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「神社に行く」「お守りを買う」という人は全然わかっていない…神社で開運する人としない人の決定的な違い

  • 2025.1.1

新年、家族や友人と初詣に行く日本人は多いはずだ。全国の神社に精通し、神職向けの講演も行う佐々木優太さんは「日本には、8万社以上の神社があり、我々は開運スポットに囲まれて暮らしている。ただ、開運スポットにできるかどうかは、その人次第で、神社に行っても開運しない人はいる。神社参拝にルールはないが、モラルがある」という――。

※本稿は、(ゲッターズ飯田/佐々木優太)著『幸せ舞い込む! あなたの開運神社』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。

「神社に行く」より運がよくなる

神社参拝で、ぜひ使ってほしい言葉があります。「神社に行く」ではなく、「神社に上がる」という言い方です。

「上がる」とは、「行く」「訪ねる」の、敬意を払った表現です。「行く」でも間違いではありませんが、「上がる」と言えば、それを聞いた人は「相手を尊重しているんだな」と思うでしょうし、そんなあなたにも自然と敬意を払うようになるでしょう。

次第に周りの人の態度がどんどんよくなり、「相手を敬うこと」が当たり前となります。気づけば、周囲が自然とやさしい世界になっているのです。

僕がこの開運言葉に気づいたのは、神職のかたとの会話からでした。「◯◯神社に行ってきました」と報告すると、「おぉ、上がられましたか!」とおっしゃったのです。なるほど、尊敬する先輩の家には「上がる」と言うのだから、神様の家である神社にも「上がる」と言うべきだと思いました。

たしかに、この言い方だけで神社や神様を大事にしていることが伝わりますよね。

もうひとつ、おもしろい発見をしました。「神社に上がる」と言い続けているうちに、気分が上がってきて運気も上がっているような気になるのです。

発する言葉は言霊ことだまとなり、自分に返ってくると言います。「上がる」のもつ上昇のニュアンスが自然と心に染み込むのだとしたら、まさに開運言葉です。

開運言葉はもうひとつあります。神職のかたに「◯◯神社に上がりました」と話したら、今度は「おめでとうございます!」と返ってきました。そうです、神社に上がれるのはめでたいこと。みなさんも参拝の報告を受けたら「おめでとう」と返しましょう。互いに運がよくなっていきますよ!

鳥居で一礼…のあとの「より丁寧な動作」

みなさんは鳥居の前で礼をしますか? 僕は、人の家に上がるのと同じように、挨拶の一礼をしています。

鳥居は「ここから先は神域」と示すもの。神様を敬って「神社に上がる」と言うのと同じように、鳥居も「尊敬する人の家の玄関」だと思えば、入る前に挨拶するのは当たり前。立ち止まって頭を下げることで、ひと呼吸おけて、心がスッと鎮まります。

鳥居をくぐると参道が続きます。参道の真ん中あたりは「正中せいちゅう」といい、神様の通り道。我々は正中を避けるようにしましょう。

ここで、よりていねいに振る舞う方法をご紹介します。

神社の鳥居
※写真はイメージです

鳥居で一礼したら、「正中」より右側にいる人は右足から、左側にいる人は左足から入るのです。こうすると、神様の道「正中」にお尻を向けずに済みます。「正中」を横切るときも軽く礼をするか頭を下げたまま歩くとていねいです。ちなみに神職の方々は、上体を少し前屈みにして歩く「屈行くっこう」の姿勢をとられます。

神社で作法に迷ったときは、感謝の気持ちを所作に込めれば失礼はないでしょう。

「今日参拝できるのは、神社を守ってきてくれた人たちのおかげ」だと思うと、感謝が湧き、おのずと振る舞いも変わるはずです。すべての人に開かれている神社は「有り難い」場所です。僕は、どんな人も分け隔てなく受け入れてくれる神社を、やさしい場所だなと思うんです。

時代を超えて祈りの場所があり続けていること自体、有り難いこと。だから僕は、神社で写真を撮る際に、自分を真ん中にはしません。敬意を表して神様を中心にし、一緒に写る構図にしています。

神社は「汚れをとる」場所ではない

参拝の前に、手や口を清める手水舎てみずやがありますが、みなさんは「お清め」や「お祓はらい」をする意味って、ご存じですか?

僕は最初、「汚れをとる」とか、「何か悪いものを払う」ことだと思っていました。ところが「穢けがれ」とは「汚れ」ではなかったんです。一説には、語源は「気・枯れ」で「気が枯れている」状態のこと。「気」はもともと「ケ」と発音していて、「気枯れ」は「ケガレ」と言っていたそうです。

「気が枯れている」とは、本来のあなたではないようすのこと。

たとえば身内や親しい人を亡くしたとき。悲しみに暮れ、いつもの精神状態ではいられなくなりますよね。これが「気が枯れている」とき。元気をなくしている状態です。そこで「お祓い」の御祈祷ごきとうを受け、元気を取り戻すのです。

我々は生きているだけで自然と「穢れ」がたまります。心はつねに揺れ動いているため、ときに乱れることがあるからです。

罪つみという漢字だけを見ると、悪いことを犯したととらえがちですが、ヒントは音にあり、「罪」という言葉は「つつむ(包む)」に由来します。「罪穢れを祓う」とは、いつものあなたではない状態にした「包み」をとり、本来のあなたに戻す、ということ。

