1. トップ
  2. スキンケア
  3. 「白玉」と呼ばれた肌と美への執着。そこから脱せたのは海のおかげ

「白玉」と呼ばれた肌と美への執着。そこから脱せたのは海のおかげ

  • 2025.1.9

サーフィンを始めてから、明らかに自分のマインドが変わった。
そして、この変化は、わたしを解放してくれた。

これは、ルッキズムに囚われていたわたしが、サーファーになって、新しい美の基準を手に入れたお話。

◎ ◎

わたしは、生まれつき肌がかなり白い。ずっと、「同級生で色白といえばあの人」といわれていた。
さらに、毛穴が全然目立たなくて、つやつやで、ニキビもほとんどできなくて、体毛が薄い。
暴飲暴食をしても、どんな化粧品を使っても、肌は荒れない。

大学で出会った親友は、わたしの第一印象について、「白玉みたいだと思った」と言った。
現代の日本の美の基準に当てはまっているから、これでもかと言うくらい褒められるし、羨ましがられてきた。

運動もできないし、性格もオドオドしている。クラスで輝いているあの子にはなれない。
「何の取り柄もない自分の唯一の長所は肌だ」と考えていたわたしは、あの子から羨望のまなざしを向けられるたびに、自信をつけた。
いじめられても、「あいつよりお肌綺麗だし」と自分を慰めた。

◎ ◎

それから数年後。
身近な人がサーファーだったこともあり、ある年の6月にサーフィンを始めることになった。

初めてのサーフィンは難しかったが、とても楽しく、腕が動かなくなるまで夢中で続けた。
海から上がり、着替えるタイミングで、ふと鏡を見て、息を呑んだ。

ブワーーーッとそばかすが増えていた。

「なんだこの汚い肌は!!!」と発狂した。1日以上、そばかすひとつで騒いでいた。宝物をなくした子供のようだった。
さらに、自分の肌はとてもそばかすができやすく、生まれつき少しそばかすがあることを思い出した。
「全然長所じゃないじゃん」と絶望した。

目の前にある「汚い肌」と、長年の「美への執着」。
そこから、わたしのたたかいが始まった。
単なる日焼けは、当時の自分にとって、存在価値の喪失を意味した。

しかし、不思議なことに、わたしはその後もサーフィンを続けた。

◎ ◎

わたしの目の前には、ただおおきな海があって、独特のリズムで波が寄せている。

波は、毎日毎秒変わる。
たとえ天気が同じような日でも全く違う。全く同じタイミングでも、場所が少し変わるだけで全く違う波が来る。それには、風や潮の満ち引き、台風の位置など、さまざまな要因が絡み合う。

海に行っては、そのときどきの美しさを味わった。どんな海も美しいんだと心から思った。

人間だって同じだ。
肌だけでなく、容姿(特に体型)について強いコンプレックスを抱いていたが、サーフィンをきっかけに変わった。「わたしは、ただそこにいるだけで美しい」と思うようになった。

不安定な「美の基準」を盲信して、どうなるの?私は何を信じたい?私は何を美しいと思う?
と、自問自答を繰り返し、たたかい続けた。

そうしているうちに、目の前にあった「汚い肌」も「美への執着」もどこかに行った。
ただそこにいるだけで、美しいんだ。初めて心からそう思えた。

◎ ◎

海で長時間遊ぶことは、有害な紫外線を浴びて肌を老化させるだけでなく、怪我のリスクを増やす行為である。
それを自覚しながらも、寝不足でも雨の日でも生理でも海に行ってしまうほど、海に魅力されている自分を笑うしかない。

かつてのわたしに、こう声をかけたい。

海に行って、解放されてみない?

■満月のプロフィール
自分の中の矛盾や葛藤に向き合いがちです。20代後半になってから、少しずつ穏やかになってきました。人間の感情について分析するのが好き。でも、分析できないことはもっと大好き。

元記事で読む
の記事をもっとみる