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水族を愛でる文化は古代から。スイスイわかる水族館の歴史

  • 2025.1.3
フランス・パリ万国博覧会付属の海水水族館のイラスト (1867年)、モナコ海洋博物館 付属水族館(1910年)、ブライトン水族館(1872年)、モントレーベイ水族館 (1984年)
撮影:溝井裕一

教えてくれる人:溝井裕一(関西大学教授)

はじめに〈スペルロンガ〉をご紹介しましょう。イタリアのナポリ近郊にある「養魚池」と呼ばれる池です。水族の飼育、特に繁殖と観賞用に使われました。紀元前1世紀頃のローマ時代にできたとされています。水族を愛(め)でる文化は古代から存在するんですね。

イタリア〈スペルロンガ〉
スズキやボラの仲間が今も泳ぐ。構造上波が立たないので水中がよく見える。古代ローマ人は写真奥の四角い浮き島で宴会をしながら観賞した。現存。撮影:溝井裕一

でもこれは「水族館」ではありません。「水族館」にはただ観賞できるだけでなく、水界の生態系を再現できるシステムが必要です。そのシステム、つまり「アクアリウム」ができて初めて「水族館」は成立します。その発展に貢献し、命名したのがイギリスの博物学者フィリップ・ゴス。

彼が集めた水族が一般に公開された場が〈フィッシュハウス〉。1853年、ロンドン動物園にできた世界初の水族館です。壁に大きな水槽、室内に小さな水槽が整然と並ぶ、シンプルなものでした。以来、ヨーロッパ各地に水族館が誕生します。

フィッシュハウス/ロンドン動物園(1853年)
ロンドン動物園(1853年)開館の年の末には、魚58種、軟体動物76種、甲殻類41種などが展示されていた。ゴスは4,000に及ぶ動植物を提供した。閉館。

中でも当時の雰囲気を伝えるのは、67年に開催の〈フランス・パリ万国博覧会付属の海水水族館〉を報じた新聞。その特徴は壁から天井にかけてすべてが水槽に囲まれていること。単に観賞するだけでなく、水界という異界に没入できるように設計されています。内部をグロッタ風、つまり洞窟のようにしたり、ゴシック建築のようにデザインした館も。

72年にできたイギリス〈ブライトン水族館〉はその一つ。またヨーロッパ的なものとして1910年完成の〈モナコ海洋博物館付属水族館〉も挙げましょう。時のモナコ大公で、海洋学にも熱心だったアルベール1世の後援で誕生しました。内部は、まるで宮殿のように壮大な建築です。

フランス・パリ万国博覧会付属の海水水族館のイラスト (1867年)
約800尾の魚が展示された。柱は鍾乳洞のように装飾されている。『海底二万里(マイル)』などで知られるSF作家ジュール・ヴェルヌも観賞した。閉館。
ブライトン水族館(1872年)
サメの飼育に早くから成功した水族館。英国王エドワード7世や岩倉使節団が訪れたこともある。壁水槽など一部のレイアウトは変わらずに現存。撮影:溝井裕一
モナコ海洋博物館 付属水族館(1910年)
博物館地下2階の水族館では、クラゲや大小様々な魚が見られる。博物館にはアルベール1世にまつわる展示物や動物標本、調査用の機材も。現存。撮影:溝井裕一

ショー的なニューヨーク、竜宮城を思わせる日本

ヨーロッパで誕生した水族館はアメリカ、日本に渡っていきます。最も早い例は〈フィッシュハウス〉の4年後、1857年にニューヨークの〈アメリカ博物館〉の中にできた〈オーシャン・アンド・リバー・ガーデンズ〉。手がけたのはP・T・バーナム。映画『グレイテスト・ショーマン』で描かれたサーカスの興行師です。シロイルカ目当てに何千もの人々が集まったといいます。

76年には〈グレート・ニューヨーク水族館〉が完成。イラストが示すように海獣をはじめ様々な水族が展示されたうえ、研究室併設の本格派でした。いずれにせよ、見せ物的に大型動物を展示していました。

グレート・ニューヨーク水族館のイラスト(1876年)
グレート・ニューヨーク水族館(1876年)白ナイル川のカバ、セントローレンス川のシロイルカ、日本の金魚をはじめ世界各地の水族がいた。設立者の一人はバーナムのビジネスパートナー。閉館。photo:Museum of the City of New York 蔵

