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「テレビが伝えてきた謝罪は、電波で増幅された“儀式”かもしれない」…「飯沼一家に謝罪します」大森時生&寺内康太郎が語るテーマ

  • 2025.1.1

2024年5月に放送・配信され、大きな反響を呼んだ「イシナガキクエを探しています」に続く、「TXQ FICTION」の第2弾「飯沼一家に謝罪します」が昨年末、12月23日〜26日の連日深夜2時より4日間にわたって放送され、現在Tverで配信中だ。

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PRESS HORRORでは、大森時生、寺内康太郎、皆口大地、近藤亮太の4名が引き続き結集した制作チームにインタビューを敢行し、多くの謎を投げかけた作品の狙いや、“謝罪”というモチーフに込めた真意について尋ねた。

【写真を見る】クリエイター陣が明かす、「飯沼一家に謝罪します」のテーマとは [c]テレビ東京
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「イシナガキクエ」の放送直後に大森×近藤、寺内×皆口のインタビューを連続掲載したが、「飯沼一家」では組み合わせを新たに、ふたたび前後編としてお届けする。昨日掲載の前編に続き、後編ではテレビ東京で「テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?」「祓除」などのホラーモキュメンタリーを手掛け、24年は「行方不明展」などテレビの枠を越えた活躍も目立った大森プロデューサー、「フェイクドキュメンタリー『Q』」「祓除」「行方不明展」などで構成・演出を手掛け、『イシナガキクエ』に続きメイン演出を手掛けるこのジャンルの第一人者、寺内監督に話を聞いた。

「第2弾は、より物語として終われる形がいいという全員の共通認識がありました」(大森)

大森時生&寺内康太郎が「TXQ」第2弾を語る 撮影/友野雄
大森時生&寺内康太郎が「TXQ」第2弾を語る 撮影/友野雄

いまから20年前の深夜に放送され、ネット上で都市伝説と化しているテレビ番組「飯沼一家に謝罪します」。その番組内容は、飯沼家という家族の4人が亡くなった事件の原因が、民俗学者の矢代誠太郎が行った“儀式”が原因だったと、本人自ら謝罪する…という奇妙な内容だった。テレビ放送の枠を買い取って放送された本番組は、当初健康雑学を紹介する番組の予定だったが、スポンサーの意向を踏まえて内容が変わったのだという。ディレクターが当時の関係者を取材するなかで、思いもよらない事実が浮かび上がってくる。

――「TXQ FICTION」第1弾「イシナガキクエを探しています」は、ある種のムーブメントといえるほどの反響を獲得しましたね。

大森「そうですね。ありがたいことに僕らの想像を超える反響となりました。僕がいままで手掛けたもののなかで一番くらいに反応があったと思いますが、やっぱり“公開捜索番組”というフォーマットだったことがかなり大きいと思うんですよね。インタラクティブな感じもあるし、視聴者の方も知っているモチーフだし。でも、公開捜索番組という形式の功罪というか、非常にフォーマットが強くて、その型を少しでも崩すと破綻してしまう点も多かったんですよね。物語のためにこれを言いたいけれど、言ってしまったら公開捜索番組としてはありえなくなるから言えないというような。ですから物語上の余白が元々想定しているより大きくなった。ですから第2弾の打ち合わせを始めた時には、より物語として終われる形がいいという方向性が全員の共通認識としてありました」

寺内「『イシナガキクエ』というキーワードの方がはるかに有名になって、番組自体は知らない人がいるという状況ができていました。『イシナガキクエ』は我々が想像し得ないほどの評価を頂けたと思っていますが、それはある部分では“納得しない評価”というか。今回は、ちゃんと物語として整理して世に出そうという心境の変化はありました」

大森「派手なパンチというか、技という意味では、“行方不明者を探す、視聴者参加型の公開捜索番組”というフォーマットを越えられるものは、いまのところ私たちのなかでは出てきていないです」

