかけに、里佳さんは自分の将来を真剣に考え始めました。

「伯父の言葉がなければ、自分は教員にはなっていなかったと思います」

海外実習の後、里佳さんは所属していた演劇部を辞め、動物研究部に転部。本格的に牛について学びたい。そんな思いが胸に生じたのです。
授業でも自分で学習プリントを作るなど、農業に向き合う姿勢が変わった時期でした。

「海外の農業の現場を見て、学校や伯父の牛舎の見え方も変わりました。日本の畜産の現状や経営的な課題にも、関心が広がりました」


価値を伝え地域に誇りを持てる指導

そんななか、高校三年生のときに出場したのが「和牛甲子園」でした。テーマは雌牛の肥育の研究。「飛騨牛の新時代は私たちが築く」と題した発表は高く評価され、最優秀賞を受賞しました。

「肥育のおもしろさは、牛の状態をきちんと見て、餌の管理をていねいにする姿勢が、お肉になったときの評価に跳ね返ってくることなんです」

里佳さんは高校卒業後、北海道の酪農学園大学に進学。教員免許を取得することで、その「おもしろさ」の伝え手になろうと考えたのです。



いま、母校で教員を務める里佳さんはこう語ります。

「飛騨牛はまだ歴史の浅いブランドですが、継がれていくべきブランドだと思っています。自分が生産者にならなかったからこそ、その生産者を育成し、飛騨牛に携わる人を増やしたい。せっかく、飛騨の農業高校で学んでいます。生産者の道を選ばなくても、飛騨牛の生産現場を知る消費者になってもらいたいです」

教員として母校に帰ってきて一年が過ぎ、里佳さんの中で深まっている思いです。学校だけではなく、「飛騨地域そのものが、みんなの居場所」になるような教育を、故郷でどう培っていくか。
里佳さんはそう語ると、少し照れくさそうに笑いました。

「一年めの“新米“なのに、ちょっと生意気ですかね?」

※当記事は、JAグループの月刊誌『家の光』2024年5月号に掲載されたものです。

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