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明るい自分は本当の自分なのか。過去の私を忘れることに感じる怖さ

  • 2025.1.2

私が一番こわいものは“明るい自分”である。

幼い頃、私は不登校や身近な人の死などを経験し、なんとなく自分は普通の人と違う、どこか暗くて、そんな自分で一生生きていくんだと思っていた。数十年経って大人になった私はこうして当時を数行に収めることもできるようになったが、まあツラい過去であったことに違いはない。

◎ ◎

そんな私にも小さい頃から楽しみはあって、絵は物心ついた頃にはもう描いていたし、他にも料理や裁縫など、何かを作ることが好きでもあり、得意なことでもあった。高校生になるとその範囲は広がって音楽となり、アコースティックギターを始め、思いの丈を綴った歌詞を曲に込めるようになった。

大学生になる頃には祖父に譲ってもらったカメラをはじめ、社会人になりたての頃には気持ちや考えを文字にすることが得意なことにも気がついた。
私にとって好きは、やがて趣味になり、いつしかうまく言葉にできない想いを伝える手段になっていた。

現在の私はというと、社会人になって1度転職もし、これもまたぎゅっと縮めるとわけがわからないかもしれないが、色んな、本当に色んなことがあって今では接客業に携わり、毎日人と関わり、誰かに喜んでもらうことにやりがいを感じている。

多趣味ということと、培ってきたコミュニケーション力で大人になってからも新しく友達が出来たり、仕事でも目標を持って頑張れたり、恋人ができて結婚の話が出てきたり。どんなに辛い過去があっても、人生は変えられると、そんなどこかで見たことがあるような綺麗事のようなフレーズも、信じられるようになった。

◎ ◎

「なんだ、私も普通に生きられるのか」そう思えるようになったとき、私はふと最近趣味の時間がめっきり減ったことに気がついた。

仕事でメモに少し添える以外の絵はいつ描いただろうか。カラオケで歌は歌えるけど、ギターはいつ弾いた?自分で曲を作ったのはもう何年前だろう。
そう思ったとき、私は怖くなった。あの頃の私はどこへ行ったのだろう。

一生懸命仕事をして、帰ってたらご飯を食べて疲れて眠り、休みの日は友達や恋人と出かけたり、のんびり家でテレビを見て、スマホで撮った写真を見返したり。これが今の私の普通。

あの頃の暗く、誰かに頼ることもできず、生きる意味すら失いかけていた、そんな私から紡ぎ出されていたものたちはもっと深く、重たく、強いものだったじゃないか。それがあの絵を、曲を、写真を、言葉を、私を、生かしていたのに。

◎ ◎

今の明るい自分は、嫌いじゃない。楽しくて、誰かと笑い合える日々は幸せだと思える。
ただ、私はあの頃の自分を忘れたくもない。

だからこうしてたまに文字を書く。文字を書きながら、つい置き去りにしてしまう自分自身を振り返る。そうすると、ふとギターを持って歌いたくなったり、カメラを持ち歩きたくなる日も来る。昔ほどじゃあないけれど。

私は、明るくなりきってしまうことが怖いのだ。そして、ちゃんと覚えていたいのだ。黒い影があるからこそ、光が輝いて見えるのだと。

■惟井月子のプロフィール
思いつきで色々する、おもいつきこ。何かをしながら何か別のことを考えているのは常。人と街中を歩いていても新しい景色に興味がわくので、特技は「一度行った道はどんなに遠くても絶対帰れること」。なお連れの話はあまり聞いていない。

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