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朝比奈あすか「なぜいじめが起きるのかを考えるきっかけに」新作小説『普通の子』は、いじめ問題に正面から切り込んだ意欲作【インタビュー】

  • 2025.1.7

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2025年2月号からの転載です。

中学受験を題材にした『翼の翼』、教室という狭い世界で子どもたちが懸命に生きる『君たちは今が世界』などで、小学生の葛藤や希望を描いてきた朝比奈さん。その新刊は、いじめ問題に真摯に向き合った渾身作だ。

取材・文=野本由起 写真=冨永智子

「ずいぶん前から、いじめを主軸にした小説を書きたいと思っていました。大人でも、集団で誰かを異質な存在とみなすことがありますが、子どももまた残酷になるのではないか。子どもたちがその世界をどう生きるのか、書いてみたくて。それに、近年いじめの事案が増え、道徳の教科書にも影響を与えるそう。こうした現実も、執筆の動機になりました」

近頃はデジタルツールの発達により、子どもの世界がますます見えづらくなっているという側面もある。

「連絡網が紙で配られていた時代は、親同士が連絡を取りやすく、我が子がよそでどういう感じなのか情報が入ってきました。今は名簿も連絡網もなく、親同士がかかわりを持つには、PTAの役員をしたり、保護者会に出席してLINEグループを作ったり、と、皆さん努力されているようです。でも、多忙な人、人付き合いが得意ではない人は、ネットワークから取りこぼされてしまうかもしれませんよね。いっぽう、子どもは学校から支給されたタブレットを使って、大人には思いもよらないことをしたり。子どもの世界には、大人の死角になっている人間関係がある。そういう現状、ちょっと気味の悪さがある現代性も、小説に取り入れたいと思いました」

ただ、ツールは変わったものの、いじめの本質そのものは変わっていないと朝比奈さんは指摘する。

「メールやLINEがない時代でも、交換日記や授業中に回すメモを誰かにだけ渡さないという仲間外れはありましたよね。根本的には変わっていないけれど、ツールによって精神性が暴徒化しかねない。そうしたいじめのことを、母親と子どもの2世代で書こうと思いました」

学校での子どもは家にいる時とは別人格

夫の和弥、小学5年生の息子・晴翔と暮らす佐久間美保は、営業職に回され多忙な日々を送っていた。ある朝、晴翔は学校に行くのをためらうようなそぶりを見せたが、家事と出勤の準備で話を訊く時間もなく、やりすごしてしまう。だがその翌日、晴翔は教室のベランダから飛び降りる。2階なので幸い骨折ですんだが、晴翔はなぜ自ら鉄柵を乗り越えたのか語ろうとしない。美保は息子がいじめを受けているのではないかと疑い、独自に調査を始めることに。やがて浮かび上がるのは、家にいる時とは違う我が子の姿だった。

「学校での子どもは、家にいる時とは別人格です。自分が思い描く我が子と実像が違う可能性も十分あります。もしかしたら些細な言動や表情から、子どもが隠している内面が漏れ出ているかもしれませんが、親も忙しいので気づく余裕がないんですよね。それに、多くの親子を見ていると、親のかかわり方と子どもの気質に因果関係があると言えないケースも少なくない。いじめる子を、親のせいにしても何の解決にもならないので、そこは切り離すべきだと思います」

しかも子どものいじめは、被害者と加害者がくっきりわかれるものでもない。言語化できない感情が渦巻き、思わぬ形で発露することもある。

「子どもの世界では、説明のつかない化学反応が起こり得ます。“こうだからこうなった”という因果関係はなく、同じ状況でも同じことが起こるとも限りません。せっかくの長編ですから、白黒わかりやすい構図にせず、なぜこんなことが起きるのか、考えるきっかけになるような小説にしたいと思いました」

