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「自立した女性と付き合いたい」男友達の一言に心の中で悪態をついた

  • 2025.1.9

男友達の彼女が欲しいという相談にのっていたら、ふと彼が言った。私は、真剣に「自立した女性」ってどんな人のことをいうのだろうと考え込んでしまった。

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「自立した女性」というワードには仕事をしていて一人で生きていけるくらいは"稼いでいる"女性というニュアンスが含まれている。一方であまり聞きはしないが、「自立した男性」というと、(働いているのは前提として)実家を出て母親の世話にならずに"家事全般が出来る"男性のことを指すことが多い。明らかにジェンダーバイアスドなイメージではあるが、多くの人と話していて確実に実感することでもある。実際に、「自立した女性と付き合いたい」と発言した男友達に、「自立ってどういうこと?」と聞いたら「ちゃんと仕事して一人でも生きていけそうな人」と答えてきた。

私はその瞬間、「ナニソレ」と心の中で悪態をついた。

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一昔前までは、男性が稼いできて女性が家庭で家事をするのが家族の在り方だった。それが現代では、金稼ぎも家事も両方ともが一人で出来ないと"自立している人間"だとは言えなくなったのだ。それはとても辛いことではないか?

さらに現代では、もう一つ"自立した人間"であるための条件がある。それは、「自分で自分の機嫌を取れること」だ。これは男女問わず求められる。

私の親友を思い出す。彼女は賢くて多才で、なんでも自分でできてしまう。木材を買ってきて家に棚を取り付けられるし、稼いだお金で土地を買って開拓するし、アプリ開発や音楽祭などのやりたいことは全部一人で企画して最後まで実行するし、家事も運転もこなす。しかも彼女は他人に期待していないのか、怒ったり意地悪をしたりするところを見たことがない。恋人もずっといない上に、知り合いが全くいない土地に急に行って数年間住んだりする。私が「寂しくなることないの?」と聞いたら、「たまに寂しくなることももちろんあるけど、そういうときは早めに寝る」と答えていた。彼女はすごい。すごいけど、それが「自立」なら、私には遠い世界の話だ。

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彼女のような「自立した人間」の対極にいる人のことを現代では「メンヘラ」と呼ぶ。他人が自分に構ってくれなかったり期待通りに接してくれなかったりしたときに、自分の中でその寂しさを消化できずに不機嫌になって人に当たるとメンヘラと呼ばれてしまう。

私はたぶん、というかおそらく確実に定義上はメンヘラだ。自分にできないことについてはすぐに諦めて人に助けてもらう。悔しいことがあったらすぐに人前で泣く。涙が我慢できないので路上や電車でも普通に号泣する。路上で泣いてしまうのにとても慣れているので、最近では大量の水が溢れた目を手で隠したりせずとも真顔でスタスタと歩ける。相手に嫌なところがあると我慢せずに、怒ったり、無視したり、イジワルをしたりする。優しい人はそのことについて天真爛漫と言ってくれるけれど、私から迷惑をたくさん被っている人からは、わがままプリンセスだと言われる。暇なときは寂しくてたまらなくなり、すぐ会ってくれそうな人(男)に連絡してしまう。

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それなのに私は、人から"天真爛漫"とは言われても「メンヘラ」と呼ばれることはほとんどない。なぜだろうか。それは、ちびまる子ちゃんの世界観を意識しているからだと思う。まる子はグータラで無計画で我儘ですぐ人のせいにして文句も多く家族や他人にたくさん迷惑をかけているけれど、メンヘラとはもちろん呼ばれない。周りの人間に受け入れられ、適当にあしらわれつつ、愛されている。ここには、"完璧な自立"など必要ない。むしろ、他人に頼ったり、迷惑をかけたりしながら、お互いを許すことでコミュニティが成り立っている。

そう、ちびまる子ちゃん的コミュニティで最も重要なのは、許すことだと思う。嫌なことや、不満なことがあっても、「家族だから」「友達だから」「同じ地域に住んでいる人だから」という理由だけで特に謝罪やきっかけがなくても時間が経てば相手のことをなんとなく許して(怒っていたことを忘れて)関係を続けていく。

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大人になればなるほど、自身の価値観が固定されてきて、気の合う人合わない人の境界が明確になり、完全に気の合うと思える他人がどんどん少なくなってゆく。そのせいで昔からの友人とは段々と疎遠になっていく。いざこざがあった相手と話し合いをして仲直りできるならそれが理想だけれど、多くの場合は、話し合いで問題を解決できるというのは幻想だ。話し合いで解決するには素晴らしく足並みの揃ったお互いの譲歩が必要だけれども、人間には誰にだって譲れないことくらいある。だから話し合いがうまくいかなくても、寝て次の日起きたら許す。それができなかったら、美味しいチョコレートを買ってきて一緒に食べて、一緒に「美味しいね」と言い合うことで仲直りする。

「いつか許すし許される」そういうコミュニケーションをちびまる子ちゃんの世界の住人はやっているように私には見える。そのコミュニケーションは、現代の価値観からは外れているけれども、精神的にも能力的にも完璧ではいないことを自分に許すし、相手にも許す。私が人から「メンヘラ」と呼ばれないのは、ちびまる子ちゃん的な「いつか許すし許される」ということだけでも信じられる関係性を人と築きたいと私が思っているからなのだと思う。

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怒りや悲しみをそのままぶつけても、そのうちなんとなく元に戻れるという安心感があるから、私は涙を隠さずに流せるし、気分屋な自分をそのままにしていられるのだ。

■時田桜のプロフィール
東大数理系研究室所属修士2年。普通に恋愛依存症。ラブホテルオーナーになりたい。

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