寺内「視聴者を公開捜索に巻き込んで、電話番号を公開して情報を受け付けて…という、テレビというメディアを使って現状可能なことをやり切ったような気はします」

「『家族チャレンジ番組』のどこか不思議な世界観を、当時はそんなことを感じずに観ていた」(寺内)

「飯沼一家に謝罪します」より [c]テレビ東京
「飯沼一家に謝罪します」より [c]テレビ東京

――今回の、家族チャレンジ番組と謝罪番組を合わせた、入れ子構造のモキュメンタリーというアイデアはどういう流れで生まれたのでしょうか。

寺内「(『フェイクドキュメンタリー「Q」』を共に手掛けている)共同脚本の福井鶴から『家族チャレンジ番組』×『謝罪』をモキュメンタリーにする…というアイデアをもらった時は『無理だ』と思いました。当時の番組を再現するのは、労力や予算的に不可能だと思ったからです。でも『実現できたらおもしろい』と判断し、プロット化して『TXQ』の会議に持って行きました。家族チャレンジ番組って、どこか不思議な世界観じゃないですか。いまでこそ変だったなと思っていますが、あの手の番組が流行っていた当時はそんなことを微塵も感じずに観ていたので」

大森「僕は家族チャレンジ番組の全盛期世代ではないのですが、やはり子ども時代に観ていた記憶が漠然とありました。家の中でかくれんぼして隠れ切れたら100万円みたいな…。変な企画ですよね(笑)」

寺内「“放送枠を買い取った持ち込みのテレビ番組”というアイデアは、もともと大森さんも持っていましたが、『イシナガキクエ』にはそのモチーフまでは内包できなかったんです。で、今回改めて“放送枠を買い取った持ち込みのテレビ番組”というお題でプロットを5本書いたなかで、大森さんが一択でズバッと“これでしょう”と。『“謝罪”が一番いいと思います』と言って決まったんです」

取材に応じてくれた、(左より)大森時生、近藤亮太、皆口大地、寺内康太郎の「TXQ」チーム4名 撮影/友野雄
取材に応じてくれた、(左より)大森時生、近藤亮太、皆口大地、寺内康太郎の「TXQ」チーム4名 撮影/友野雄

大森「テレビの放送枠を買い取って謝罪をしている人、というのがすごく不気味だなって思いました。テレビで行われている謝罪は、とにかく業を感じるというか。実際に目にしてきたテレビ番組の謝罪も、尋常ではない雰囲気のものが多かったですし。その謝罪は、どういう気持ちが込められているのか、本当に自分の意思でやっているのか、みたいな感情が浮かび上がってきますよね。プロットを読んだ時に僕のなかで“謝罪”というキーワードが輝いて見えました(笑)」

「現代社会の“謝罪”は、誰が誰に謝っているか分からない“儀式”になっている」(大森)

大森時生 撮影/友野雄
大森時生 撮影/友野雄

――制作発表時にみなさんが出されたコメントについて伺います。寺内監督は「現実のように複雑な構成と、シンプルな演出を心掛けました」とコメントしてらっしゃいましたが、“現実のような複雑さ”とはどういったことでしょうか?

寺内「フェイクドキュメンタリーは、どれだけ現実味を持たせることができるかだったり、その感覚がいかにどれだけ世の中と合っているかがすごく大事だと思います。例えば現実では、同じ名前の人物がいたりとか、フィクションとは違った複雑でややこしいことがあると思います。“現実”って、物語を語るうえでは不親切なものだと思うんですが、今回はそんな現実を取り入れていきながら、展開としてちゃんと1本の筋道を作っていくことを意識していました」

