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フットボールに毒されてしまい、いつしかサッカーを楽しめなくなった人たち

  • 2024.12.30
フットボールに毒されてしまい、いつしかサッカーを楽しめなくなった人たち
フットボールに毒されてしまい、いつしかサッカーを楽しめなくなった人たち

Text by アンバサダー

Qolyアンバサダーのコラムニスト、中坊コラムの中坊氏によるレポートをお届けします。


ピッチ上だけのサッカー、それ以外も含めたフットボール

最初にこのタイトルの意味を解説しないと意味がわからないと思われるため、このコラム内における言葉の定義として、フットボールとサッカーをどのような違いで使い分けているか・定義づけているかを説明したい。

このコラム内においてサッカーは「ピッチ内のことだけ、競技としてのサッカーのみ」を指す

フットボールは「ピッチ内だけではなく、ピッチ外も含めた応援・文化・経営その他諸々サッカーを取り巻くもの全て」を指す

競技だけを指しているのか、それ以外も含めているのか、という意味合いでご理解いただきたい。

フットボールに毒されてしまい、いつしかサッカーを楽しめなくなった人たち
フットボールに毒されてしまい、いつしかサッカーを楽しめなくなった人たち

日本のサッカー業界では「サッカー」ではなく「フットボール」を意識した報道が多い。実際、サッカーと言わずにフットボールと表記する専門メディアが多いのもそのためだ。ピッチの中だけにとどまらずそれ以外の部分も含めて報じる事が多いことを踏まえれば、フットボール表記の方が適しているのだろう。

サポーターやファンもフットボールの概念を持って関わっているのが大半。ピッチ上の90分だけにフォーカスし、その他を全てそぎ落として純粋に競技としてのサッカーのみを追い続けているサポーターは少数派に感じる。

今回のコラムにおいて伝えたいのは、「サッカーを追うだけならいいのに、フットボールに深く浸かることで様々な問題等が生じ、観戦を離脱してしまう問題をどうにかできないか」という話である。他人に干渉するのは大変お節介なことなので、まずは自分自身の一人称ベースで自分の考えを語りたい。


細く長く見続けるか、太く短く見るか

サッカーを観戦する時間のかけ方だが大きく二つのスタイルがある。

「細く長く」と「太く短く」

「細く長く」は「サッカー」に近いと感じる

サッカーを自分の時間の許す範囲の中で無理せずかかわっていき、興味のある試合全ては見られなくても、自分の中で重要な試合や大きな大会だけは見ていく。それこそ普段は現地観戦ではなくTVやネット観戦が主になり、細々と長い年月を見続けていくスタイルだ。

「太く短く」は「フットボール」に近い

フットボールにどっぷりはまり、時間も金も多少無理して思いっきり注ぎ込み、ありとあらゆる試合をチェックし、応援しているクラブの試合はホーム・アウェーどちらもほぼ全て現地へ足を運ぶ皆勤ぶり。また、推している選手に対しては練習場にも足繁く通い交流したり、横断幕やゲーフラを作成し、試合外でサポーター同士での交流も盛んに行うスタイル。

そしてこのようなホーム・アウェー現地観戦皆勤はライフスタイルの変化に伴う時間の制約や、金銭面の課題で何十年も続くことはできず、数年で力尽きる人が大半

自分自身は前者「細く長く」を志向している。理由としては年数の問題から志向しており、家庭や仕事を省みず、貯金も全て使い込んでいく「太く短く」のやり方は数年で限界がくるのは明らかであること。また、どんなに細々とした観戦でも、過去の試合一つ一つが現在の試合と繋がることがあるからだ。

言うなれば点と点が線となり、繋がることで見る側のサッカー観戦に対する歴史の厚みをもたらす。過去と現在が繋がる面白さを観戦歴30年を超えた今、強く感じる。

後者の「太く短く」だと、海外遠征等の大きなムーブメントに参加して最大瞬間風速として、その瞬間瞬間は最高なのは間違いない。ただ、5年程度の数年で離脱してしまい、その一瞬だけでサッカーを切り取って離脱してしまうのは勿体ないと感じているので自分自身は「太く短く」を志向せず「細く長く」を志向している。


サッカーを長く見続けることに伴う面白さ

「その一瞬だけでサッカーを切り取ってしまう」だが、クラブにおいても日本代表においても5年程度見続けたのと、20年以上長い年月を見てきたのでは違う思いを抱き、異なる景色が見えることとなる。

20年、30年という長い歴史の中サッカーを見続けることで、一歩一歩前進して様々な新しい歴史が生まれるのを目の当たりにし、積み重ねの重みを感じることで初めて見えてくる景色もある。

