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ゼロ年代カルチャー再考:ロック歴史編。サブスクがない時代、新しい音楽シーンが生まれ始める瞬間

  • 2025.1.9
ゼロ年代カルチャー再考。第5回「ロック」歴史編

案内人・澤部 渡

サブスクがない時代。テレビで、ライブで、レコード屋で目撃した新しい音楽シーンが生まれ始める瞬間

まず私でいいのか、と(笑)。ゼロ年代は実はリアルタイムの日本のロックをあまり聴いていなかった時期なんです。2000年で12歳ですから、少しずつヒットチャートとも折り合いがつかなくなっていく。そこに上がらないような若者のためのロックともまた、折り合いがつかなくなっていく。そういう10年でした。

ゼロ年代前夜の1999年はナンバーガールがシングル「透明少女」を、椎名林檎さんがファーストアルバム『無罪モラトリアム』をそれぞれリリース。その存在を知ったきっかけは、僕の場合テレビでした。

「透明少女」のMVの聴いたことのない音の連続に衝撃を受けましたね。椎名林檎さんはたまたま見たフジテレビの『Flyer TV』という深夜番組で。当時は小学生だったこともあり、周りで聴いている人はほとんどいませんでした。でも、翌年進学し入部した中学の吹奏楽部の先輩たちの間では、林檎さんは大人気で。コピーバンドもやりました。

その後、ゼロ年代前半にあたる高校生の頃はyes, mama ok?【A】やゆらゆら帝国、インスタントシトロン、空気公団の新譜を追いかけてました。でももうリアルタイムの音楽よりも、フィッシュマンズなど90年代の日本の音楽に夢中でした。

大学に上がった頃だとムーンライダーズやカーネーション、ザ・コレクターズのように70〜80年代にスタートした老舗バンドが積極的に活動されていたことが印象に残っています。こうして振り返ると個人的にyes, mama ok?の音楽に出会えたことが本当に大きい。彼らを通して豊田道倫さんや山本精一さんを知って。年末恒例の豊田さんのライブを観た〈渋谷TSUTAYA O−nest〉は憧れの箱の一つになりました。〈SHIBUYA CLUB QUATTRO〉で遠藤賢司さんやLOVE JETSを観たのも思い出深いです。

【A】1995年インディーデビュー。金剛地武志、高橋晃、仲澤真萠(後に脱退)の3名で活動する。「ロックに少し嫌気が差したときに、それでもいいと思えたのがイエママ。学生時代はイベントのお手伝いにも参加しました」

また、当時はレコードがすごく安かった。本当に人気がなかったのか、例えば2001年頃に近所のブックオフのレコード売り場がなくなりました。再評価されるのは2010年を過ぎた頃からですよね。とはいえ学生の僕にとっては宝の山。大滝詠一さんやユーミンのヒットしたアルバムなら確実に安価で手に入った。古いものを探す、という意味では図書館を巡ってCDを探したり、今はなき御茶ノ水のレンタルCDショップ〈ジャニス〉【B】で廃盤になった作品を探したりもしました。

【B】1981年から2018年まで営業した御茶ノ水のレンタルCD&DVDショップ。入手困難なインディー盤など、豊かな品揃えで知られた。

ゼロ年代の中盤以降、ロックバンドの新たな波が生まれてきたように思います。06年には相対性理論【C】が結成され、翌年には自主制作音源『シフォン主義』をリリース。後に次々とフォロワーを生み出した音楽的な影響力もさることながら、これまでと明らかに変わったことが2つありました。

一つはメディアの変化。僕自身もそうだったのですが、このバンドの曲を初めて聴いたのはマイスペース【D】でした。当時の一大SNSですね。もう一つは〈みらいレコーズ〉というレーベルを作り、拠点にしたこと。彼らもCD-Rからスタートしていましたが、「CDを作って、売る」というのが大袈裟なことではないかもしれない、と思えるようになったのが大きいですね。

【C】2006年結成。メンバーの変更を経て、現在はやくしまるえつこ、永井聖一、吉田匡、山口元輝の4人で活動する。自身のレーベルであるみらいレコーズを拠点にする。

【D】2003年にアメリカでスタートし、07年に日本語版が開始したSNS。09年にフェイスブックに抜かれるまで世界最大のSNSだった。

また、同じ時期にいわゆる「東京インディー」シーンが生まれ始めます。昆虫キッズ【E】やシャムキャッツ、ceroなどが活動を始めるのがこの時期。

なかでも昆虫キッズは、いわゆるオルタナティブロックのステレオタイプ、つまりギターといえばフェンダーで、エフェクターをたくさん使い、俯きがちに演奏するスタイル。全員がなんというか、リード楽器なんですよね。リードギターにリードベース、リードドラム(笑)。ぶつかり合うような演奏がとてもかっこよかった。アルバムを4枚作り活動を終えるとともに、ゼロ年代的なロックを発展させながらも、しっかりと終わらせてくれた存在だと思います。

【E】2007年に東京で結成。メンバーは高橋翔、冷牟田敬、のもとなつよ、佐久間裕太の4名。15年に活動を終了した。

2000

椎名林檎(1988年メジャーデビュー)がセカンドアルバム『勝訴ストリップ』をリリース。

2001

空気公団(1997年結成)がセカンドアルバム『融』をリリースしメジャーデビュー。

2002

ナンバーガール(1999年メジャーデビュー)が解散(2019年に復活し22年に再度解散)。
LOVE JETSが活動開始。

2003

パラダイス・ガラージ(1993年活動開始)の豊田道倫が、個人の名義で活動を再開。

2004

ゆらゆら帝国(1989年活動開始、2010年解散)が初めてのベストアルバム『1998−2004』をリリース。
遠藤賢司(1969年活動開始、2017年死去)がデビュー35周年を記念し、ベスト盤CD『純音楽一代 遠藤賢司厳選名曲集』 をリリース。
ceroが結成。

2005

羅針盤(1988年活動開始)が解散。

2006

澤部渡がスカートとして活動開始。
インスタントシトロン(1992年活動開始)が事実上の活動休止。
ムーンライダーズ(1975年活動開始)がデビュー30周年を迎え、記念ライブの開催やアルバム『MOON OVER the ROSEBUD』をリリース。活動休止を挟み、現在も活動している。
yes, mama ok?(1990年活動開始)のトリビュートアルバム『tribute to yes, mama ok?』がリリース。

2007

相対性理論(06年活動開始)が自主制作音源『シフォン主義』をリリース(08年にリマスター版が全国流通盤として発売)。
昆虫キッズ(15年解散)が結成。
シャムキャッツ(20年解散)がファーストデモCD「はないき」をリリースし、活動開始。
GELLERS(1997年活動開始)がファーストアルバム『GELLERS』をリリース。
SNSマイスペースが日本語版サービスをスタート。

2008

yes, mama ok?がベストアルバム『Incomplete Questions』をリリース。

2009

昆虫キッズがファーストアルバム『My Final Fantasy』をリリース。

profile

澤部 渡

さわべ・わたる/1987年東京都生まれ。シンガーソングライター。2006年にソロプロジェクト、スカートをスタート。10年に自身のレーベル、カチュカ・サウンズを立ち上げる。アルバム『SONGS』のLP版が発売中。

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