日本初の水族館は82年上野動物園内にできた〈観魚室(うをのぞき)〉。外観はいかにもヨーロッパ譲りのグロッタ風ですね。室内は10の水槽が整然と並ぶ簡素な造りで、展示は淡水魚メインでした。本格派が誕生したのは97年、神戸でのこと。

第2回水産博覧会のときに造られた〈和田岬水族館〉です。海水水槽はもちろん、没入感のあるジオラマ展示もありました。なにより大きなポイントは最新の水循環システムを組み込んだこと。ドイツで学び、設計した飯島魁(いさお)によって日本の水族館の基礎ができたのです。

彼はその後〈浅草公園水族館〉〈堺水族館〉の設計にも携わりました。中でも1903年に誕生した〈堺水族館〉はヨーロッパ風の外観の屋根にシャチホコ、フランス風の庭園に龍女の噴水塔といったように、西欧と日本の文化をミックスした造りが特徴的。竜宮城のモチーフがあしらわれるのは日本ならでは。

観魚室のイラスト (1882年)
フナやオオサンショウウオが展示された。1867年のパリ万博を訪れ感銘を受けた、日本博物学の父・田中芳男らによって上野動物園内に設立。閉館。井上安治「上野動物園(版画 東京百景)」東京都江戸東京博物館 蔵 画像提供:東京都江戸東京博物館/DNPartcom
和田岬水族館のイラスト(1897年)
日本初の本格的水族館。サメ・エイの仲間、沖縄や台湾のウミガメの仲間を飼育。ドイツ帰りの飯島魁らしくベルリン水族館同様マスの孵化も展示。閉館。©水産研究・教育機構
堺水族館 (1903年)
アシカやオットセイなど海獣も展示。海底、洞窟、サンゴ礁の再現のほか、セメントで鍾乳石洞窟を表現するなど水槽内のデザインも多様だった。閉館。photo:堺市立中央図書館 蔵

戦後のテーマパーク化と、現代のローカル化

第二次世界大戦後、最も世界へ影響を与えた水族館の一つがフロリダの〈マリンスタジオ〉。その名の通り、映画の撮影スタジオとして造られました。そのため見せ方に大きなこだわりが。革新的だったのは「オセアナリウム」の導入でした。

水族を種ごとに展示するのではなく、海の中同様に飼育し、観賞できるようにしたんです。そのうえ、なにより大きな影響を与えたのはイルカショーの誕生です。52年、3年にわたる調教を経て初のショーが開催されました。

マリンスタジオ (1938年)
サメ、マンタ、ウミガメなどを展示する。映画『大アマゾンの半魚人』などの撮影場所に。〈マリンランド・ドルフィン・アドベンチャー〉として現存。

こうした流れの中で、水族館はより娯楽色を強めていきます。象徴的なのはディズニーランドの広報責任者なども携わり、サンディエゴで64年にスタートしたテーマパーク〈シーワールド・サンディエゴ〉。

最後に、現在世界的にとても高く評価されているカリフォルニアの〈モントレーベイ水族館〉について。特徴は、モントレー湾の生態系を再現していること。珍しい生き物を連れてくるのではなく、土地に根差した展示をしているんです。水槽の美しさは世界一と言っても過言ではありません。

このように200年弱で多様な変遷を辿った水族館。今後はより一層、水系の環境や動物保全活動への貢献を求められています。

シーワールド・サンディエゴ のMAP(1964年)
白銀の世界で暮らすペンギンの展示では観賞ブースも涼しく、水中トンネルでサメに囲まれるように観賞するなどアトラクション的に楽しめる。現存。
モントレーベイ水族館 (1984年)
岩礁、砂床、頁岩(けつがん)層、波止場などモントレー湾内の環境を再現。ここの生態系の一つ、林立する海藻の柱〈ケルプ・フォレスト〉の水槽は圧巻。現存。撮影:溝井裕一

profile

溝井裕一(関西大学教授)

みぞい・ゆういち/1979年兵庫県生まれ。専門は西洋文化史、人と動物の関係史。著書に『動物園の文化史』『動物園・その歴史と冒険』など。『水族館の文化史』は4年ほどかけて執筆され、2018年サントリー学芸賞受賞。

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