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【賢者の選択心理テスト】ワルにだまされないためには、どうしたらいいのか?

  • 2025.1.8

今回は有名な宮沢賢治の童話から。おだやかな春の中に潜む危険、それを回避するアドバイスです。

今回は「だまされる」ということについて考えてみたいと思います。あまりいい話題ではありませんが、今もさまざまな詐欺事件が毎日のように起きています。そして、人がだまされやすくなるのは、気持ちが不安定になって、人恋しくなるからです。ワルはそこにつけ込みます。親切そうなふりをして近づいたり、恋人や子供や孫への愛情を利用したり……。「自分は騙されるようなマヌケではない」と考える人は少なくありません。でも、マヌケだからだまされるのではありません。ワルは、誰でもが持っている心の弱さにつけ込みます。誰にでも心のアキレス腱があるのです。

人が騙されているのを見ると、自分だったら、そんなふうに騙されはしないと思いますが、いざ自分がアキレス腱を攻撃されれば、やっぱり同じように倒れてしまうのです。

それに、ワルの中には、この人にはどうしても騙されてしまうという、強敵がいます。その強敵について知っておくことが、とても大切なのです。今回は“それはいったい誰なのか?”についてです。

そのためにご紹介するのが、宮沢賢治の短編童話「注文の多い料理店」です。お好きな方も多いと思います。このお話については、「糧(かて)に乏(とぼ)しい村のこどもらが、都会文明と放恣(ほうし)な階級とに対するやむにやまれない反感です」と宮沢賢治自身が書いていますが、今回は、それとはまた別の視点から、この物語を見てみたいと思います。

「注文の多い料理店」は、青空文庫で全文を読むことができます。こんなお話です。都会から来た2人の紳士が、狩猟を楽しむために、山奥を歩いています。案内してきた猟師と、はぐれてしまいました。二匹の犬も、倒れて動かなくなってしまいました。

ものすごい山奥で二人だけになってしまったわけですが、高価な犬を失って「お金を損した」と、そんなことばかりを気にしています。

そして、「狩はしなくても、宿屋で山鳥や兎の肉を買えばいい」からと、「もう戻ろう」ということにします。

でも、帰り道がわかるはずもありません。迷っているうちに、お腹が空いてきて、たまらなくなります。 そこに、一軒の立派なお店が目に入ります。「西洋料理店 山猫軒」という看板が出ています。 二人は喜んで中に入ります。すると、扉があって、

「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」

と書いてあります。

二人は、「これは、ただでご馳走してくれるという意味だ」と思って喜びます。

さらに、「ことに肥ったお方や若いお方は、大歓迎いたします」という文字があります。 二人はまた喜びます。二人とも、太っていて、しかも若いからです。

進んでいくと、また扉があります。「どうしてこんなにたくさん戸があるのだろう」と思いますが、「これはロシア式だ。寒いとこや山の中はみんなこうさ」と納得します。 その扉には、こう書いてありました。

「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」

二人は、「繁盛している店なんだな」と思います。 さらに扉の裏に、「注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい」と書いてあります。二人は、「繁盛しているだけに、待たされるということなんだろう」と納得します。

さらに扉があって、今度はこんなことが書いてあります。

「お客さまがた、ここで髪をきちんとして、それからはきものの泥を落してください」

二人は、「マナーに厳しいな。偉い人たちが来るんだろう」と納得します。

次の扉には、「鉄砲と弾丸をここへ置いてください」と。2人は、「なるほど、鉄砲を持ってものを食うという法はない」と納得します。

次の扉には、「どうか帽子と外套と靴をおとりください」

「やっぱり偉い人が奧に来ているんだ」と二人はその通りにします。

次の扉には、「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、ことに尖ったものは、みんなここに置いてください」

二人は、「何かの料理に電気をつかうと見えるね。金気のものはあぶない」と納得します。

次の扉には、「壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください」

二人は、「外がひじょうに寒いだろう。室のなかがあんまり暖いとひびがきれるから、その予防なんだ」と納得して、置いてある壺の中の牛乳のクリームを顔や手足に塗ります。 扉の裏には、「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか」と書いてあり、 二人は耳には塗り忘れていたので、耳にも塗ります。

次の扉には、「料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。すぐたべられます。早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけてください」

