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小学生女子、恐怖のコミュニケーション。和らげたのは1日15分の日課

  • 2025.1.7

小学生の頃、ツヤツヤでツルツルの心臓を抱えて生きていた。初めて出会う世界におっかなびっくり生きていた頃、今よりずっと怖いものが多かった。

祖母の家で見た心霊番組、ベッドと床の数十センチの隙間、帰宅した母の機嫌。ハラハラドキドキさせられっぱなしの毎日の中で、最も私を振り回していたのは、小学生女子ならではのコミュニケーションだ。

◎ ◎

小学2年生のある日のこと。昨日までは仲良し3人組だったはずのとある女の子が、「うち、これから別の子と仲良くするから」なんて平然と言い放った。私たちが何かしたのだろうか、小さな頭で一生懸命考えたけれど分からない。その後、数日間「別の子と仲良く」していた彼女は、いつの間にか仲良し3人組に戻ってきた。ほんのいたずらごころ、試してみたかっただけかもしれない。

「金魚のフン」として1年を過ごしたこともある。定年間近の女性担任を舐めきっていたクラスのボスの駒として、教室の和を乱す発言ばかり繰り返した。ガキ大将と取り巻きに見えたかもしれないが、「手あげろよ」「◯◯って言えよ」と小声で脅されながら送る学校生活はそんなにほのぼのとしたものではなかった。「お前のものは俺のもの」の方が快活で潔いと思う。

学校は好きだった。だけど、小学生女子のコミュニケーションには綿密なルールと落とし穴がある。スイッチを踏まないように、注意を払う必要があった。

◎ ◎

小学5年生になって、「彼女」と出会った。5年1組だった私は、音楽室の掃除当番。3組だった彼女は向かいの視聴覚室の担当だった。緑の廊下、左右を区切るように貼られた白いテープのあちら側とこちら側を掃き掃除しながら、15分話すのが日課になった。

彼女とのコミュニケーションには、底知れぬ安心感があった。細やかな配慮をするわけでも、価値観や境遇が似ているわけでもない。むしろ逆で、彼女は何でもあけすけにものを言う。いつもはコース料理をマナーに気をつけながら食べるような配慮を心がけていた私にとって、その粗雑さが巨大な安心感となった。彼女自身気にせず発言してしまう代わりに、彼女が何を言われても揺らがない、太陽のような芯の明るさを持ち合わせていた。

毎日15分間を彼女と過ごすうちに、「友達」というのは脳みそを介さずに口先で会話ができる存在なのだと知った。それが、どれだけ心地よく、お腹を抱えて笑うほど面白く、盛れていない笑顔を向けあった時間が、信頼という貯金に繋がるのだと知った。

1つ補足するとすれば、私が振り回されてきた子と同じように、彼女もまた、クラスの中心人物だった。スクールカーストというものが可視化されるのなら、頂点のグループでゲラゲラ笑うタイプだ。それなのに、彼女はいつもフラットに話した。たとえ相手が学年のボスであろうと、悪いことは悪い。彼女のそういう所が好きだった。

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居心地のよい友達関係を体験できたおかげで、他の女の子たちとも同じように気を抜いて話せるようになった。トラウマ寸前になっていた「女の子とのコミュニケーション」は、なんてことない、むしろ楽しくさっぱりとした物だったと、年齢が上がるにつれ認識を改めることとなった。

別々の高校に進学し、今は彼女と会う機会もない。大きな太陽のそばで笑えた日々を、日に照らされた特別棟の廊下を、現在の私の礎として、思い出す日がある。

■ひなたのさくらのプロフィール
「わたしらしく」の背中をおす新卒フリーライター。マイテーマは人の生き方・働き方。

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