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いびつな雪だるまに自分を重ねた私はお湯をかけてとかしてしまった

  • 2024.12.31

小学生のとき、ある友達が教室に来なくなった。
数日後、私が体調を崩して保健室で寝かせてもらっていたとき、その子の声がした。私は思わず友達の名前を呼んだ。ずっと会いたかった。その日、友達と私は初めてふたりきりで下校した。

◎ ◎

「私の髪の毛、そんなにおかしいかな」

帰り道の途中で、友達が言った。彼女の髪の毛は天然パーマで、いつもくるくるしていてかわいかった。だから私は、「えっ?うらやましいくらいだよ。大学生が髪の毛カールしてるみたい」と言った。次の日、彼女はクラスに戻ってきた。からかっていた男子たちに、「お姉さんみたいでいいでしょ」と言ってのけた。後日、彼女の母から、「娘はあの時の言葉が嬉しかったみたい。ありがとうね」と言われた。私は本音を言っただけだった。

しかしなぜだろうか。そうやって友達のことは素直に褒められるのに、自分のこととなるとうまくいかない。

◎ ◎

私は雪の降る冬の日、完璧な球体が作れないから、自分でつくった雪だるまをお湯でとかしてしまう子供だった。

お湯をかけるその瞬間、少しだけ心が痛むのは、それを作るのに要した労力を思い出すからだ。そして、ちょっぴり愛着も湧いていたからだろう。

それでも自分より上手に雪だるまを作る子を見ると、まだまだみすぼらしい雪だるまを、私は許せなかった。そのいびつな球体が、まるで自分のようで、壊してしまいたくなった。

やがて大人になり、今では雪が降っても雪だるまを作ることはない。雪に触れる冷たさも、一生懸命につくった雪だるまがとけてなくなることも、私はすでに知っているから。

◎ ◎

それでも雪が降ると、あの時の雪だるまを思い出す。そして気付くのだ。

ああそうか。雪だるまをつくるという行為そのものが、つくってみようというその想いが、尊いものだったのだなと。手の冷たさも忘れて、かわいい雪だるまになるようにと、無我夢中でからだを動かしていたその瞬間が、美しいものだったのだと。たとえ、完璧な球体をつくることができなかったとしても。

年を重ねるにつれて、昨日と今日の境目がどんどんなくなる。去年と今年の違いも、だんだんとなくなっている。一年の価値は同じはずなのに、年末には決まって「今年は一年が早いね」などと言っている。私たちも、いつか消えてなくなる。自らお湯をかけなくても、必ず雪はとける。とけきる頃に、「あの瞬間が美しかったのだな」と気付くのでは遅すぎるのだ。

◎ ◎

線すら入っていない一重の目、なにかと乾燥しがちな肌、背は小さいくせに華奢とはいえない体型も、もう全部あのころの雪だるまみたいだと思う。私の雪だるまは、つやつやした肌ももっていないし、素敵な服も身に付けていなかったかもしれない。でも「もっとかわいくできるはず」と負けずに雪を転がせばよかった。自分だけの、とっておきの雪だるまを完成させればよかった。

友だちは言うだろうか、「この雪だるまは、このくぼみがチャームポイントだね」と。そうしたら、私は「そうなの!そこがお気に入りなんだよね〜」って返すんだ。大丈夫。雪どけまで、まだ時間はある。

■深瀬みなみのプロフィール
26歳パート主婦。
noteで「あふれる日々をことばに。」をテーマに日々を綴る。
挫折やあの選択をした日を肯定できるように今日も書く。
note:https://note.com/afureru_hibi/

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