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幼いころからの友達と仲良くないのは、悪いこと?

  • 2025.1.3

子どものころについて、私が覚えていることのひとつは、友達を作るのがいかに簡単だったかということ。「一緒に遊ぼう」と無表情でほかの子に尋ねると、相手は「いいよ」か「いや」の2択で返答する(もし今同じことをしたら、通報されるだろう)。

中高生のころも、友達を作るのはそれほど困難ではなかった。教室で隣の席になった同級生たちと、昼休みにお菓子を分け合ったり、同じ学年の誰が魅力的かを書いたメモをくしゃくしゃに丸めて、こっそり渡したりしていたのを覚えている。若いころの私には――グループ全員と絆で結ばれているとまではいかなくとも――1人は親友がいた。実際には「社会ののけ者」のほうが私らしいのかもしれないが、そうではなかった。

今の自分の周りを見てみるとどうだろう。前頭葉が完全に発達する前の私を知っている親しい友達は、ほとんどいない。小学校時代からの大好きな友達や、10代のころに同じヴィンテージショップで働いていた友達(バイトの記憶は黒歴史だ)と、少しはいる。でも、それ以外で言うとまるで、友達がすぐできていた時代が私の歴史から消されたような状態。私が若いころに何か恐ろしい罪を犯し、人間関係をリセットして新たな人生を歩まざるを得なかったのでは……と、パートナーが疑ってもいいくらい。

「幼なじみがいない人は信用できない」という説がある。何か理由があるに違いない、と思われる。何か異常な行動をとったのでは。もしかして邪悪な存在なのかも、と。私情に寄った意見かもしれないが、私はそうは思わない。

私は小中学生の間、2回転校し、3つの異なる学校に通った。何か不吉な理由があったわけではない。単にその時期、母と引っ越しを繰り返しただけだ。結果、私は期間限定の友人関係を築くのが得意になった。離れても連絡を取ろうとしたが、iPhoneが普及する前は簡単ではなかった。それに子どものころは、目の前にいる誰とでも友達になる。私の場合、その相手がよく変わっただけだ。

加えて、幼いころの私は気まぐれだった。よくパーティーをドタキャンして、友達を怒らせた。今思うと、おそらく社交不安や内向的な性格のせいだったが、それでみんなをイライラさせてしまった。大人になってからは、コントロールできている。正当な理由がない限り、私はめったにドタキャンしない。友人関係は庭のようなものだと、21歳のころに気づいた。定期的に水をやらないと、すぐに乾いてしまう。

私はロンドンで自宅から近い大学に進学したため、新入生のイベントにわざわざ参加することはなかった。寮に入ったのも、後に誰かが退学して部屋が空いたから。皆が地元を離れて刺激的な新生活をスタートさせたのに、私はこれまでと同じ場所に留まっている。そんな断絶感を覚えることがとても多かった。何人か友達ができ、真剣交際も経験したが、大学での人間関係は一生ものの関係には発展しなかった。これに関しては、引っ越しやスマホの不在といった理由はない。ただ、私自身が努力していなかったのだ。今思えば、精神的に沈んでいたのかもしれない。卒業の時期がやってくると、もう一度リセットしたいと思っていた。親しくなった人たちとも、また「期間限定」の間柄になってしまった。

ありがたいことに、最近は大好きな仲間がたくさんいる。さまざまな別れ、転職、奇妙なタトゥー、踏んだり蹴ったりな時期を乗り越える私を見守ってくれた人々だ。でも「幼いころからの親しい友人があまりいないことを寂しく思う?」という質問には、もちろんイエスと答える。ある意味、12歳のときがいちばん自分らしい自分だと思うし、その年齢で出会った人は、人生の後半で出会った人とは違う次元で自分を理解しているだろう。

かといって、幼なじみがいないだけで、私が悪人や信用できない人間になるわけではない。少なくとも、私はそうは思わない。今周りにいる人々に評判を聞いたほうが、結論が早い気もする。

Text: Daisy Jones Translation: Rikako Takahashi Adaptation: Sonia Kanazawa

From: VOGUE UK

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