ですから参拝に上がり神様に「気」をいただくことで、元もとの気きを取り戻し、「元気」になるのです。

もしまた気が枯れてしまったら、神社に上がって元気になる。こうしたサイクルを私たちの祖先はつくっていました。みなさんも落ち込んだときや悲しいとき、「元の気」を取り戻しに、神社に上がってみてはいかがでしょうか。

お賽銭は「恩送り」である

「お賽銭を奮発したほうが、ご利益りやくを受けられますか?」と聞かれることがあります。「ご縁があるように5円を入れる」という人もいますが、そもそもお賽銭の意味を取り違えているのかもしれません。

貨幣のない時代、人々は感謝の気持ちを込めて、また、この先を祈念して、お米や海の幸、山の幸を神様にお供えしました。お供えがお賽銭に変わっても、神様への気持ちは変わりません。ただ、昔の5円は現在の5万円とも50万円とも聞きます。いずれにしても大きな額ですね。

昔の人たちは、「いま無事に生きているのは周りの人のおかげ。これからもみんなで無事に生きられますように」と、自分が平穏安泰なときは人のぶんまでお金を納める精神があったといいます。

ところで、お賽銭の行方は神主さんの取り分だと思ってはいませんか? じつは違います。神様にお供えしたあとのお賽銭は、主に神社存続のための資金となっています。

考えてみれば、何十年、何百年と神社が保たれているのは、誰かがお金を出してくれたから。いま上がりたいと思ったときに参拝できるのは、自分より前の参拝者たちがお金を納めてくれたおかげです。

お参りをする人
※写真はイメージです

先に納めてくれた人に感謝し、次に神社に上がりたい人のためにお賽銭を納め、感謝をつないでいく。こうしたお賽銭で「恩返し」「恩送り」することが大切だと思います。

お賽銭は、未来のあなたにもつながっています。「また参拝したい」と思ったときに、神社が存続しているかどうかは、参拝者のお賽銭が大いに影響しているからです。「幸せを次につなぐ」。この精神で神社は成り立ち、保たれています。

神社では「おつりを出さない」が暗黙のルール

神社での楽しみのひとつに、お守りがあります。以前僕は「お守りを買おう」と思って、平気で一万円札を出していました。

すると神職のかたに「神社ではおつりが出ないようにするものですよ」と言われてビックリ! お守りは「売られて」いるのではなく「頒布はんぷ」されているものだったのです。

頒布とは、配って広く行き渡らせること。そもそもお守りとは、神様の力を参拝者が持ち運べるよう、神職のかたが宿らせ、分け与えてくれているもの。「販売品」ではなく「授与品」です。そのため、お守りは「授与する」または「頒布される」と言い、お金は「納める」、私たちは神様の力を「受ける」「授かる」と言います。

昔は、お守りを受ける人が自発的に「お気持ちのお金」を納めていたそうです。

ただ、それではわかりにくいので、神社側が「800円」などと提示するようになりました。これは、お守りの材料費や人件費などを考慮した最低金額なので、それ以上であればいくら納めてもかまいません。

ゲッターズ飯田/佐々木優太著『幸せ舞い込む! あなたの開運神社』(朝日新聞出版)
ゲッターズ飯田/佐々木優太著『幸せ舞い込む! あなたの開運神社』(朝日新聞出版)

これは僕の感覚ですが、「買った」と言うと、その金額に見合った「効き目」を求めてしまいませんか? 「買う」という行為は、商品と金銭の等価交換。しかし、神様の力は対価では表せないものです。そもそも効き目を求めるものでもありません。

僕は、「納める」や「受ける」と言うようになってから、お守りに効果効能を求めなくなりました。そして感謝の気持ちしか出てこなくなりました。

これだけ気持ちがガラリと変わった僕の経験に興味をもってもらえるなら、お守りを「買う」ではなく「受ける」と言ってみてください。きっと神様のお力を受けとれるようになりますよ。

神社で開運できる人、できない人

神社巡りが習慣になると、「神社で不思議な力がもらえる」といった話も聞くようになりました。一方で、開運しない人もいるんです。それはなぜか。自分なりに答えを見つけたい。そんな思いが、僕をより神社巡りへと向かわせました。

おもしろいのは、「こうしなければいけない」といった決まりがないこと。それゆえに振る舞いや心持ちをほんの少し変えるだけで、いままで“なんとなく”足を運んでいた神社が、まるで違って見えるようになり、力を貸してくれるようになります。うまくいっていなかった僕が、いまこうして幸せを感じているように――。

神社の鳥居の間に見える富士山
※写真はイメージです

日本には、8万社以上の神社があり、我々は開運スポットに囲まれて暮らしています。ただ、開運スポットにできるかどうかは、その人次第。

古くから日本に根づき、ご先祖様たちから受け継いできた神社参拝には、生きるうえでとても大切なことが詰まっています。

佐々木 優太(ささき・ゆうた)
現在の御師
これまで参拝に上がった神社は全国15000社以上、受けた御朱印は4400を超える(2024年9月現在)。「神社巡拝家」として各地を巡るなかで、神職の方々や現地のかたにその土地の伝承を聞くなどして知見を深める。その知識をもとにYouTube「神社ソムリエのあやかりチャンネル」などで発信。現在は、江戸時代まで活躍していた御師になぞらえ「現在の御師」を標榜。神職向けの講演会やテレビ、ラジオなどで活動している。

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