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妹「できちゃったの…」私「相手の男性は?」ニートと結婚した妹の衝撃末路

  • 2025.1.2

※本記事はFUNDO編集部へ寄せられた読者様の体験談を元に作成しています。 実際の個人情報の特定を避ける為に一部フィクションや編集を入れております。

あれは10年前のこと、当時23歳だった妹から突然LINEが来たことを覚えています。

「できちゃったの…」姉である私は、瞬時に「あ、赤ちゃんのことか。」と察してこう聞いたのです。

私「相手の男性は?」 妹「それが……ニートでさぁ。」 私「赤ちゃん育てられないじゃん?」 妹「カレの実家が清掃業者なんだって。その手伝いなら仕事があるみたい。」 私「その男性は、働く気があるの?ニートって言ってたけど。」

ここで、LINEが途切れます。 当時、私は実家に居心地の悪さを感じて一人暮らしをしていた頃の話です。妹も同じく、実家の居心地の悪さを感じたのでしょう。男のところへ転がり込んで、居座った矢先の出来事でした。

なぜ、実家が居心地が悪かったのか

そもそも、「実家が居心地が悪い。」と感じていた原因は、母子家庭で育てられた私たちの母親の存在が大きかったのです。

学生時代は「お金がないから大学には通わせられないの。」と言い張り、私に対しては「ごめん。高校の学費払ってくれる?」とアルバイトを強要されて、高校受験の時は離婚前の父親も居たので、いわゆる「教育ママ」だった母親。

私は進学校に通学していたのですが、「大学にも行けなくて学費を払うのはバカらしい。」と結論に至り中途退学しました。

その後、10代後半にしてフリーターでのらりくらり日銭を稼ぐ日々を送っています。妹に対しては、何故か同じ進学校でも母親が学費を払い続けて、妹の夢であった美容系の専門学校まで進学して学費を払っていたそうです。

この「姉妹格差」によって、私が20歳の時に実家を離れることにしました。

恵まれた環境の妹がなぜ実家を飛び出したのか

後日、私は妹に尋ねたのです。 「なんで実家から出ていったの?」すると妹は 「ママから、なんで飲み歩いているの?!晩御飯を作って待ってたのに!家に帰ってきなさい。って感じで、毎日のように来るLINEがウザかったからさ。」

……たったそれだけ?とあっけにとられながらも、若かった私も妹の気持ちを考えると「確かに、それはウザい。」と返すのがやっとでした。

妹「お姉ちゃんは良いよね。一人暮らしって気楽でしょ?母からの束縛もなくて。」と、ひがんでたので「じゃあ、男に依存する生活なんてやめれば?」というLINEによって姉妹仲も最悪にしてしまいました。

これで、しばらくは連絡は来ないだろう。私は私で、妹のように夢を持って生きていきたかったという、ひがみがあったのでスッキリしました。

妹から送られてくるLINEは「赤ちゃん産まれました。」のみ

その後、妹とは数年おきに連絡を取るだけで、その内容も妹の一方的な「赤ちゃん産まれました。」というメッセージと産まれたての赤ちゃんの写真。

見方によっては……ちょっとグロテスクです。実は、子どもが苦手な私にとっては、「そう捉えてしまうのが良くないな。」と思いつつも「生理的に受け付けられないんだから仕方ない。」とも割り切っています。

「おめでとー!」とスタンプを返して、名前も聞かないで放っておきました。そのやり取りが、初産から4回ありました。つまり、妹は4人も赤ちゃんを産んだということになります。

ニート義弟も就職した様子

流石に、子どもを産み過ぎた責任をやっと覚えたニート義弟。 あとから聞いた話では実家の清掃業を継ぐために就職したそうです。 さすがに子どもと奥さん食べさせていくのに、ニートのままでは限界があります。

しかし、長くニート生活を続けていた義弟はまともに仕事ができるはずもなく、仕事を辞めては始めて、辞めては始めてとフリーターのような生活を送っていたようです。 それでも働かないよりはましなのですが...

そして、あれから5年が過ぎました。初産の子どもは4歳になり、妹からは保育園で遊んでいる「誰が誰だか分からない写真」をLINEに送り付けては「子どもたちは全員元気です。」と一言添えるだけ。

「よかった。」とだけ返しながら思ったのは「あ、そっか。妹も働いてるんだな。」ということ。 「夫婦共働きで子ども4人か、絵に描いたような幸せ家族ってやつか。」と羨ましく思いながらも「ま、私はのらりくらり過ごそう。」と改めて自分の人生観を確立しました。

幸せ家族にやってきた衝撃の末路

いわゆる「授かり婚」と呼ばれている妹のやりとりから10年後、妹からいつもの急なLINEが鳴ります。 土曜日の朝の出来事でした。私は夜まで働いてたので眠い目をこすりながらLINEを開くと、家の写真と「マイホーム建てたから遊びに来て!」といきなりフレンドリーな内容です。

私「いつ行けば良いかな?」妹「今日とかどう?」私「仕事で疲れてるんだ、午後からにして。」と、朝日も入らない西向きの部屋で二度寝するを決めた私。

次に目覚めたのは、午後1時でした。妹「いつまで寝てるの?今日来るの?」私「ていうか、どこにマイホーム建てたの?」と聞くと、なんと、私の住まいの近所だと言うのです。 妹「お母さんから聞いたよ。お姉ちゃんの近くに住んだら、色々手伝ってくれるって。」 ……なんのことだろう?手伝う?疑問符が頭に浮かびましたが、とりあえず話を聞いたほうが良さそうな空気だったので、適当に着替えてすっぴんで送られてきた住所に向かいました。

似たような建売の住宅街。通ったことかあるかも記憶も薄い場所に向かい、「多分、ここだろうな。」とインターホンを鳴らします。 妹「開いてるよ!」と言うやり取りも、かれこれ10年ぶりと言ったところでしょうか。「お邪魔しまーす。」と玄関に踏み込んだ時に、急に排泄物の臭いがしたのです…! 「え……。」とポカンとした私。

「あ、おねえちゃんでしょ?」と無邪気な子どもが話しかけてきて、この子からではないようだが、家中に蔓延している臭いの原因を聞いてみました。 私「このお家のトイレ、壊れているのかな?」慣れない子どもに話しかけると、「ちがうよー、あの子だよ。」と、指を指した先には2歳から3歳くらいの双子が。 妹「来るの待ってたよー!早速だけど、その子のオムツ取り替えてくれる?」 私「は?」……そうか、手伝うって、この子の事か。てか、子ども何人居たっけ?子どもたちがギャーギャー騒いでいるにも関わらず、再び啞然としている私に笑っている妹。

「だいじょーぶ?」 私「いやいや、なんで私がこの子のオムツ取り替えるの?」 子どもたち「だって、きたないんだもーんw」

……おかしい、いや、すべてがおかしい。私「お邪魔しました。」そのまま踵を返す私。子どもが「もうかえっちゃうの?」と言い、引き止められる前に私が「バイバイ。」と家から出て行きました。

後から知った話ですが、最終的に子どもは6人になっており、金銭的にも躾的にも子育てが厳しい状態になって児童相談所への相談を行ったようです。 その後のことは分かりませんが....私にとっては後味の悪い出来事となりました。

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