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「もうなにもなくなった」 過労で仕事を辞めた44歳、結婚の道を拓いてくれたのは母でした

  • 2025.1.6

「このままずっと一人なのかな」と悩むあなたに届けたい、本当にあった大人のマリッジ・ストーリー。35歳以降に結婚した大人婚の先輩たちに、出会ったきっかけや結婚の決め手、妊活・キャリア・親の問題まで根掘り葉掘り聞きました。ここに紡がれた幸せな物語はすべてほんもの。だから全部あなたにも起こりうること――。今回は、母親が取り持つ縁で結ばれたあたたかな大人婚物語。

【今回の大人婚】Kさん 結婚時の年齢:44歳

「結婚したい人へのエールになればと思い、応募しました」と話すのは、中国・四国地方在住のKさん45歳。同い年の夫・Sさんと昨年結婚しました。

KさんとSさんの恋のキューピッドはなんと“お母さん”。それぞれの母親が職場の同僚だったそう。「うちの子、独身なのよ」「うちもよ。お相手にどう?」と、冗談のように言い合っていたものの実現することなく10年以上が経過。そこからどうやって結ばれたのでしょう。

子どもの心を守りたい。カウンセラーの道へ

Kさんには学生時代に長く付き合った恋人がいました。少し先輩の彼は先に就職して遠くへ行くことになり、「結婚して自分についてきてほしい」とプロポーズ。Kさんは迷って迷って、でもNOと返事しました。

「スクールカウンセラーになりたい、という夢があったんです。家庭教師のバイトで子どもと関わるようになり、この子たちの心の支えになれたらいいなと思ったのがはじまり。カウンセラーになるには、大学院まで進んで、臨床心理士の資格をとる必要がありました。自分の夢と結婚を天秤にかけ、夢を選び、勉強の末、26歳で心理士になりました」

休みの日もスキルアップのために研修に行くほどだった

仕事はやりがいがあり、20代、30代は熱中して取り組んだそう。

「学校や病院でカウンセラーの仕事をしました。基本、相談者さんと1対1での仕事なので、出会いがないんです。でも正直、30代前半までは“結婚なんていつでもできる、今は自分のことをやり切ろう”と考えていました。推し活に励んだり、ボランティアに行ったり、精神医学の研修に行ったりと、とても充実していて恋をする暇はありませんでした」

帯状疱疹で、失明の危機

妹と弟が先に結婚し、姪っ子や甥っ子ができると、子ども好きのKさんはめいっぱい可愛がった。その様子を見て祖母はいつも「あんたはいつも人のことばっかり。自分のことはいいんかね」とKさんの結婚を心配していたそう。

「私が36歳のときにその祖母が亡くなりました。考えることを先延ばしにしてきたけれど、結婚についてもうちょっと真剣に考えてみようと思いました」

お見合いパーティに参加してみたものの、人気の男性に女性たちが集まっているのを見ると「私はいいや」と気おくれしてしまう。参加女性と仲良くなって、その彼女の結婚式に出席したことも。心優しいKさんはおばあさんが心配した通り、いつも自分のことは後回しにしてしまうようだ。

親戚の仲人おじさんに紹介してもらったりもしたけれど、縁がないのか2回目のデートにまでたどり着けない。悩んで占いに頼ったこともあったそう。

「でも、どこかのんびり構えている自分もいました。たとえば、『40代以上で結婚できるのは100人に2人』という統計を見たら、このデータっていつの時代のデータなんだろう、今の時代もっといるんじゃない?って冷静に考えてみたり(笑)。それに、仕事をちゃんとしてからでないと、結婚してはいけないという考えもありました。スクールカウンセラーの仕事は夏休みの間は給料ゼロ。フリーランスで契約期間が終われば、また新しい働き口を探さないといけない。そんな状態だから、結婚相談所に入ってまで婚活、とは踏み切れませんでした」

情熱をもって取り組んでいた仕事だったけれど、40代に入って過労がたたり、帯状疱疹になった。もともと生理痛が重く、痛み止めを常用していたKさんはそれに気づかず、働き続けてしまい、疱疹が顔にまで広がって、あわや失明というところまで悪化してしまったそう。仕事はいったん辞めるしかなかった。

母親伝いに魚と野菜を物々交換

「自然相手の仕事をしている彼は、生命力にあふれた人。一緒にいると安心するんです」

「体じゅうの痛みとボロボロの肌を抱えながら、半年以上鬱々と過ごし、なにもなくなった、この先どうやって生きようと絶望していました。ようやく症状が落ち着いた頃、最初に思ったのはハローワークに行って仕事をみつけてこなきゃ、ということでしたが、次に浮かんだのが、私を心配していた祖母の姿。結婚したいな、とふっと思いました」

