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異性愛という悲劇。異性愛者の女性よりレズビアンの方が幸福度は高い?という考察について

  • 2025.1.3

またモラハラ男か。近年、ドラマを見ていて彼女や妻にモラハラをする男性キャラクターを頻繁に目にするようになった。またか、とうんざりしそうになるが、本当にうんざりすべきなのは、モラハラ男がファンタジーではなく現実世界でも「あるある」だという点だろう。

女友達(または姉や妹)の彼氏や夫が、友達に対して「お前」」呼ばわりしたり、「俺の嫁」呼ばわりして明らかに下に見ていたり、という場面を一度も見たことがない女性はいないはずだ。

また、「自分より高学歴、高収入の女性は恋愛対象にならない」と恥ずかしげもなく公言する平凡な男性をメディアで目にすることも珍しくない。田舎に行けば、正月の集まりでなぜか女性陣だけが忙しそうに働き、男性陣がビール片手に談笑しているという光景も廃れていない。

こういった光景を目にするたび、異性愛を基盤とする男女のペアは、家父長制を推進し、女性を抑圧する装置に成り下がっているのではないか、と疑いたくなる。男女の友達であれば、女性だけが男性のために働き、ケアしたり、男性が女性を見下したりすることなどなかったはずが、異性愛カップルになった途端、女性は二級市民に格下げされてしまうようだ。

異性愛者はかわいそう?異性愛者の女性より、レズビアンの方が幸福度は高い?

カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授でレズビアンのジェーン・ウォードの著作『異性愛という悲劇』(太田出版・安達眞弓訳)は、そういった異性愛の負の側面に着目した一冊だ。

「異性愛者の皆さんが心配だ」という一文から始まる本書は、これまでメディアで繰り返し語られてきた「異性愛者はクィアよりも生きやすい」という前提を考え直すべきではないか、という視点から書かれている。

メディアで同性愛などのクィアが表象される際、自身の性自認や性的嗜好に悩んでいたり、いじめられたり、困難を苦に自殺をしたりすることがよくある。あたかも、クィアは幸せになれないと言わんばかりだが、よくよく考えてみれば、それらの悩みは「社会から差別される」ゆえの悩みであって、カップル間の精神的・肉体的暴力や蔑視が原因ではない。

ジェーン・ウォードは、レズビアンのカップルなら、そもそも愛していると告白された相手からしたり顔でつまらない講釈を垂れられることもなければ、女性だからという理由でパートナーから過小評価されたり、家事育児を担うのが当然だといった顔をされることもなく、そもそも、女性を蔑むという思想が影を落とすことがない、と述べている。

また、統計上、レズビアンの方が異性愛者の女性よりも、オーガズムに達する率が有意に高く、カップル間で家事育児が平等に分担されており、異性愛者の女性よりも年収が高いらしい。

理論家で詩人のアドリエンヌ・リッチは「異性愛者の恩恵によくするのは総じて男性であり、女性たちは必ずしもそうと言えないのは、女性というだけで、暴力を振るわれ、支配され、軽視され、期待はずれだと扱われる社会構造があるから」であるとし、また、「男性から愛されて幸せになる明るい未来とは、女性たちを唆し服従という不都合な真実を薄いベールで包み込む疑似餌のようなものだ」と形容している。

異性愛が女性に服従と絶え間ないケアを要求するものなのだとしたら、なぜ女性はわざわざ異性愛を選ぶのだろうか?

女性が異性愛を選ぶのはなぜか

選ぶも何も、そもそも生まれた時から異性が好きだったから、自然とそうなったのだ、と言う人もいるだろう。同性愛者が選択して同性愛者になったわけではないのと同じように、異性愛者も生まれつき異性愛者だったのだ、と。

しかし、異性愛者や同性愛者であることは全員「生まれつき」であり「生涯変わらない、変えられない」ものだという認識は端的に言って間違っている。異性との交際や結婚を経験した後、同性愛を選ぶ人もいる。人によっては、性的嗜好とは変化し、そして選び取れるものだ。

本書では、「異性愛規範は自然で自由に生じた性的嗜好のもと体系化され、文化的に中立な構造ではなく、世界のさまざまな集団で構成された強制的な組織体系であり、“権力によって課せられ、管理され、組織化され、思想的に教育され、維持することを義務付けられてきた”社会制度」だと指摘している。

結婚という社会制度があるがゆえに「結婚したい」という欲望が生まれるのと同様に、「異性愛が正しい」という社会制度があるゆえに、「異性愛」を欲望することもあり得る、というわけだ。

また、男女の賃金格差や社会的地位が未だ大きな開きがある日本においては、権力と金を稼げる力のある男性とペアになることは、女性にとって生存戦略になり得るという現実も指摘しておくべきだろう。

本書は主にアメリカの文化を背景に書かれたものだが、「有色人種や労働者階級の女性たちは、権力と呼ばれるものを手にしていないので、男性が配偶者であることで得る恩恵が増大する」と指摘している。

「異性愛の悲劇」から逃れるために。性別二元論に組み込まれた女性蔑視の恋愛指南に要注意

それにしても、「自然なもの」のはずの異性愛者として、男性とパートナーになった女性が被る数々の不利益や不公平を目の当たりにすると、「本当にそれしか道はないのか」という疑問が湧く。

異性愛が必ず悲劇的で女性を隷属させる結末になる、というわけではない。

しかし、異性愛に組み込まれている「男女は全く違う生き物であるから、わかりあうために努力が必要」という性別二元論に基づいたさまざまな恋愛指南は、結局のところ「女性は男性より劣る」の言い換えであるケースが多い。

「男性はプライドが高い生き物」は「女性のプライドより男性のプライドを優先させろ」の意味だし、「女性は感情的、男性は知的」は「女はバカ」と同義だ。

異性愛を「選択」するならば、このような性別二元論に基づいた女性蔑視の罠に自らはまり込まないよう、よくよく注意する必要があるだろう。

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。

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