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【世界の七不思議】何度も破壊・再建された「エフェソスのアルテミス神殿」の謎とトリビア4選!

  • 2025.1.8

世界の七不思議のひとつに数えられる「アルテミス神殿」は、トルコ西部地中海沿岸にある貿易都市エフェス(現・セルチュク)にあった巨大な神殿です。この神殿の辿った運命は、破壊と再建の繰り返しだったとされます。今回は、そんなアルテミス神殿の謎とトリビアをご紹介!

※画像はイメージです

大理石を使い、精巧な装飾が施された世界最古の神殿「アルテミス神殿」

「アルテミス神殿」が最初につくられたのは、紀元前700年ごろ。しかし、キンメリア人によって破壊され、その後、再建された神殿は、長さ115m、幅55m、高さ18mにもおよぶ巨大なものだったそうです。大理石がふんだんに使われ、精巧な彫刻や装飾が施されていたとか。

この神殿は、ギリシャ神話の月の女神アルテミスに捧げられました。しかし、歴史の中で何度も破壊され、現在では、復元された柱1本が残るのみです。

「アルテミス神殿」と当時の宗教の関係性

女神アルテミスに捧げられた「アルテミス神殿」は、宗教的・文化的な中心地としての役割を果たしていたと考えられます。

女神アルテミスはゼウスを中心とするギリシアの神々のひとりで、ゼウスとレトの娘であるほか、狩猟や自然、純潔の女神として崇められる一方で、豊穣や出産の守護神としての側面も持っていたからです。

そのため、この神殿は巡礼地となり、毎年行われるアルテミス祭では、大規模な儀式や祭典が行われていたとされます。祭りには遠方からの参加者もおり、多くの献納品や寄進があったとか。

「アルテミス神殿」の未解明の謎とトリビア4選

ここでは、アルテミス神殿のいまだに解明されていない謎とトリビアを4つご紹介します。

初代のアルテミス神殿を設計したのは誰?

紀元前550年ごろ、再建された大規模な神殿については建築家ケルシフロンと、その息子メタゲネスの名前が挙がっていますが、最初のアルテミス神殿の設計者は謎のままです。

アルテミス像の起源は?

実は、神殿の中心に置かれていたアルテミス像は、典型的なギリシャ美術とは異なります。自然崇拝の影響を受けた異質な形状(多くの乳房が象徴する豊穣)が特徴なのです。そのため、この像がどこの文化の影響を受けてデザインされたのか、いまだに判明していません。

放火による破壊により、名前を歴史に刻まれた狂人

紀元前356年に、狂人が名を残すためにアルテミス神殿を破壊したとされています。彼の名前はヘロストラトスで、この事件を契機に、彼の名を記録に残すことは禁止されたそう! しかし、皮肉にも彼の名前は歴史に刻まれています。悪名は無名に勝るとは、まさにこのこと。

なお、アルテミス神殿は、諸説ありますが少なくとも7回の破壊と再建がされたと記録されています。

再建された神殿の姿

アルテミス神殿は幾度も再建されましたが、そのたびに異なる設計だったそうです。現存する遺跡や記録から推測されているものの、最終的な完成形がどのようなものだったのかはっきりとわかっていません。

世界遺産に登録されている「エフェソス遺跡」

ハドリアヌス神殿

トルコ西部の町セルチュク近郊に位置する「エフェソス遺跡」は、2015年世界遺産に登録されました。アルテミス神殿の復元された柱のほか、ドミティアヌス神殿、ハドリアヌス神殿のほか、図書館、公衆浴場、大劇場などの遺跡があり、見学可能です。

日本からは、遠くて行くのは大変かもしれませんが、トルコを訪れた際は、セルチュクまで足を延ばして訪れたいですね。

[参考]

改訂新版 世界大百科事典

Britannica

UNESCO

[All photos by PIXTA]

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