Text by 石井彰(編集部)
ファンにとって、自分の応援するクラブの選手同士が嫌い合っているというのはショックなことかもしれない。しかし、マンチェスター・ユナイテッド、アーセナル、レアル・マドリーなど、名門クラブでもそのような状況が実際にあった。
ピッチ上での小競り合いは時として名シーンを生むこともある(2005年のキーロン・ダイアーとリー・ボウヤーの乱闘を思い出してほしい)。でも、中には完全に不仲だった選手同士もいる。
今回は『Planet Football』から「仲が悪かった11組の有名チームメイト」をご紹介する。
エル・ハジ・ディウフとジェイミー・キャラガー
一緒にプレーしたクラブ:リヴァプール
ディウフが敵を作らなかった人を数える方が早いかもしれないが、キャラガーとの不仲は特に際立っているものだ。
「シーズン前のトレーニングで、タイトルを獲るためにやってくる選手たちを初めて見るのを楽しみにしていた」とキャラガーは自伝に記している。「だがその日の夜、俺は落胆しながら帰宅した」とも。
キャラガーはディウフを「態度が最悪」と非難し、2015年には「一緒にプレーした中で最悪の選手」と述べた。それに対してディウフはキャラガーを「クソ負け犬」などと罵り、応戦している。
エマニュエル・フリンポングとサミル・ナスリ
一緒にプレーしたクラブ:アーセナル
「正直に言うと、僕はナスリが大嫌いだし、これからも絶対に好きになることはないね」とフリンポングは2019年に語った。
この憎悪の始まりは、19歳のフリンポングがデビューから2試合目に退場した後、ナスリが「この敗戦はお前のせいだ」とロッカールームで非難したことからだった。
その後、ナスリは彼に脅迫電話をかけたとも。しかしフリンポングは「俺はお前なんか怖くない。男同士で解決しようぜ」と返答したという。
テディ・シェリンガムとアンディ・コール
一緒にプレーしたクラブ:マンチェスター・ユナイテッドやイングランド代表
この2人はピッチ上で相性抜群で、わずか84.8分ごとに1ゴールを決めていたが、実際には不仲だったことで知られる。
その原因はコールのイングランド代表デビュー戦での出来事。交代時に差し伸べたコールの手を、シェリンガムが無視したという場面にさかのぼる。
「俺はシェリンガムといっしょにお茶するくらいなら、1996年に俺の足を2か所も折ったニール・ラドックとのほうがマシだぜ」とコールは語っている。
ローター・マテウスとシュテファン・エッフェンベルク
一緒にプレーしたクラブ:バイエルン・ミュンヘンやドイツ代表
バイエルン・ミュンヘンでチームメイトだった2人だが、エッフェンベルクは自伝に「ローター・マテウスがサッカーについて知っていること」という章を設け、そのページをすべて白紙にした。
ピッチ上では非常にプロ意識の高い選手であった両者であるが、その主張の強さも相まって水と油のような関係になってしまったようだ。
クレイグ・ベラミーとヨン・アルネ・リーセ
一緒にプレーしたクラブ:リヴァプール
バルセロナでのチームの夜の外出中、リーセがカラオケを拒否したことに激怒したベラミーは、ゴルフクラブを持ってリーセの部屋を襲撃するという謎の事件を起こした。
その後、2人はカンプ・ノウで行われた試合でゴールを決め、ベラミーのゴルフクラブを模したゴールパフォーマンスが話題になったが、それで和解したわけではない。
先日もリーセはこの事件について語っており、「彼とは連絡も取っていないし友だちになりたくもない。人生で一緒にいたい人ではない」と宣言している。
アリエン・ロッベンとロベルト・レヴァンドフスキ
一緒にプレーしたクラブ:バイエルン・ミュンヘン
レヴァンドフスキはバイエルン移籍後、ロッベンの自己中心的なプレースタイルにイライラし、両者はピッチ内外で全く噛み合わなかったと言われている。
生粋のストライカーであるレヴァンドフスキは、自身の得意とするエリアでボールを欲しがっていたものの、ロッベンはサイドからカットインしてのシュートが最大の武器だったからだ。
イェンス・レーマンとマヌエル・アルムニア
一緒にプレーしたクラブ:アーセナル
アーセナルでともにプレーしたGKふたり。レーマンは控えでいることを好まず、オリヴァー・カーンとも相性が悪かった。そして、誰もが認める「いい人」だったアルムニアも敵視していた。
アルムニアは「彼がなぜそんなに敵意を持っているのかわからない」と述べているが、レーマンは「30歳になって初めて正ゴールキーパーになった奴の控えなんて、冗談じゃないよ」と発言していた。
ロマーリオとエジムンド
一緒にプレーしたクラブ:ブラジル代表やヴァスコ・ダ・ガマ
ロマーリオは2000年にヴァスコ・ダ・ガマと再契約し、エジムンドとコンビを組むことになった。しかし、そのときにはすでに1998年ワールドカップでの確執が重いものになっていた。
同時代に生きた名ストライカーの二人はどちらも問題行動が多く犬猿の仲であり、エジムンドはロマーリオがキャプテンマークを巻くと出場を拒否したという逸話もある。
マスメディアを通して舌戦を繰り広げたことは数知れず。ナイトクラブで女性を巡って喧嘩に発展したこともある。
ウィリアム・ギャラスとコロ・トゥレ
一緒にプレーしたクラブ:アーセナル
アーセナルで共にセンターバックを務めたが、2人はピッチ上でも言葉を交わさないほどの不仲だったと伝えられている。
ただ、トゥレは「原因を話せば大騒ぎになる」と語り、真相は闇の中だ。いったい彼らに何があったのだろうか。
ズラタン・イブラヒモヴィッチとラファエル・ファン・デル・ファールト
一緒にプレーしたクラブ:アヤックス
このテーマの記事からズラタン・イブラヒモヴィッチを外すことはできない。彼とラファエル・ファン・デル・ファールトの確執は、キャリアの中で最も激しいものの一つだ。
アヤックスでチームメイトだった彼らは国際試合で対戦したが、その際にファン・デル・ファールトはイブラヒモヴィッチが故意に怪我をさせようとしてきたと主張した。
イブラヒモヴィッチはこれに激怒し、「謝らないなら本当に脚を折ってやる」と脅迫したという。
マキシ・ロペスとマウロ・イカルディ
一緒にプレーしたクラブ:サンプドリア
マキシ・ロペスとマウロ・イカルディは友人であったが、ワンダ・ナラという女性を巡ってその仲はとても険悪なものになった。
イカルディはマキシ・ロペスの妻であったワンダ・ナラを奪い、後に結婚。激怒したマキシ・ロペスはイカルディとの試合で握手を公然と拒否するなど激しい態度を取った。
その後この両者は裁判で争うような関係になり、未だにそれは修復される気配すらない状態だ。