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最悪レベルのケガ「前十字靭帯断裂」から完全復活した5名のスター選手

  • 2025.1.1
最悪レベルのケガ「前十字靭帯断裂」から完全復活した5名のスター選手
最悪レベルのケガ「前十字靭帯断裂」から完全復活した5名のスター選手

Text by 石井彰(編集部)

サッカー選手にとってキャリアを左右する大きな負傷となる「前十字靭帯断裂」。マンチェスター・シティの中心選手だったロドリもそれに苦しんでいる状態だ。

今回はそんな「前十字靭帯断裂」を経験しながら、「リハビリを経て完全復活を遂げた」5選手を特集する。

アラン・シアラー

最悪レベルのケガ「前十字靭帯断裂」から完全復活した5名のスター選手
最悪レベルのケガ「前十字靭帯断裂」から完全復活した5名のスター選手

断裂したときに所属していたクラブ:ブラックバーン・ローヴァーズ

国籍:イングランド

イングランドの歴史上最高のストライカーとして知られているアラン・シアラー。彼が前十字靭帯を断裂したのはサウサンプトンからブラックバーン・ローヴァーズに移籍して間もない1992年だった。

12月のリーズ・ユナイテッド戦で負傷した彼はシーズンを棒に振り、長いリハビリを経験することになった。

しかしそれから復帰したあとはストライカーとしての才能を更に開花させ、1994-95シーズンのプレミアリーグ優勝に大きく貢献。さらに愛する地元のニューカッスル・ユナイテッドに戻り、長く得点を量産し続けた。

フィルヒル・ファン・ダイク

最悪レベルのケガ「前十字靭帯断裂」から完全復活した5名のスター選手
最悪レベルのケガ「前十字靭帯断裂」から完全復活した5名のスター選手

断裂したときに所属していたクラブ:リヴァプール

国籍:オランダ

世界最高のセンターバックとしてリヴァプールをプレミアリーグ優勝に導いたファン・ダイク。2019年から2020年にかけてチャンピオンズリーグ制覇など多くのタイトルに貢献した。

しかしながらエヴァートンとのマージーサイド・ダービーでGKジョーダン・ピックフォードと接触したことで前十字靭帯を断裂し、長い欠場を余儀なくされた。

復帰からまもなくはパフォーマンスが上がらず苦しんだものの、ケガから数年が経過して徐々に復活。この2年間はかつてのパフォーマンスをようやく取り戻したといえる活躍を見せている。

チャビ・エルナンデス

最悪レベルのケガ「前十字靭帯断裂」から完全復活した5名のスター選手
最悪レベルのケガ「前十字靭帯断裂」から完全復活した5名のスター選手

断裂したときに所属していたクラブ:バルセロナ

国籍:スペイン

バルセロナにおいて「ティキ・タカ」と呼ばれる伝説的なパスサッカーを作り上げた中心的な存在。彼は2005年12月、クラブでの練習中に前十字靭帯を断裂するケガを経験した。

それから長い間欠場を余儀なくされたものの、驚異的な回復力で4月には復帰。チャンピオンズリーグ決勝でアーセナルに勝利した試合でもベンチ入りしている。

また2006年のワールドカップでもスペイン代表の重要な存在としてプレーしており、前十字靭帯断裂という大きな怪我を負っていたことを感じさせなかった。

ルート・ファン・ニステルローイ

最悪レベルのケガ「前十字靭帯断裂」から完全復活した5名のスター選手
最悪レベルのケガ「前十字靭帯断裂」から完全復活した5名のスター選手

断裂したときに所属していたクラブ:PSVアイントホーフェン

国籍:オランダ

前十字靭帯断裂を克服した選手として非常に有名なエピソードを持つルート・ファン・ニステルローイ。オランダの歴史上でも最高クラスのストライカーだ。

移籍金1850万ポンドでマンチェスター・ユナイテッドへの加入に合意した数日後、PSVアイントホーフェンでプレーしていた彼は前十字靭帯を断裂し、1年ほどの離脱を余儀なくされた。

これによって一旦取引は中止されたが、1年後にマンチェスター・ユナイテッドは再び彼に接触。1900万ポンドと移籍金を増額して獲得した。その後の活躍についてはご存知のとおりである。

ロベール・ピレス

最悪レベルのケガ「前十字靭帯断裂」から完全復活した5名のスター選手
最悪レベルのケガ「前十字靭帯断裂」から完全復活した5名のスター選手

断裂したときに所属していたクラブ:アーセナル

国籍:フランス

後にアーセナルの無敗優勝に大きく貢献し、ティエリ・アンリやパトリック・ヴィエラらとともに「インヴィンシブルズ」の一員となったロベール・ピレス。

彼は2001-02シーズンの3月に行われたFAカップ、ニューカッスル・ユナイテッドとの試合で前十字靭帯を断裂。シーズンの残りを棒に振り、日韓ワールドカップにも出られなかった。

しかしその後彼は2002年11月のチャンピオンズリーグで復帰。当初はしばらく苦戦を続けたが、最終的には後半戦だけで14ゴールを奪うという大活躍を見せた。

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