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大人数の会話に感じる寂しさ。でも全然大丈夫な人間のふりをしている

  • 2025.1.6

大人数が苦手だ。1対1で話すときは相手を好きになることが多いが、大人数でコミュニケーションを取ると嫌いな人が増える。

◎ ◎

まず、大前提として、大人数で話すと一人ひとりの話す時間は短くなる。

私は話すのが好きだけれど、だからこそ意識しないと話し過ぎてしまうので、皆も話したいだろうなと思って1人当たりが話す時間の長さを結構意識してしまう。もちろん厳密にではないが、例えば2人なら基本的には50%ずつになるように意識する。

しかし、人が増えると一人ひとりが話す時間はとても短くなる。6人で話していれば、1人16%しか話せない。

人間というのは意外と自分の話をしたい生き物だ。平等に話しても1人16%しか話せないのなら私は自分の話はしなくていいやと思って、聞き役に徹することが多い。実際に大人数の飲み会などで聞き役に徹していると、人って本当に自分の話を他人に聞いてもらいたいんだな〜と実感できる。だからこそ、より、おしゃべりな私でも話すのを遠慮しようと考えてしまう。

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1対1で話すと相手のことを好きになるのは、私と相手の重なる部分を大きく取れるので深く広く話せる話題が多いからだと思う。相手のことを深く知れると、なんだか前よりも好きになることが多い。もちろんあんまり好きじゃないなと思うこともあるけれど、でも深く広く知れただけ良かったなとは思える。

でも、例えば6人で話をすると、6人分が重なっている部分でしか基本的には会話が出来ない。6人分の積集合でしか会話ができないと、本当に会話の内容が浅く狭くなってしまう。

生い立ちや興味関心が近い人たちで集まればその積集合は大きくはなるかもしれない。しかし例えば、読書サークルで集まったら読書の話では盛り上がれても、それ以外の話題で深く広く会話が盛り上がるのは基本的には難しいだろう。

人への気遣いがある人間同士で集まれば集まるほどこの傾向は強くなる。あまり気遣いとかない自由人で集まれば皆好き勝手に話すのだけれど、大人数のコミュニケーションを自然に行える気遣いの出来る人間は、その場での最大公約数の話題を見つけて話を広げようとする。

だからやっぱり、自分の話をしてもこの場の雰囲気でいる限り、「伝わらない」「伝わったとしてもあまり重く扱われない」と思ってしまい、「自分の話はここでしなくてもいいや」「聞き役でいよう」と思ってしまう。

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さらに、最大公約数のコミュニケーションしか取れないせいで伝わることが少なくなると、よりコミュニケーションを分かりやすく円滑化するために人がキャラクターの型にはまっていくことが多い。バラエティ番組みたいに、それぞれの立ち回りというものが決まっていくのだ。

例えば、1人の男性の恋バナを私含む女性5人が聞いている構図のテーブルがあるとする。このときに、男性が彼女にした行動に対して、1人の女性が「それはキモいよ〜」という。そうしたら、また違う女性も「確かにそれはキモいかも」と言う。他のふたりも「なんでそんなことしたの!?」「〜〜みたいにした方がマシだったかもね」と言う。そうしたら、私は、たとえ「う〜んそんなにキモいかな?」と思ったとしても賛同するしかないのだ。これは、他人に対して自分の本音を言える強さを持っているかどうかの問題ではない。私は結構思ったことをはっきりと言葉にするタイプだが、少人数の会話のときなどの対話ができると思えるフィールドや、ブログなどの言葉をキャラクターとか抜きに受け取ってもらえる可能性のあるフィールドでしか純度の高い本音は言わない。こういう場面で「う〜んそんなにキモいかな?」というのはただの空気の読めない人間でしかないのだ。そういう空気を読めているからこそ、実際に私は大人数のコミュニティに呼ばれているわけだし。

深みや広さがある人間が集まればこんなことにはならないのかも知れないが、こういう場面に遭遇するたびに、大人数のコミュニケーションというのは、会話というものに重きを置いていないと思ってしまう。大体、近況報告などのこの人は今こんなことをやっているという情報を交わしたり、お祭りのように、ひとつの大きな物事を共有してお祝いしたり楽しんだりするのが向いている。

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大人数のコミュニケーションでは、「自分の話を人に聞いてもらうことはできない」「相手の話もあまり純度が高く伝わってこない」と、寂しさを感じることが多い。

だからといって寂しさに疲れて離脱するのは無念だ。大人数の時ほど、自分が仲間はずれになることへの警戒心は強い。例え、疲れたタイミングで1人になるときがあっても、寂しくないですよ、ちょっと1人で考え事しているだけですよと自分に言い聞かせることで大人数でも全然大丈夫な人間のふりをしている。具体的には、隅の方に逃げて、大人数でコミュニケーションを取っている最中のみんなのことを外から偉そうに観察する。それで今まで書いたようなことを1人でずっと考えている。

そうやって、大人数のコミュニケーションでの寂しさに疲れたとき、隅の方に逃げてメタ認知する癖がついてしまった。

■時田桜のプロフィール
東京大学に所属する21歳です。大学では社会学や数学を勉強しています。SNS上では、ラブホテルエッセイを連載しています。好きな作家は山田詠美さんです。

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