1. トップ
  2. ファッション
  3. 「痩せている方が幸せ」多様性が叫ばれる時代になっても消せない偏見

「痩せている方が幸せ」多様性が叫ばれる時代になっても消せない偏見

  • 2025.1.1

スタバのカップを持って、友達と笑い合いながら、ふと、ショーウィンドウに映る自分の姿を見る。友達よりも低い身長。それなのに、その友達よりも太い脚。

◎ ◎

友達の話に合わせて笑顔を作りながら、心の中では早く帰りたい気持ちでいっぱいになる。どうして、今日に限ってミニスカートを履いてきてしまったんだろう。どうして。今すぐにでも逃げ出してしまいたい気分だ。

一度気になり出すと、わたしの妄想は止まらなくなる。周りの人の視線が、全てわたしを否定しているように感じる。頭の中で響く否定的な声を打ち消すかのように、わたしはいつもよりも高いテンションで笑い、そのまま帰路に着いた。

電車に揺られながら「今日は楽しかった。ありがとう」というLINEの通知を見て、心が痛くなる。

「ごめん……。話何も入ってこなかった……」そんなことを言える訳もなく、「こちらこそありがとう」と返信をする。何事もなかったかのように振る舞うことが得意になった。その代わり、わたしの心の中の「なにか」がすり減る気がしながら。

これが、大人になるということなのだろうか。わたしが思い描いていた「大人」は、もっと余裕があるイメージだったんだけどな、と自分を嘲笑うかのように思いながら、最寄りに着いた電車を降りる。家に着いて、速攻で鏡を見る。

◎ ◎

見た目を気にするようになったのは、いつからだっただろうか。自分の目の高さが違うことに気づいたのは、小学生の時だった。

「ありのまま」が映し出されるから、写真を撮られるのが嫌いだった。卒業写真とか、証明写真とか。自分にないものを持っている子に憧れた。

「目が大きい」「髪の毛がきれい」そんな些細なことを、と思う人もいるのかもしれないけれど、そんな些細なことで、わたしは死にたくなってしまう。

「多様性」が叫ばれる世の中になって、「ありのままの自分を好きになろう」と言う発信が増える中で、「痩せている方が幸せだ」と言う偏見がわたしの中からは無くならない。

体型に囚われずに生きたい。そう思えば思うほど、SNSのオススメ欄に流れてくるのは、細くて白い子たちばかりだ。

◎ ◎

これを書いている今、わたしはウエディングフォトのために、ダイエットをして体重を10キロ以上落とした。我ながら良く頑張ったなと思う。好きな服を着れるようになって、お洒落をすることが楽しくなった。それでも。それでも、と思う。わたしのコンプレックスは消えない。前髪が割れやすい。目の大きさが違う。指の第二関節が太い。整形でもしない限り、わたしは永遠にこのままなのだろうか。

いや、きっと自分で自分を肯定できないことが問題なのだ。そんなことを分かっていながら、それが出来ずにいる。「わたし可愛い」そう呟けば、自分を好きになれると聞いたこともあるけれど、虚しくなるだけだった。

◎ ◎

他人の評価を気にせずに、生きられるようになりたい。そう願いながら、わたしは今日も鏡と向き合う。

■紫吹はるのプロフィール
言葉を紡ぐことが好き。自分のことを好きだと思える瞬間を増やしたくて、日々「わたし」と向き合っています。本を読んだり、創作したり。言葉を紡いでいる瞬間だけ「わたし」のままでいられます。おぼつかない足元で。https://note.com/harudiary__86

元記事で読む
の記事をもっとみる