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みんなと違うから距離を置かれた。13歳で知った現実のさびしさ

  • 2025.1.9

みんなといるのにひとりでいる気がする。周りにはたくさん友達がいて、楽しく一緒に話しているのに、友達たちと自分の間には越えられない線がある。ひとりはさびしいから、その線を消したいのに、決して消えることはない。中学生の私はそんなさびしさとずっと戦っていた。

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小さい頃から本を読むことが好きだったから、国語が得意だった。父が一緒に楽しく解いてくれるから、算数が得意だった。これだけで、中学受験では無敵だった。塾では常に一番上のクラスだったし、小学校では文句なしの秀才だった。周りから注目されることに喜びを感じていたし、自分ではできることが当たり前だと思っていたから、どこかで自信もあった。

私が住んでる地域にはトップ校はなかったから、私はA判定を取り続けていた中学校に進学した。だから中学生になっても状況は変わらなかった。みんなが知らない言葉を知っている、教科書の最後の問題を解くことができる、そんなことでクラスメイトは私を褒め続けた。もちろん嬉しかったけど、ずっと努力してたから当たり前だと思っていた。だけど、私は変わらなかった中、変わったのは周りだった。テスト前に私が少しでもやばいと言うと、「やばくないくせにそう言うのやめて。私たちの気持ちも考えてよ」、「もういいって。どうせいいの知ってるから」。そんなことを言われるようになった。

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次第に、「すごいね」、「頭良いね」が単純な褒め言葉ではなく、線を引く言葉に聞こえるようになった。私が知っている言葉や解ける問題が、次第に他の子たちとの距離を生んでいった。
私はこのときに気づいてしまった。特別でいるためには、みんなと違うという寂しさも受け入れないといけないということに。これが13歳で知った現実だった。

この現実に気づいてから、すぐに受け入れることができたわけではなかった。クラスにはすごく可愛い子だっていた。すごく足が速い子もいた。その子たちは羨ましがられるだけなのに、なぜ私だけ妬まれないといけないのか。努力と才能で得た「頭の良さ」はどうして距離を置かれる要因になるのか。考えてもわからなかったけど、さびしいのは嫌だったから、少しずつ強くなることにした。まずは周りに勉強を教えるようにした。線を引かれるのはしょうがないから、その上でできることをやろうと思った。そして、自分の弱みを人に見せるようにした。勉強は得意だったが、私は美術と音楽の才能が壊滅的になかった。美術の時間に自分の作品を自虐的に見せたり、音楽の時間に楽譜の読み方を周りに聞いたりしていると、みんなとの間に引かれていた線が少しずつ消えているような気がした。

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普通になりたかったというのは違う。みんなと同じになりたかったというのも違う。私はただみんなと仲良くなりたかった。
今ならわかる。可愛い子だって、足が速い子だって、その子なりの孤独感は絶対にあったに違いない。当時の私は自分のことしか見えないほどに子どもだった。だからきっとこの変化は私にとって必要なものだった。

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さびしさは私に生きる術をくれた。あの中高生時代を通じて、私は人付き合いが上手くなったと思う。あの頃、私は葛藤した。なんで私は自分のことが好きなのに、みんなと仲良くなるために私が変わらないといけないのか。そう悩んだこともあった。だけど、きっとあのままの私じゃダメだった。あの頃の私は人に歩み寄るということを知らなかったから。今では私にはたくさんの友達がいる。ありのままの私を受け入れてくれる友達がいる。だから私は、あの時のさびしさにありがとうを伝えたい。

■shiromiのプロフィール
読書と音楽が好き。
雪の降る地に憧れている。

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