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ニューヨークで始まった究極のイマーシブシアター『LIFE AND TRUST』

  • 2025.1.6

ニューヨークで上演中の『LIFE AND TRUST』が、世界中の演劇ファンの注目を集めている。本作は、イマーシブシアター(没入型演劇)の代名詞ともいえる『Sleep No More』を生み出したプロデュース集団Emursiveによる最新作。その魅力と革新性を編集長・島崎がレポートする。

『LIFE AND TRUST」とは?

2011年、マンハッタンのチェルシー地区にある「McKittrick Hotel」と呼ばれる廃ホテルが改装され、イマーシブシアター『Sleep No More』が登場した。開演から大反響を呼び、演劇界の各賞を受賞。10年以上経った現在もロングランを続け、ニューヨークを訪れる観光客や地元の演劇ファンから大きな支持を得ている。この『Sleep No More』を手がけたプロデュース集団Emursiveは、その後のイマーシブな、あるいはインタラクティブな劇場演出に与えた影響は計り知れない。そして2024年、Emursiveが満を持して世に放った新作が『LIFE AND TRUST』なのだ。

『Sleep No More』は、精巧な美術を施し圧倒的な世界を創り出していたが、最新作はそのスケールをさらに超える。今回は、なんとニューヨーク・ウォール街にあるシティバングのビルをまるごと大改装。1階から地下6階までをすべて演劇の舞台にしてしまった。ニューヨーク・タイムズの記事によれば、この改装とプロダクションの総費用は、細部にわたるセット構築と技術的な要求の高さから、数百万ドルに及んだという。

【参照: New York Times, 2024年7月15日】
https://www.nytimes.com/2024/07/15/theater/life-and-trust-immersive-theater.html

『LIFE AND TRUST』の観劇方法

さて、先ずは観劇方法の紹介。オフィシャルサイトで購入するチケット代は、約140$で、入場する時間帯が決まっている。さらに、早めの入場で、カクテルなどを楽しめる「PRE SHOW COCKTAIL HOUR」にアップグレードも可能。

当日は、指定した入場時間の直前にエントランスに集まる。会場は旧シティバンクビルとあって、ウォールストリートのど真ん中。普段、馴染みのない金融街を歩いていると、すでにいつもの観劇とは少し違った感覚を覚える。

ゲート前で待っていると係員が会場へエスコートしてくれる。受付を済ませ、荷物はクロークへ。スマホは劇中で使用できない鍵付きのバッグに入れるか、クロークに預けることになる。

再度IDチェック(チケット照合) を行い、しばらく薄暗い廊下を歩く。両サイドには、「LIFE AND TRUST銀行」の宣伝ポスターがならび、1929年の世界恐慌当時の世相を伝えるシニカルな広告コピーがのっている。

廊下を抜けると「コンウェル コーヒー ホール」にたどり着く。天井が高く、息を呑むような 1930 年代風の壁画が目を惹く空間だ。ここは、バーとなっていて、実際にカクテルやビールを注文して、しばらく友人らと談笑することが出来る。さらに、演者とおもわしき“係の人”が突然話しかけてきて、銀行のこと、あるいは1929年代の世相について世間話を持ちかけてくる。そう、すでに演劇は始まっているのである。

その後、渡されたカードの番号が呼び出されると、この銀行の頭取に会うために奥の部屋に案内され、いよいよ本格的に物語の中に没入していくのだ。

『LIFE AND TRUST』のストーリー

ここから先は撮影NGかつネタバレになってしまうので、資料写真を元に概要を解説しよう。

物語は、1929 年 10 月 23 日。大恐慌につながる株式市場の大暴落「暗黒の木曜日」として知られる日の前日の出来事。この日、コンウェル銀行は、祝賀会を開催し、「コンウェル コーヒー ホール」に投資家たちを招いた。投資家とは、私たち観客のことであり、観客はすでに物語の設定に組み込まれているというわけだ。そして、一度に 10 人ほどの投資家グループが銀行の創設者である J.G.コンウェルのオフィスに案内され、彼の話を直接聞く。

彼はかつて、病に伏していた妹の痛みを和らげるために中毒性のある薬を求めていた。そして、悪魔に魂を売り渡たすという取引をしてその薬を手に入れた。その後、その薬を一般に販売して財産を築き、コンウェル タワーに本社を置くライフ・アンド・トラスト銀行帝国を築き上げだのだという。

話の途中、アシスタントのリリスが現れる。彼女(もしくは彼)は、実はかつてコンウェルが取引した悪魔メフィストからの使者なのだが、改めてコンウェルに取引を持ちかける。最後の取引として、彼に一晩だけ「過去をやり直す」チャンスを与えるというのだ。この提案を受け入れたコンウェルは姿を消し、投資家(観客)たちはリリスに導かれながら、その「過去」の世界に誘われていく。

物語のテーマと体験

物語のテーマは、「信頼」と「裏切り」という2つの言葉に集約される。J.G.コンウェルの物語を通じて、観客は登場人物たちの、あるいは自分自身の「信頼」と「裏切り」を体験することになる。

『LIFE AND TRUST』の劇場空間は複数のフロアに分かれており、それぞれにそのビジュアル、音楽、匂いなどが組み合わさった異なる世界観が広がる。観客は自由に動き回り、誰を追いかけ、どの物語を深掘りするかを選ぶことができる。これにより、一人ひとりが「自分だけの物語」を体験する。

ただ、バラバラに進行して終わるのではなく、どんな動きをしたとしても観劇のうちに必ずたどり着く場面があり、散り散りに別れたキャストや観客が続々と集まってくる。そうした場面が2回ループされ、最後には一同が会したクライマックスのシーンを迎える。ラストシーンのコンテンポラリーダンスは圧巻。すべての観客はその圧倒的な表現に恍惚とした表情を浮かべ、元にいた「コンウェルコーヒーホール」に戻ってくる。

このストーリー設計は、どのように考えたのか想像できないほどに緻密で洗練されているし、だからこそ何度でも訪れて、毎回異なるストーリーを体験しながらその全貌を明らかにしたいという気持ちになる。

さらに革新的なのは、観客同士の「信頼」を試す仕掛けだ。一部のシーンでは、観客同士が対話や共同作業を求められる場面があり、他者とのコミュニケーションを通じて物語を進めるという双方向性が取り入れられている。これにより、個人の物語体験がより深みを増すだけでなく、他者との関係性においても観客自身が「信頼」や「疑念」を抱く瞬間が生まれ、まさに物語の核心について「自分ごと化」できるのである。それは、客席からじっくり鑑賞するスタイルによる演劇の作品性やテーマの伝え方とは一線を画す、深くこの上ない演劇体験だ。

イマーシブシアターのポテンシャル

日本ではイマーシブシアターというと、アトラクション付きエンタメのような印象で受け取られがちだ。それはそれでエンタメとして楽しいのだが、『LIFE AND TRUST』が提示するのは、イマーシブシアターであっても、舞台芸術としての芸術性やドラマとしての作品性が、従来の演劇を超える新しく圧倒的な体験になることの証左だ。

とはいえ、その投資額や、演劇リテラシーの日米差を考えると日本での実現は難しいかもしれない。今後の日本の演劇シーンに期待しつつも、まずはニューヨークに出かけて唯一無二の劇場体験を堪能して欲しい。

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