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【ネタバレ解説】映画『ミステリと言う勿れ』を考察!久能整と広島の関係や「乾く前のセメント」とは。名言も紹介

  • 2025.1.4

田村由美の同名作を原作とし、2022年冬クールの月9ドラマとして人気を博したドラマ『ミステリと言う勿れ』(フジテレビ系)。菅田将暉演じる主人公・久能整が事件を解決しながら、淡々とした語り口で人の心をほぐしていく。原作を再現するかのようなキャスト陣の演技と意外なストーリー展開から、見応えのあるミステリードラマであった。

そんな人気ドラマが2023年に映画化。原作2巻〜4巻に収録される人気の高いエピソード「広島編」が展開された。原菜乃華や松下洸平、町田啓太、柴咲コウなど豪華な俳優陣により、新しい事件が始まっていく。

今回はあらすじとともに、整の名言や映画を通して生まれた謎、物語が本当に伝えたかったことを中心に考察していく。

『ミステリと言う勿れ』(2023)あらすじ

ミステリと言う勿れ

美術展を見に広島を訪れた久能整(菅田将暉)は、ある事件で知り合った青年・犬堂我路(永山瑛太(瑛太))を通して、高校生の狩集汐路(原菜乃華)に出会う。整は過去には死者まで出たという狩集家の遺産相続をめぐる問題に巻き込まれていく。

狩集家の祖父が残し、代々顧問弁護士と税理士を務める車坂家、真壁家によって開封された遺言書。そこに残された指示のとおり、その孫である狩集汐路、狩集理紀之助(町田啓太)、赤峰ゆら(柴咲コウ)、波々壁新音(萩原利久)は謎解きに巻き込まれていく。孫たちの親であり、狩集家の子どもたちは全員交通事故により、命を落としていた。4人は謎解きをしながら、自分の親の死と向き合い、狩集家の真実に迫ることになる。

*以下、ネタバレを含みます。

作中で出てきた心に響く久能整の名言

この作品の魅力を支えるのはなんと言っても久能整の名言だろう。それは映画でも変わらず健在だ。物語の根幹に関わるものから、思わずハッとさせられるものまで登場した名言を振り返りたい。

「子供って乾く前のセメントみたいなんです」

幸と汐路に対しての発言。今作において重要な意味を持つセリフだった。子供の頃に「落とされた物」はその形がそのまま残ってしまう、という意味で、アメリカの児童心理学、ハイム・G・ギノットの言葉を引用したものだ。

初めに整が言及したのは、新音を嗜めた時だ。蔵の中に何があったかを教えようとしないゆらに対し、新音はゆらの娘・幸に聞き出そうとした。しかし整は、それは子供をスパイにする行為であり、子は親の足を引っ張ってしまったことを一生悔やむことになると制止する。新音は子供だからわからない、と反論したが、自分が子供の頃バカだったか? と問いかけられ考えを改めた。

二度目は、汐路の悪事がバレた時だった。狩集家の子孫たちが争っているように偽装する汐路を整が止めた際、汐路は祖父から「殺しあう一族なんだ」「お前もそうなる」と幼い頃から言われていたことを告げた。そんな汐路の発言に、整は「どうしてそんなことを子供に……」と憐れむ。

子供の心に跡をつけよう、と思って行動する人は少ないだろう。新音のように、子供だからわからないだろう、と悪気ない行動が子供に大きな影響をもたらす場合がある。その結果、汐路のような跡が付きつつある子供がうまれていたと思うとやるせない。心に留めておきたい言葉だ。

「どうして女性の幸せを決めつけるんだろう」

娘の幸を父親に預けて、遺産相続に向けた謎解きをおこなっているゆらを叱責する父親に、整が放った言葉だ。ゆらは幸を授かったことをきっかけに仕事を辞めて、家庭に入っていた。そのゆらに対して父親は「幸とのんびり過ごしていられる。それが女の幸せだ。」と話す。整はもし家にいて家事と子育てをすることが本当に楽で幸せなことであったら、もっと男性がやりたがるはずだと語る。最後には、目の前にいるゆらがどんな顔をしているのかに気づいていないとゆらの父親を諭している。見ているものをグサリと刺してくる現代の社会に対して響く言葉だろう。