とはいえ、相談所に入るには先立つものがない。一人考えあぐねて、ある日、母に相談したところ、「そういえば、いつも話してる同僚の息子さん、今も独りかもしれないよ。ちょっと聞いてみる」と言ってくれた。

10年以上前から母の話の中によく登場していた「同僚の息子さん」。釣りが趣味で、釣った魚を母伝いに届けてくれたこともよくあった。Kさんは実家で作っている野菜をお返しに渡すことも。

「仕事が辛くてお風呂で泣いていたとき、今日届けてくれたお魚おいしかったな、って思い出してふっと心が軽くなったこともありました。当時は顔も声も知らなかったけれど、母の話から素敵な人だなという印象があったんです」

その男性が、Sさん。林業を営むSさんは、おおらかで自由な人。結婚もマイペースに考えていて、ずっと独り身だったそう。ふたりは母親伝いにまずはLINE交換することに。

「最初は緊張してお互いずっと敬語でした。お魚いつもありがとうございます。こちらこそ、お野菜おいしかったです、とかそんな感じでした。そのうち、温泉旅行のお土産を母親伝いでくれたりもしました」

そしてとうとう会うことに。43歳のことだった。

神様にお願いした「運命のサイン」

「会うのが楽しみでたまりませんでした。駅で待ち合わせたのですが、彼がいうには、会ったとき私はとびっきりの笑顔だったそうです。やっと会えた!って思っていましたから」

ふたりは一緒にランチをし、その後紅葉を見に行った。KさんはSさんと写真を撮りたいなと思ったけれど、言い出せず、彼の後ろ姿をこっそり撮った。

そのときの写真「今は記念日には毎年そこで写真を撮るのが恒例になっています」

3回目に会ったとき、結婚を前提に交際を申し込まれた。そのとき、初めて二人の誕生日の話題になり、彼の誕生日がKさんの父親の命日だったことがわかったそう。

「私、今まで男性に会ってもビビッとこなくて、神社で『運命の人に出会ったらなにかわかりやすいサインをください』ってお願いしてたんです。だから、これがそのサインだって思いました」

12月初めに交際スタートした二人。クリスマス、初日の出、バレンタインデー、ホワイトデー……と恋のイベントが目白押しだったけれど、結婚に対して具体的な話が出ることはなかった。

「まずは生活を安定させるために仕事を探そうかな」と思い始めた3月。二人で広島の厳島神社を観光。鳥居に落ちる美しい夕陽の中で、彼がプロポーズしてくれた。

「びっくりして、嬉しくて、泣いてしまいました。彼が頭を撫でてくれて一緒に夕陽を見ました」

「彼はその日の朝起きて、直感的に今日プロポーズしようと決めたそうです」

出会いはきっと、あなたのそばにも

2023年6月から一緒に住み始め、8月に婚姻届を出した。

「私は生真面目なのではじめは家事を一人で抱え込み過ぎて、爆発してしまったことも。そんなときも、彼は向き合ってくれる人。今は朝が苦手な私に代わって、彼が朝ごはんを作ってくれています。晩御飯のメニューが思い浮かばないときも、彼は一緒に買い物に行って『これにしようか』『あれにしようか』と二人で考えるのを楽しんでくれる。なんでも二人で楽しめばいい、という彼の姿勢がとても居心地がよくて……。本当に出会えてよかったです」

盛大な結婚式に興味がない彼との折衷案、北海道・トマムで二人だけの挙式。親族にはオンラインで参加してもらった。

大人婚のメリットとは。

「一人の楽しさ、自由と、その反面の孤独を両方味わい尽くしているからこそ、相手の一人の時間も尊重できるところ。私は、一人だったとき、先に結婚した大人婚の人たちの話を聞いて、こうなりたいなってイメージトレーニングしていました。だから、今回、私の話も誰かの勇気になったら嬉しいと応募したんです。私たちの出会いはなにも特別なことじゃないと思っています。誰にでも訪れるもの。年齢は関係なく、出会うべき縁には、自分の想いと行動が重なったとき、必ず出会えるものだと感じています」

毎年行く初デートの場所。「今年は彼が珈琲を淹れてくれました」

(写真:本人提供)

■清繭子のプロフィール
エッセイスト/ライター/エディター。エッセイ集『夢みるかかとにご飯つぶ』(幻冬舎)2024年7月発売。出版社で雑誌・まんが・絵本の編集に携わったのち、39歳で一念発起。小説家を目指してフリーランスに。Web媒体「好書好日」にて「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」を連載。特技は「これ、あなただけに言うね」という話を聞くこと。note「小説家になりたい人(自笑)日記」更新中。

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