1. トップ
  2. 大正の息吹を残しながら、令和へと文化をつなぐ福島県の映画館「本宮映画劇場」110周年の歩みと未来

大正の息吹を残しながら、令和へと文化をつなぐ福島県の映画館「本宮映画劇場」110周年の歩みと未来

  • 2024.12.30

全国に映画館は様々あれど、そのなかにはいくつか“そこにしかない”モノやコトを持つ劇場が存在する。今年開館110周年だった、福島県本宮市にある「本宮映画劇場」は、1960年ごろまでは主流であった「カーボン式映写機」が現役で稼働する、全国で唯一の劇場だ。

【写真を見る】110年の歴史を感じる外観!

カーボン式映写機とは、棒状のカーボンを燃焼させることで映像を映しだす映写機。長いカーボンがプラス、短いカーボンがマイナスであり、それらの先端を8mmの間隔に保ちながら電流を通すことで、カーボンが燃焼し発光するという仕組みだ。1本のカーボンの燃焼時間がおよそ30分、当時はフィルムも7~8巻を順に替えながら上映を行っていたので、つまり上映している間は、フィルムとカーボンを常に交換し続ける必要があったという。

そんなカーボン式映写機も、使用機材の変化やデジタルへの遷移の末に衰退。現在では肝心のカーボンを製造する会社もなくなり、残っているのは、本宮映画劇場をはじめ全国で保管されているもののみとなっている。

【写真を見る】110年の歴史を感じる外観!
【写真を見る】110年の歴史を感じる外観!

本宮映画劇場は、大正13年(1924年)に「本宮座」の名前で開業後、芝居小屋から始まり、その後映画館として昭和38年(1963年)まで営業。閉館した現在は、館内の見学や不定期での上映が行われている。今回、街の秋祭りにあわせ上映会が行われたタイミングで、本宮市出身の編集部員が取材(当地出身ながら、実際に足を踏み入れるのは初)。カーボン式映写機はもちろん、営業当時のお話や現在の状況、今後の展望などを、2代目館主の田村修司氏と、3代目館主の田村優子氏に伺ってきた。

そこかしこに劇場があった、映画館全盛期

「本宮映画劇場」の文字と、隣には松竹のロゴが。よく見ると「劇」の文字は看板用の略字!
「本宮映画劇場」の文字と、隣には松竹のロゴが。よく見ると「劇」の文字は看板用の略字!

かつては現在と異なり、映画は映画館でしか観られないものだった。さらにテレビが普及しきっていなかった当時は、各地域に1~2館くらい劇場があり、本宮町(現在の本宮市)には本宮映画劇場のほか「本宮中央館」という別の劇場が営業していた。劇場ごとに日活系、松竹系…と、観られる映画が会社別で完全に分かれていたそうで、客入りはそういった部分でも左右されたのだとか。

営業当時について田村氏は、「当時の娯楽って言ったらデパートか映画館だけだから、福島市だけでも10館くらい映画館があったのに、駐輪場は自転車でいっぱいだった。自転車とかバイクがいっぱい停まっていて、その自転車の数が人気かどうかを示してた(笑)」と振り返る。「劇場の中でみんながタバコを吸うので煙だらけでした。床に吸い殻を捨てるから、映画が終わると掃除が大変。当時の映画館っていうのは、環境がすごく悪かったんだよ」と、当時ならではの苦労も聞かせてくれた。

作品ラインナップなどもあり、本宮中央館のほうがやや”自転車の数”は多かったそうで、「それで町の人から言われるの。『田村のところはいつ潰れんのかな』って(笑)」と笑いながら田村氏は語る。その一方、優子氏は、「でもいまになって、うち(本宮映画劇場)でなにを観た、って言ってくれる人に出会えたりします。『中央館と間違ってませんか?』って聞くと、ちゃんと『いや、田村のほうだよ』って。うれしいですよね」と、いまでも本宮映画劇場が地域に根付いていることがうかがえるエピソードも。

人気作であった『まぼろし探偵』や、山口百恵版『伊豆の踊子』のポスターも!
人気作であった『まぼろし探偵』や、山口百恵版『伊豆の踊子』のポスターも!
1959年の『女間諜 暁の挑戦』、1960年の『地下帝国の死刑室』
1959年の『女間諜 暁の挑戦』、1960年の『地下帝国の死刑室』

