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Netflixシリーズ「阿修羅のごとく」が捉える女性の怒り。時代を経て今リメイクされる意義とは

  • 2025.1.20

オリジナル版をリスペクト。向田邦子脚本の魅力が満載

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NHKの土曜ドラマとして1979年から放送された向田邦子シリーズ「阿修羅のごとく」。脚本家・向田邦子が、人の奥底に潜む阿修羅のような情念を軸に、家族のもろさ、個人の業の深さをあぶり出した不朽の名作だ。是枝裕和監督版の今作でも、その魅力は十分に発揮される。向田という類まれな脚本家の良質な脚本の独自性を存分に味わえるよう、台詞はほぼオリジナル版を踏襲。ハイクオリティの会話劇を堪能できるので、向田作品に初めて触れる人にもおすすめしたい。

向田はストーリーを転がしながら脚本を太らせていく手法に長けた作家。本人も皆目見当がつかない、出たとこ勝負の台詞や展開が視聴者を引き付けてきた。人物描写が細かく、一見余計だと思えるような台詞も光っている。今作にも登場する、次女・巻子家族の朝の会話などもそう。朝から息子に書籍代を二重取りされそうになるくだりも、専業主婦の慌ただしさが詳細に伝わる場面だ。もちろんオリジナル版は脚本以外にも和田勉の演出、役者陣の芝居の上手さが相まった素晴らしい作品なので、今作を入口に気になった人はぜひチェックしてみてほしい。

最高の俳優陣が集結、今リメイクするならこの4人

未亡人だが、生け花の師匠で料亭の主人と不倫関係にある長女の綱子。平凡な主婦だが、夫の浮気を疑い閉塞感を抱いている次女の巻子。気が強くて融通がきかない図書館司書で、恋愛に疎い真面目な三女の滝子。昔から劣等生だったが派手で奔放、男ウケと要領がよくボクサーの陣内と同棲中の四女の咲子。順に初代は加藤治子、八千草薫、いしだあゆみ、風吹ジュンが演じ、2003年の森田芳光監督の映画版では、大竹しのぶ、黒木瞳、深津絵里、深田恭子が、2022年の木野花演出の舞台版では、小泉今日子、小林聡美、安藤玉恵、夏帆が演じてきた。

本作で受け継いだのは、宮沢りえ、尾野真千子、蒼井優、広瀬すず。今回の4人も、“今リメイクするなら”を意識した最高の人選。特に、食卓を囲んで四姉妹揃って語らうシーンはまた一興。仲がよさそうに見えたと思えば、心の内のぶつかり合いが垣間見えたり。自然なやり取りのなかに見え隠れする姉妹同士の繊細な人間関係が、目線や態度によって十二分に伝わってくる。

女性が男性に怒りを存分にぶつけるドラマ

「阿修羅のごとく」は、女性が男性に怒りをぶつけるドラマだと言っていい。それは姉妹がそれぞれの相手男性に物を投げつける今回のタイトルバックをみても如実に表れている。「仁義礼智信」を掲げながらも内には猜疑心強く、日常争いを好み、悪口を言う阿修羅。日常生活のなかでなんとか折り合いをつけてきたのに、ちょっとしたはずみで疑念やねたみに振り回される登場人物たちはまさに「阿修羅」のごとく。

本来そこに性差はないはずだが、本作では“女は阿修羅”だと性別を限定して語られる。ただそれは、女性が当時(舞台は1979年)置かれていた社会的地位の問題でもある。社会や家庭で男性が優位に立ち、女性は我慢を強いられた。和装の花嫁の「角隠し」文化もそのいい例。最初から女性だけが怒り、角を出すことを禁じられる。でもその忍耐が限界を超えたとき、女性のなかに阿修羅が現れる。今となっては、その怒りは肯定すべきことだと思う。本作を観ていて小気味がよいのは、女性たちがちゃんと意思を持って怒りを表現しているからだと思う。恒太郎(國村隼)の不倫に耐え、それを美徳と思ってきたふじ(松坂慶子)だって、阿修羅を出さずにはいられなかったのだから。

弱く厚かましいままでいられる男たち

オリジナル版はあくまで“女たち”の物語で男性陣は添え役だったが、今作では男性陣にもかなりシーンを割いて繊細に描写している。そこから見える男女格差、男性特権、ジェンダー意識の差などはオリジナル版よりもわかりやすく描かれていて、今リメイクする意義を感じた。特に鷹男(本木雅弘)は嫌われ役に映る最低男のはずだが、それがそつなくスマートにも見えてしまうのは本木のパーソナルイメージも手伝ってのこと。ナイスキャスティングといえそうだ。

そして“女たち”のあいだに入る、男の弱さや厚かましさ、悲哀も「阿修羅のごとく」の鑑賞ポイント。たとえば女だらけの家庭にいた父・恒太郎の身勝手な憂いは、男の子を持てなかった悲しみにも由来しているだろう。浮気相手の男の子の「パパ」を演じているのも、その後も子どもとだけしきりに会ってしまうのも、叶わなかった夢を果たしている節がある。無意識の男尊女卑の考えも根底にあるはずだ。鷹男が恒太郎に言う「四人とも女の子ってのも、ドジだったな」という台詞にも当時の世相が色濃く残る。

是枝監督の演出意図もしっかりと光る

滝子が自転車に乗って疾走する冒頭のシーン。光の使い方、音楽、人物の寄りの美しさなど、いきなり心を持っていかれる。これまでのオリジナル版も映画版も、最初に象徴的なトルコの軍楽(メフテル)が流れ、阿修羅についての説明が入るのだが、今回はその使用を封印。説明的な場面をつけることを避け、心情に訴える作りをしているのを観て、これは是枝作品に昇華していると思った。フィルムの質感も美しい。

さらに令和版にふさわしい些細な改変もあちこちに。新人王のタイトルを取るまで禁欲中の陣内から咲子が関係を迫られ、抗うも男の力に負けてしまうシーンは、咲子がパンチで反撃して「まずはチャンピオンになろう」と諭すつくりに。男の言いなりにならないという、咲子の強い意志がプラスされた。ほかにも、綱子の不倫相手・枡川が支払ったうな重を、夫の浮気に疑心暗鬼になっている巻子が怒りでテーブルの下に払い落とすシーンは、巻子がニヤっとしながら勢いよく頬張るシーンに変更。いただけるものはいただく、ただの悲しい耐え忍ぶ女に成り下がらない、その強かさも素敵だ。

実際に四姉妹を演じる俳優のキャラクターに合わせてのリライトもあったよう。だからこそ、観ていて余計に納得感がある。またオリジナルからばっさりカットされ、新たにプラスされた場面も。綱子と巻子、滝子と咲子、それぞれの関係性がより繊細に際立つよう再構築され、それぞれの希望を見せるラストも秀逸だ。

Netflixシリーズ「阿修羅のごとく」独占配信中

URL/https://www.netflix.com/title/81759233

Photos: Courtesy of Netflix Text: Daisuke Watanuki Editor: Nanami Kobayashi

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