二人がその香水を頭にかけてみると、お酢のようなニオイがします。

「まちがえたんだ。下女が風邪でも引いてまちがえて入れたんだ」と二人は納得します。 その扉の裏には、こう書いてありました。

「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください」

二人はぎょっとします! そして、お互いにクリームを塗った顔を見合わせます。

「どうもおかしいぜ」

「ぼくもおかしいとおもう」

「沢山の注文というのは、向うがこっちへ注文してるんだよ」

「だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる家とこういうことなんだ」

二人はがたがたと震えだします。

奧の扉の鍵穴から、青い目玉がのぞいているのに気づいて、二人は悲鳴を上げて、泣きに泣きます。そのとき、死んだと思った二匹の犬が飛び込んできてくれます。そして、山猫らしい怪物を、追い払ってくれます。そこに猟師もやってきて、二人は助かります。

でも、あんまり心を痛めて、泣きに泣いたので、顔がまるでくしゃくしゃの紙屑のようになり、それは東京に戻っても、もう元には戻りませんでした。

さて、ここまで読んできて、この山猫に騙された二人の紳士について、あなたはどう思いますか?

Aさんの意見

「自分だったら、もっと早くに、おかしいと気づくと思う」

Bさんの意見

「この二人はうかつすぎるけど、でも、自分でもこうなってしまうかも」

Cさんの意見

「まさか自分のほうが食べられる側だなんて、すごく意外だから、気づかないのは当然だと思う」

どれかが正解というわけではありません。どれかは間違っているというわけでもありません。自分の素直な気持ちにいちばん近いものを選んでみてください。

心が決まったら解説を読んでください。

このテストから学ぶテーマ 「誰かに騙されるときは、自分も相手の味方をしてしまっている!?」

この「注文の多い料理店」で面白いのは、なんといっても、自分たちが料理を食べるつもりだったのに、じつは自分たちが料理として食べられるほうだったというところですね。 これが面白く感じられるのは、現実にも、こういうことがよくあるからではないでしょうか? 大規模な投資詐欺がニュースになることがありますが、投資詐欺は、自分たちがお金をもうけることができるのだと思っていたら、もうけるのは相手のほうだったという、まさに「注文の多い料理店」そのままの逆転現象です。

そして、「注文の多い料理店」がさらにおもしろいのは、何度も何度もおかしなことがあるのに、その度に、二人の紳士が、何かと理屈をつけて、おかしくないんだと思い込もうとするところです。

そもそも、山奥で、案内の猟師とはぐれた時点で、大変なことです。 犬まで失えば、なおさら大変な事態です。それなのに、お金のことなんか気にしている。 これも、自分たちが山奥で迷ってしまったという失態と、命の危険を、認めたくなくて、あえて目をそらしているとも言えます。

それでも、疲れと空腹には、どうしようもなくなります。その目の前に、西洋料理店が現れます。そんな山奥に、こういう店があること自体、ヘンです。

それでも二人は、疲れて、お腹が空いているので、その「ヘン」であることを無視します。ヘンではないほうが自分たちにとって都合がいいからです。ヘンだと感じる自分たちの気持ちを、自分たちでごまかすのです。

「ことに肥ったお方や若いお方は、大歓迎いたします」

と書いてあるのもヘンなのですが、二人はただ喜ぶだけです。扉が多いことも、「ロシア式だ」と自分たちで説明してしまいます。相手があれこれうまいことごまかしているのではなく、自分たちのほうがあれこれ考えて、自分たちを納得させているところがポイントです。

詐欺事件では、詐欺師の弁舌な巧みなのはもちろんのことですが、それだけではありません。いったん、「これはいいな!」と思ってしまうと、その後は、少々おかしなことがあっても、「いや、これはきっと、こういうことなんだろう」と自分のほうで理由を考え出して、自分を説得し、納得してしまうのです。

「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」も、相手(山猫)はじつは正直に書いているだけです。でも、二人の紳士のほうで勝手に、「繁盛していて、たくさんのお客さんから注文があるということなんだ」と解釈するのです。

「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、ことに尖ったものは、みんなここに置いてください」も、山猫が食べる邪魔になるからなんですが、2人は「何かの料理に電気をつかうと見えるね。金気のものはあぶない」と勝手に解釈します。騙しているのは山猫ではなく、自分たち自身なのです!

「壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください」というところでは、「さすがにヘンなのに気づくでしょ」と思う人も多いでしょう。

もし、お店に入ったとたんに、この文字があったら、二人だって気づいたかもしれません。でも、もうすでにいくつもの扉を通ってきて、その都度、指示に従ってきています。 そうすると、よりヘンなことでも、受け入れてしまうものなのです。

ここも大切な注意ポイントです。詐欺師は最初から大きな要求はしません。当然と思えるような要求から始めて、それに何度も従わせて、それからだんだんと大きい要求をしてくるのです。そうすると、人はついつい乗ってしまいます。

頭に酢をかけさせられてさえ、「きっと何かの間違いだ」と思うようにさえなっていくのです。二人がようやくヘンだと気づくのは、「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう」という文字を見たときです。「注文が多い」という意味を、自分たちが勘違いしていたことに気づかされるからです。「沢山の注文というのは、向こうがこっちへ注文してるんだよ」と。

現実には、ここまで至っても、まだ騙されていることに気づかない場合もあります。いえ、より正確に言えば、騙されていることに薄々気づいてはいるのですが、それを認めたくなくて、騙されてはいないと、懸命に否定してしまうのです。

周囲の人にしてみれば、騙されているのは明らかなのに、なぜまだ信じるのかと、不思議に思ってしまうでしょう。でも、たとえば、恋愛だとどうでしょう。

相手の愛情が本物ではないと薄々感じても、「いえ、きっと本当の愛情だ」と、なんとか信じたいと頑張ってしまうのではないでしょうか。人の哀しい心です。

もうおわかりになったでしょう。最初に言った、「この人にはどうしても騙されてしまう強敵」というのは、そう、“自分”のことです。人には騙されない人でも、自分には騙されてしまいます。自分に説得されれば、どうしたって納得してしまいます。 こうした心理を【自己欺瞞(ぎまん)】と言います。

自分で自分を騙すわけです。なぜこんな心理があるかと言えば、生きていくうえでは、自分で自分を騙すことも、また必要だからです。事実だけでは、人は息苦しくて生きていけません。本当は別のところに行きたくても、「自分はここが好きなんだ」と自分を騙したり、本当は死にたくなくても、「死があるから生が輝くのだ」などと自分に言い聞かせたり、そういうことがなくては、人はいつも不満足状態に陥ってしまいます。

よく「いいウソと悪いウソがある」と言いますが、【自己欺瞞】に関しても、その通りなのです。 自分を騙すことは、生きていく上で必要ですが、しかし、ワルはそこをついてきます。自分たちに都合のいいように、【自己欺瞞】をさせようとします。自分への詐欺の片棒を、自分でかつがされてしまうのです。こんなに悔しいことはありません。

「何かヘンだな。でも、きっと○○なんだろう」

というふうに、 何かおかしいと感じながらも、あれこれ理由をつけて自分を納得させてしまったときには、「でも、もしかしたら、これは自分で自分を騙してしまっているのかも」と、ちょっと思ってみてください。

自分の騙す、最強の相手は自分であるということを、ちょっと心にとめておくだけでも、ずいぶんちがってきます。いったん騙されてしまうと、二人の紳士の顔がくしゃくしゃになって元に戻らなかったように、 心に傷がついて、なかなか回復しないこともあります。人が信じられなくなったり、自分に自信がもてなくなったり……。

そういうことのないよう、ぜひ今回の内容を、心のどこかにちょっととめておいていただけたらと思います。

なお、自分で自分を騙してしまうことについては、偉人たちも、こんな言葉を残しています。

「我々は騙されるのではない。自らを騙すのだ」ゲーテ

「あらゆる詐欺のうちで第一の、最悪のものは自己欺瞞である」ベイリー

「他人に騙されるよりも、もっと悪いのは、自分が自分に騙されているのを見ることである」リュッケルト

<賢者の答え>

Aさんの意見「自分だったら、もっと早くに、おかしいと気づくと思う」 をもっともだと思ったあなたは……

あなただったら、実際に、もっと早く気づけるかもしれません。 なかなか騙されない人というのも、たしかにいるのです。ヘンだなと感じたら、その感じたことを大切にできる人。なかなか普通は難しいことなので、ぜひそのセンスを大切にしていただきたいと思います。ただ、こういうお話を読むときや、人が騙された話を聞くときと、自分が実際に騙されそうになるときでは、大きな違いがあることも忘れないようにしてください。

それは、他人事と、自分自身のこと、という違いだけではありません。たとえば、この「注文の多い料理店」で言うと、読んでいるほうは山奥で迷って疲れてもいませんし、お腹空いて倒れそうにもなっていません。そういう状態で判断するのと、二人の紳士のような状態で判断するのとでは、当然、大きく違ってきます。二人の紳士にとっては「道に迷って、お腹が空いてどうしようなもない」ということが、何より逃れたい現実です。お店を否定してしまったら、その受け入れがたい現実が残るだけです。だから、ヘンなところがあっても、ヘンではないと必死で思いたがっているところもあるのです。