朝比奈さん自身にも答えは出ず、混沌としたまま書き進めていった。

「まさに“混沌”という言葉がぴったりです。状況も子どもたちの心の中も、すべてが混沌としていて。子どもって、本当に今を生きていますよね。“こんなことをしたら将来こうなる”なんて考えず、今面白いこと、今逃れたいことに勢いのまま飛びつきます。その危うさや純粋さを見てますと、大人に言い聞かすような方法でいじめ対策するのは難しいと思います」

晴翔の周りで何が起きているのか調べるうち、美保自身も小学生時代の体験を思い出していく。クラスを仕切るアケミから、雨の中、水たまりに立たされたこと。それでも、彼女の取り巻きでい続けたかったこと。同じクラスの野々村君がいじめられていたこと。彼女の過去が語られると同時に、自分がされたことは覚えていても、したことは忘れてしまう怖さも描いている。

「いじめられている側は心が100あるとしたら99くらい、つらい気持ちに乗っ取られてしまいます。でも、いじめる側は10か20くらいしかいじめている子のことを考えていません。ご飯を食べたり、テレビを観たりしている間はすっかり忘れている。だから、記憶への刻まれ方が違うんでしょうね。それに、人は誰しも記憶を美化するので、いじめた側はその事実を都合よく忘れることも。わが身を振り返ると、私も不安になります。それでもいじめられた側は、当時のことを忘れられません。もしいじめをしたら、相手から一生恨まれるかもしれない。そう覚悟しなければならないくらいのことなのです」

誰かの心を壊したら二度と修復できない

しかも、謝罪したからと言って加害が帳消しになるわけでもない。〈加害者は一生、被害者の本物の笑顔を見ることはできない〉という言葉が重くのしかかる。

「単なる失敗なら、反省してやり直すことができます。でも、誰かの心を徹底的に壊してしまったらもう二度と修復できません。なんて恐ろしいことかと思いますよね」

いじめを根絶するすべはなくても、被害者を少しでも減らすことはできないか。本書を読みながら、そんなことも考えてしまう。

「コミュニティ心理学という研究分野では、人間の性格や行動は属しているコミュニティに大きく影響を受けるという考え方を提唱しているそうです。そこに、いじめを防ぐヒントが見つかるような気がして。例えば、クラスを1年ごとに替えたり、担任制ではなく教科制にして複数の大人の目が届くようにしたり。フリースクールという選択肢や、スクールカウンセラーとの面談を義務化するという対策も考えられます。子どもたちを本気で守るなら、学校のあり方にもメスを入れる必要があるかもしれません」

そもそも学校は、同じ地域に住む子どもたちが寄せ集められた場。クラスに馴染めない子がいるのは、なにも不思議なことではない。

「クラスの団結を目指すのもいいけれど、そればかり重視すると苦しむ子が出てくるかもしれません。ひとつのクラスにもグラデーションがありますし、人間関係は方程式にあてはめることもできません」

タイトルにもある“普通の子”とは、どんな存在なのか。いじめをする子の内側では何が起きているのか。朝比奈さんは、本書を書いたことでますますわからなくなったと話す。

「よく『うちの子は特に目立ったところのない普通の子なんです』と言いますが、その子の内面なんて親にもわかりません。逆説的に“普通の子なんていない”という解を出すこともできますが、それも単純すぎる気がして。本当に“普通の子”って何でしょうね。そもそも子どもと大人の境目がどこにあるかもわかりませんし、大人の社会でも起こるいじめを子どもたちに起こさせないようにする難しさを、これからも考え続けたいと思います」

朝比奈あすか あさひな・あすか●1976年、東京都生まれ。2000年、ノンフィクション『光さす故郷へ』を刊行。06年、群像新人文学賞受賞作を表題作とした『憂鬱なハスビーン』で小説家としてデビュー。主な著書に『自画像』『人生のピース』『君たちは今が世界』『翼の翼』『ななみの海』『いつか、あの博物館で。アンドロイドと不気味の谷』など。

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