「“女の幸せ”とかにもだまされちゃダメです」

同じくゆらに付け加えるように言った言葉。「女の幸せ」という言葉を言いだしたのは「おじさん」たちであり、女性をある型にはめるために編み出された呪文だと考える。この世の中には他にも女性に対する呪文のような言葉がたくさんあるが、自分の中から出てきた言葉を使って欲しい、幸ちゃんはその方が嬉しいはずだ、と伝えた。その言葉に、ゆらは救われたように見えた。

「犯罪とは、人間の努力が裏側に表れたものにすぎない」

これは最後に犯人に向けて整が言った言葉だ。映画『アスファルト・ジャングル』のセリフから引用されている。この映画は、犯罪者側の視点が描かれる強盗の裏側を描いた群像劇である。本作では犯人が犯行を隠そうとしたときに、整が発したセリフである。自分が行なっていることに向き合えていないからこそ、やっていることが悪いことだと自覚できないのだ、と犯人に指摘した言葉だ。このセリフは本作の結末を端的に表現する一言になっている。

久能整の出生の秘密と“乾く前のセメント”

これまで整が施設で育っていること以外、親も出生地もわかっていない。ドラマの1話では、父親への恨みがあること、親から虐待を受けていたことが予想される展開があった。

整が広島駅から迷わずに原爆ドームに向かい、路面電車に迷いなく乗る姿、広島焼きをヘラで食べる姿を見て、汐路は整が広島出身なのではないかと聞いている。ちなみに原作では整が広島から帰るときに、駅でトトロと呼ばれて人違いですと返すシーンがある。実は原作の1話の時点で「トトロというのは学生時代のあだ名」であると整が語っているシーンがあり、トトロとは整のことで間違いない。整は否定しているが、広島出身である可能性が高いだろう。

また、本作の印象的なセリフとして前述した「子どもって乾く前のセメントみたいなんです」。整は幸や汐路にこの言葉を送り、間接的に周りの大人たちに対して苦言を呈している。整も広島も生まれ、幼い頃乾く前のセメントに何かを落とされたのではないだろうか。

“遺産相続事件”に隠された物語の本質

狩集家の遺産相続をめぐる謎解きから始まる物語。汐路が語るように殺し合いがおきるのではないか、誰が謎を解いて遺産を相続するのか。そこから物語が進むにつれて、汐路は何を求めてこの行動をおこしているのか、狩集家の孫の親たちがなぜ交通事故にあったのかが徐々に明らかになっていく。観ているものを没頭させるようなストーリーだった。

しかし物語の本質はミステリーとは別のところにあったと思う。それは序盤から終盤まで一貫してメッセージを発していた、大人の無神経な言葉が子どもに与える影響の大きさだ。特に真犯人を追い詰めるシーンは一種の“縛り”のような、言葉にしがたい気持ち悪さが含まれていた。まさに汐路の「セメント」に、抉るように跡をつけるその瞬間を見せられているようだった。だからこそ、父親から汐路に残された言葉の数々は、これまで押しつけのように刻まれてきたものとは対極で、美しく染み渡った。

この作品は汐路を通して「乾く前のセメント」へ物を落とすことの罪深さを語っていたように思う。セメントに跡がついてしまった子供たちへの具体的な言及もあった。汐路は序盤では大声で整を呼び、大きな音を立てて扉を開けるようなガサツな印象の女の子だった。しかし、整は彼女が否定疑問文で話すことが多いと気づき、その根元には怖さがあると見抜いた。汐路を「セメントに落とされたものがおそらくたくさんある」と慮り、少し穴を埋めることはできると語りかける。そして日本はアメリカに比べて弱さを認めない根性論な文化があるが、その弱さを当たり前だと思えると良い、とつぶやく。

もともと整がこの事件に巻き込まれたのは我路が仕組んだことだった。なぜ我路が整と汐路を引き合わせたのか。その理由はこのラストシーンに込められていたと感じる。

『ミステリと言う勿れ』作品情報

◼︎上映日:2023年9月15日(金)
◼︎配給:東宝
◼︎公式HP:https://not-mystery-movie.jp/

(C)田村由美/小学館 (C)2023 フジテレビジョン 小学館 TopCoat 東宝 FNS27社

2023年9月17日時点の情報です。

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