お金がどうしても必要とか、困っている息子を助けたいとか、そういう必死な思いがあると、その分、人は騙されやすくなります。人にも騙されやすくなりますし、自分でも自分を騙してしまいます。

いつものあなたなら、騙されないかもしれませんが、いつものあなたでないときもあります。そういうときこそ、この「注文の多い料理店」をぜひ思い出してください。

Bさんの意見「この2人はうかつすぎるけど、でも、自分でもこうなってしまうかも」 をもっともだと思ったあなたは……

「自分も騙されるかも」と、自分を疑うことのできる人は、意外に騙されにくいものです。 なぜなら、自分を騙す最強の敵は自分自身だからです。その自分を疑えるということは、自分に騙されにくいということです。「もしかしたら、騙されているかも」と、いったん足をとめられるかどうかは、とても大きなことです。ただ、その足をとめた時点が、もうかなりいろいろなことが進んでいて、ここでやめると、すでに大きな損害が出るとか、人に迷惑をかけるとか、相手に言い出しにくいとか、そういうことがあると、やっぱり「いや、きっと大丈夫」と歩を進めてしまうことがあります。

たとえば、100万円を投資した後で、さらに50万円の投資を要求されると、「あれ? 何かおかしいな」と感じるかもしれません。でも、ここで疑ってやめ てしまうと、最初の100万円はそのまま取り戻せないかもしれません。そうなると人は、さらに50万出すほうに賭けたくなるものなのです。100万を惜しんで、150万を失うのが、人間の心の弱さです。

そうならないよう、そんなときは「注文の多い料理店」を思い出してみてください。顔や手足にクリームを塗った後でも、そこで逃げ出せれば、食べられるよりずっとましです。 自分だって危ないかもと思うことは、決して自分を軽蔑することではありません。弱さを認めて、その上で自分を愛おしく思うことこそ、自分自身とうまく生きていくための第一歩です。

Cさんの意見「まさか自分のほうが食べられる側だなんて、すごく意外だから、気づかないのは当然だと思う」 をもっともだと思ったあなたは……

あなたはとても謙虚な方です。日頃から、あまり人を悪く思えなくて、人に何かされても、「きっとこういうことなんだろう」と、良いほうに解釈してあげているほうでしょう。 あなたを心配する人たちからは、お人好しすぎるとか、もっと人を疑ったほういいとか、忠告されることもあるかもしれません。それはたしかにその通りでもあるのですが、だからといって、せっかくの自分の美しい心を濁らせてしまうのも、もったいないことです。 あなた自身は、今のままでいいのではないでしょうか。人を信じるのは決して悪いことではありません。

ただ、人に相談することを忘れないようにしてください。傍目八目(おかめはちもく)という言葉がありますが、当事者は気づかないことでも、第三者からはよく見えることがあります。周囲の人に相談すれば、何かへんなところがあるかどうか、気づいてもらえます。

そして、周囲の人から、「これはおかしい」と忠告されたときには、その忠告に耳を傾けるようにしてください。もちろん、周囲の人も間違えることはあります。でも、少なくとも耳を傾けて、その人がおかしいと言っていることについては、ちゃんと確認するべきです。振り込め詐欺なども、周囲の人に相談し、その忠告を聞いていれば、防げる場合がとても多いのです。「注文の多い料理店」の二人の紳士も、もし今の時代で、携帯で誰かに相談できれば、「その店はおかしい! すぐに逃げろ!」と忠告してもらえたことでしょう。

津田先生より

二人の紳士は、「注文が多い」というのを、「繁盛して、お客からの注文が多い」というふうに勘違いしたわけですが、これはこの2人の紳士だけではありませんでした。

短編集『注文の多い料理店』が出版されたとき、そのタイトルを見て、「料理店を繁盛させるためのハウツー本」と誤解する人も多かったようです。そのせいもあってか、この本はほとんど売れなかったそうです。宮沢賢治はさらに童話集を構想していたのに、やめてしまいました。何とも、残念なことです……。

スタッフより

「子供の頃に読んだ本で、懐かしくテストを受けました。あの頃はただ次の扉にどんな注文が書いてあるのかドキドキしていただけでしたが、いま読み返すと必死に自分に言い聞かせている猟師たちの、ポジティブ思考が圧巻でした。でも、つらいときは私も、自分に言い聞かせてることって多いなあ~と、わが身を振り返って思ってしまいました。私の選択はBでしたが、みなさまはいかがでしたか?」

お話/津田秀樹先生

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