――現実的という点では、今回のキャストもみなさん絶妙にリアルさを感じさせる方々でしたね。

大森「そうですね。『飯沼一家』のキャストは、みなさん特にお上手だったなと思います」

寺内「『TXQ』の撮影を進めるにあたっては一般的な意味での台本と言えるような明確なものを用いていないので、予定にないことをあえて言わせたりして、役者さんに素になってもらおうという意識がありました。演者と演出がお互い勝負しているような気持ちで徹底的に楽しむというか、それはフェイクドキュメンタリーを作る醍醐味でもあります」

――大森さんは「謝罪をすれば、罪を償ったことになるのでしょうか」というコメントをされていましたが、“謝罪番組”というモチーフに関して、現役のテレビマンとしてどのように捉えていましたか。

大森「現代社会においての“謝罪”というのが形骸化していると感じていたのが一番大きいですかね。謝罪もSNSの発達と共に独自の進化を遂げて、もうほとんどの謝罪が、誰が誰に謝っているかも分からないし、誰がなんのためにやっているのかも分からないということも多いのではないかと思います。“ご不快に思われた方がいるのだとしたら謝ります”みたいな、仮定法の謝罪とでもいったトリッキーなものまで出てきたり、禊、通過儀礼、言い方はさまざまですが、これは“儀式”なのではないかと思ったんですよね」

寺内「確かにそうですね。謝罪会見のテレビ中継ってまさに儀式みたいですよね」

大森「謝罪している様子の中継って、特定の誰かに謝っているんじゃなくて、儀式をテレビという電波に載せることによって、その効果を増幅しているように見えるんですよね。言わば見せしめのような。ああいうものがテレビで流れたのが不気味だったという不快感もすごい記憶に残っているし、今回『飯沼一家』を見て、かつてテレビが伝えてきた“謝罪”について思い出す方もいるのではないでしょうか」

――ちなみにいまの大森さんにとって謝罪とは?

大森「『飯沼一家』の制作を通して、罪を償いたい、許してほしいという意識が存在しない時に出る謝罪が、ある意味において本当の謝罪と言えるのかもしれないと思いました」

「作品を観てくださった方には、どうか彼らを赦してあげてほしいと思います」(寺内)

寺内康太郎監督 撮影/友野雄
寺内康太郎監督 撮影/友野雄

――制作を終えて、「飯沼一家」の結末についてはどう感じていらっしゃいますか。

寺内「最後まで作品を観てくださった方に願うのは、作品内の彼らを赦してあげてほしいということです。個人差はあると思いますが、人間誰しもが少なからず罪を抱えていると思います。この作品で描かれているものは到底許される行為ではないし、許す方法もない、観ていて嫌な気持ちになるかもしれないです。でも、最終的にはどうか彼らを赦してあげてほしいなと思います」

大森「『謝罪します』というタイトルだけど、結局謝罪は完遂できたのかわからない。ただ、気付いたらもう後戻りできないところまで行ってしまっていたという話だと思うんです。でも、現実の罪も9割9分そうではないかと思っていて、例えば他人に酷いいじめを働いた過去があったとして、どんなに心から反省して、直接の機会をいただいて謝罪したとしても、もう本当は意味のないことなのかもしれません。過去は変えられない。そういう本当にどうにもならないことと向き合えている人って、なかなかいないと思うんです」

「飯沼一家に謝罪します」より [c]テレビ東京
「飯沼一家に謝罪します」より [c]テレビ東京

寺内「その点では、僕らのしていることの是非もわからなくなりますね。フェイクドキュメンタリー自体も、時代が変われば自ずと罪深いことになるのかもしれない。言ってみれば、嘘なので。価値観が変容すれば罪にもなり得るものですよね」

大森「そうですね。なにが罪になるかはわからない、誰がいつ一生取り返しがつかない罪を犯してしまうかも分からないのだと思います。個人の感覚とフィクションとが接続されるような、『イシナガキクエ』とはまた違う体験を味わっていただきたいと願っています」

「飯沼一家に謝罪します」は配信中 [c]テレビ東京
「飯沼一家に謝罪します」は配信中 [c]テレビ東京

取材・文/小泉雄也

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