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ゴミ箱代わりにしていた日記はいつしか気づきや楽しみをくれる宝箱に

  • 2025.1.14

初めてのぼっち経験は「友だち100人できるかな」というフレーズに期待し、入学した小学生時代だと思う。

◎ ◎

私は話しかけるのが大好きで活発な小学生だった。「ぼっち」というと人見知りをイメージする人もいるだろう。だが、人と仲良くなるきっかけを作るのはそれほど下手ではない。ただし話しすぎるせいで、関係を持続するための友だち作りは、うまくできなかった。

とりあえず思いついたことを話しまくる。「友だちを作る」ことに必死で落ち着きがなく、自分を見てほしい思いでいっぱいだった。しかしアピールが止まらない私はクラスでも学年でも浮き続けていた。100人どころか誰とも友だちになれない。そんな日々が続いた。

そのことで親や兄弟には心配をされたが、次第になぜ友だちが必要なのか分からなくなっていった。親に心配されないよう、クラスメイトが話していたことを聞き取ってそれを学校のエピソードとして話すようになった。「〇〇ちゃんがこんなことを言っていた」といえばその子と仲良くしていなくてもなんとなく近況報告らしきものが出来上がる。小手先のテクニックだけでなんとか乗り切っていた。

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中学に上がってからも「友だち」作りに失敗した。1年生の頃はなんとなく親しい子ができたが、2年の頃から再びクラス内で浮き始めた。

2年生の秋、「赤毛のアン」を読んだことがきっかけで日記をつけるようになった。アンは変わった子だと扱われていて、高校に上る前は問題児でもある。少し重なるところもあるがアンと違って私には話し相手がいない。

アンは自分の名前のスペルにこだわったり、想像の「友だち」を作ったりする。それを真似て、私は日記に自分の憧れの名前をつけた。そして日記を聞き役の友だちに見立てて「話しかける」ようになった。アンのマネと話し相手を同時に手に入れられる最高のアイデアだ。状況は変わらないのに魔法をヒミツのアイテムを隠し持てた気がした。

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ベッドに入る前になると家族やクラスメイト、先生の愚痴、たまに起こる楽しかったことを時折文にしてひたすらに書いた。こっそり書いていたが、自分の部屋がなかったので家族にはすぐバレた。家族には「なんでそんなに必死になるの」と言われた。誰に課されたわけでもないのだから当然の疑問だろう。だけど私の心の拠り所はそこしか無かった。当時は本気でそう思っていた。

高校の終わりまで日記だけが「友だち」のつもりだった。
だけど今思えば、日記は「友だち」の代わりにはならなかった。あの頃の日記はただのゴミ箱、はけ口でしかなかったのだ。

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それに気付いたのは2年前、当時の日記をふと取り出してみた時だ。なぜ、自分は満たされなかったのかの答えが突然分かった。さびしさと向き合うつもりの日記がただの逃げだったということ。誰にも言えない募った思いをつづり続けることで日記を独りよがりになる道具に変えてしまったこと。その結果余計に殻に閉じこもり、人間不信になったこと。そしてどんなに苦しくても日記以外の拠り所を見つけようとしなかったこと。そのせいかあんなに必死だったのに内容はほとんど記憶にはない。呪いのように、自分や他人への決めつけでびっしりと埋まっていた。

それに気づいてからも日記は続けている。日記は「友だち」から、もうひとりの私になった。忘れそうなことを忘れないための大切な心の拠り所だ。今の私は日記を元に友人に話をしたり、未来の自分に伝えたい話を書いたりしている。

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日記は心の拠り所にはなる。だけど日記はゴミ箱じゃない。気づきや楽しみをくれる宝箱だ。

■千夏(ちなつ)のプロフィール
流行りに疎い大学生。運動音痴だけど散歩とテレビ体操が好き。

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