一方、こと歴史や経験という観点から見ると「太く短く」の場合長い年月における進化を感じにくく、どうしても短期的な部分の切り取りになる。一瞬では切り取っただけではわからない面白さや奥深さがサッカーにはある。

「フットボール」だとどっぷり浸かってしまって「太く短く」になりがちで、「サッカー」だとややライトになるため「細く長く」になりがちと自分は考えている。そのため、フットボールに毒されすぎず、サッカーを細く長く楽しむスタイルを自分はとっている。

実際、周りに「太く長く」見続けている人がどれだけいるだろうか。大半は「昔から変わらず、無理せずに自分のペースで見られる範囲の中で観戦を楽しんでいる」か、「昔は全力で海外遠征や国内アウェーも全通という気合入ったサポーターだったが、今はトーンダウンしてホーム観戦のみが大半」に落ち着いているのが私の周りのファン・サポーター達だ。

(余談だが、10年以上も遠征を繰り返して見続けている人がいて、その情熱と財力凄いなと感心していたのだが、なんとリボ払い地獄による借金が発覚。無謀なキャッシュフローだったのかと驚いたし、当然ながらその家庭内が大変なことに陥ったという恐ろしい実話がある…)


フットボールに毒されてサッカーを楽しめない人たち

ここまで読んで、「まぁこういう考え方もあるよね」とか色々思うだろうが、何故あえてこんなテーマを書いているかというと、タイトルに戻るが「フットボールに毒されてサッカーを楽しめない人達」を今まで大勢見てきたからだ。

フットボールにどっぷりはまって数年間は全試合皆勤、ACL海外アウェーですらも当然全て見に行く、応援のために試合日以外も準備等で時間を使う、練習場にも足を運ぶ…。傍から見てクラブのため、日本代表のために物凄くエネルギーを注ぎ込んでいる人達を大勢見てきた。

しかし、10年以上この情熱を維持し続けている人は本当に少なく、大半はフェードアウトしてしまって、情熱が薄れ義務感で見続けてしまうか、「細く長く」に切り替えるか、完全にサッカーから離れてしまうか、になっている。

このうち、完全にサッカーから離れてしまうことが勿体なく、残念だと思うため書いた次第

フットボールに毒されてしまい、いつしかサッカーを楽しめなくなった人たち
フットボールに毒されてしまい、いつしかサッカーを楽しめなくなった人たち

離れた理由も様々で、推し選手の移籍や引退が理由のケースは選手個人サポーターならそれが目的なので選手と共にサッカーから離れるのは当然だと思う。また、加齢や家庭事情による離脱も仕方ないと思うし自分にもいつか押し寄せる話だ。

ただ、それ以外のサッカーのピッチ外における問題で去った人も多い。例えば全力で関わり続けた結果、燃え尽きてしまった人。またはクラブフロントや協会のトラブルで愛想を尽かしたり、サポーター・ファン同士の諍い、こういった出来事で去る人も見てきた。

こんなピッチ外が要因で嫌になってサッカーを見ることを離脱してしまう流れが本当に勿体なく感じる(SNS上での争いやトラブルが原因のケースまでもある。そうなりそうな人は、メリット皆無だからSNSを辞めた方がいい)。

ピッチ内、フィールドの中は変わっていないのに、ピッチ外のところで嫌になって離脱してしまう。なんて勿体無いことか。サッカーの根幹はピッチ内。ピッチ外という本筋ではないところが原因になるとは…。/p>


元々はピッチ内のサッカーがベースとなって関わり始めた人なのに。フットボールに毒されたばかりに、長くサッカーを見続ける楽しさから離れてしまう

サッカーだけで満足できない、競技だけではつまらない、画面上の観戦だけではつまらない、そういった人が一定数いるのも理解する。また、これに関連してそもそもサッカー目的ではなくフットボール目的(競技としてのサッカーはあまり関心無く、応援目的)で入った人もいるので、そういった人はフットボールの観点で関わるのは自然。

ただ、サッカー目的で見始めたのならば原点に立ち返り、なんのために見始めたのかを思い出し、フットボールに毒されていないか、ピッチ外のことで嫌な気持ちになっていないか、そして、「ピッチ内のサッカーは変わっていないんだ」ということに気付いてほしい。

フットボールに毒されて楽しめないのなら、サッカーだけを見ればいい。立ち位置や関わり方を変えればいい。こんなに面白い競技はない。末永く楽しんでいきましょう。

フットボールに毒されてしまい、いつしかサッカーを楽しめなくなった人たち
フットボールに毒されてしまい、いつしかサッカーを楽しめなくなった人たち

なお、フットボールにドハマりし未だに色あせず楽しみ続けている人、更にはくだらないトラブルや揉め事すらも楽しんでいる人、これは最強です。

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