1. トップ
  2. 今田耕司「今の時代やったら少なくとも3倍」“ドリフが全盛期”だった頃、1回の営業で稼いだ“驚愕のギャラ”とは?

今田耕司「今の時代やったら少なくとも3倍」“ドリフが全盛期”だった頃、1回の営業で稼いだ“驚愕のギャラ”とは?

  • 2025.1.24
undefined
(C)SANKEI

昭和のテレビ界を語るうえで欠かせない存在、それが“ザ・ドリフターズ”です。国民的コントグループとして一世を風靡し、今もなお伝説的な人気を誇るドリフターズですが、彼らが全盛期だった50年代のギャラが驚愕の金額だったことをご存じでしょうか?あるテレビ番組で、その当時の営業1回分のギャラが明かされると、スタジオは騒然。

果たして、昭和の時代に芸能界の頂点を極めたドリフターズの驚きのギャラとは、一体いくらだったのでしょうか?

ドリフが全盛期だった頃のギャラとはいくらだったのでしょうか?

さてここでクイズです!

ドリフが全盛期だった頃のギャラは一体いくら⁉

ヒント…

①昭和50年代、ドリフターズが営業1回で稼いでいた驚異の金額

②現在の価値に換算すると「少なくとも3倍」と今田耕司が試算

「今の時代やったら、少なくとも(価値は)3倍はあるんじゃない?}

答えは…1,800万円です!

タレントの今田耕司さんが、2024年8月24日放送の読売テレビ『今田耕司のネタバレMTG』に出演し、昭和の芸人たちが稼いでいた驚きのギャラについて語りました。

この日、番組内で取り上げられたのは、ザ・ドリフターズが全盛期だった昭和50年代の“営業ギャラ”の話題。なんと、ドリフターズは1回の営業で1,800万円を稼いでいたというのです。

これを聞いた今田耕司さんは「今の時代やったら、少なくとも(価値は)3倍はあるんじゃない? 5,400万円とか…」と驚愕。もし現在の基準で換算すれば、数千万円クラスのギャラを手にしていた可能性があると指摘しました。

「ファンレターと間違えて紙袋を押し入れに入れっぱなしにしていた」

番組では、元衆議院議員で実業家の杉村太蔵さんもこの話題に言及。

「この当時だったら、全部が全部振り込みじゃなかったんじゃないかな。1,800万円を紙袋でもらってたんじゃないか」と、昭和の時代は現金でギャラを受け取るのが当たり前だったことを指摘しました。

これを受け、今田さんは「(島田)洋七さんが漫才ブームの頃、ファンレターと間違えて紙袋を押し入れに入れっぱなしにしていた」という逸話を披露。洋七さんが「それお金やで!」と聞かされ、押し入れを開けるとすべて1万円札で、何千万もの大金が詰まっていたという驚きのエピソードを紹介しました。

さらに、今田さんによると、洋七さんはその紙袋いっぱいの札束を持ち、ビートたけしさんと2人でポルシェを買いに行ったとのこと。ところが、車を購入した後、ナンバープレートの申請をしなければいけないことを知らなかった洋七さん。販売店から「今日は乗れないんですよ」と説明され、「靴みたいに、その場で乗って帰れると思っていた」と苦笑しながら話していたそうです。

このエピソードを聞いた今田さんは、「すごいよね。昭和の芸人で、お金がなかった人が急に大金を持ったときの話としては伝説やね。今こんなことやったら、反感を買うだけやろうけど(笑)」と語りました。

エピソードを知るとより好きになるかも

いかがでしたでしょうか。ザ・ドリフターズが全盛期だった昭和50年代、1回の営業ギャラは1,800万円という驚きの値段でした。今田耕司さんは、当時の金額を現在の価値に換算し、「少なくとも3倍の5,400万円くらい」と試算。この驚きのギャラに、スタジオも騒然となりました。

令和の時代では考えられない昭和の芸人たちの“伝説のギャラ事情”。今後も、こうした昭和の芸人たちの逸話が語り継がれていくことでしょう。