館内に多くのポスターが飾られている通り、開業から閉館まで数え切れないほどの映画を上映してきた本宮映画劇場だが、そのなかでもとりわけ客入りがあったというのが、本宮町をロケ地にした、森繁久彌主演、さらに三國連太郎も出演する『警察日記』(55)で、自転車置き場があふれ返るほどだったのだとか。主演の森繁はもちろん、『七人の侍』(54)の二木てるみ、福島県伊達市出身で、『殺しの烙印』(67)や「私立探偵濱マイク」シリーズなどで知られる宍戸錠が、現在の本宮駅前に撮影のため訪れた。

「『警察日記』はあんまり宣伝しなくても、観客が満員でした。口コミだけで宣伝になって、朝10時から夜19時まで人が途切れない。近くの村からもわざわざ歩いて観に来る人もいました」。

左から、『新宿そだち』(68)、『姿三四郎』(70)、『喜びも悲しみも幾歳月』(57)のポスター
左から、『新宿そだち』(68)、『姿三四郎』(70)、『喜びも悲しみも幾歳月』(57)のポスター

ちなみにもう1本、特に人が入ったというのが、桑田次郎原作で、当時の新東宝が制作した『まぼろし探偵』(60)。テレビドラマ版では、吉永小百合や藤田弓子が出演した人気子ども向け作品で、本宮映画劇場が上映された際には、3階席まで人がぎっしりだったという。ほかにも、佐田啓二主演の『君の名は』(53)や、同じく佐田が高峰秀子と共に灯台守の夫婦を演じた『喜びも悲しみも幾歳月』(57)が、人気作として印象に残っていると田村氏は話す。

「本宮映画劇場」でしか味わえない、数々のアイテム

カーボン式映写機。傷一つなく輝いている
カーボン式映写機。傷一つなく輝いている
映写に必要なカーボン。もう多くは残っていないそうだ
映写に必要なカーボン。もう多くは残っていないそうだ

先述の通り、本宮映画劇場といえば「カーボン式映写機」。実際に映写機を見せていただくと、傷一つなく、新品と見紛うほどピカピカの状態だった。不定期上映になった現在も田村氏が常に手入れを行い、いつでも稼働できるようになっているんだとか。カーボン式映写機の映写技師は年々減っていき、福島県内では田村氏一人のみになった。

「映写中、だんだんカーボンの先端同士が離れていくから、上映中は付きっきり。大変なんですよ。(映写機が)2台あるし、フィルムの巻き返しもしないといけないから、技師も3人くらいいてほしい。でも、もう技術持っててもメシが食えないですから。そういう時代になっちゃったね」。

少し道を奥に進んだところに、本宮映画劇場はある。もともと劇場のあったところはお寺で、細い路地は参道だったんだとか
少し道を奥に進んだところに、本宮映画劇場はある。もともと劇場のあったところはお寺で、細い路地は参道だったんだとか

ほかに田村氏のイチオシは、110年の歴史を持つ“建物”そのものだと語る。クラシカルな外観に、「本宮映画劇場」の文字、さらに主力であった松竹のロゴ、本宮映画劇場のキャッチコピーとなっている「場末のシネマパラダイス」の文字が刻まれている。ここを訪れる人のなかには、映画館としてではなく“歴史ある建物”として興味を持ち、遠方からカメラを携え足を運ぶ人もいるそうだ。本宮映画劇場は、建物の陰に隠れた少し奥まった場所にあるため、細い路地を抜けることで全貌を見ることができる。路地の奥でどっしりと佇む劇場は、建物マニアにはたまらない場所とも言えるだろう。

客席は木製の椅子で、床は三和土
客席は木製の椅子で、床は三和土

そしてもう一つ、優子氏は「木の椅子はもういまどき珍しい」と客席を推す。現在は「椅子がどれだけ快適であるか」も劇場を選ぶポイントで、当然のように布が張られたふわっとした座り心地の椅子がほとんどだが、本宮映画劇場では当時の木製の椅子がそのまま残されている。さらに、床は“三和土(たたき)”になっており、あらゆるところから、現在ではそうそう味わえないノスタルジーが漂っている。

ほかにも、映写室にはフィルムや未使用のカーボン、宣伝の主力であったという新聞の折込チラシ、テレビや映画の撮影で訪れた人々と館主の記念写真など、貴重なアイテムが数え切れないほど並んでいた。

ここでフィルムの巻き返しを行うのだそう
ここでフィルムの巻き返しを行うのだそう

“映画館文化”の維持と、地元への貢献

軒先だけでも雰囲気たっぷりだ
軒先だけでも雰囲気たっぷりだ

3代目館主の優子氏は現在、東京のミニシアターで働くかたわら、今回のように本宮映画劇場の不定期営業を行っている。本宮映画劇場には、昨年一部スクリーンを閉館した池袋HUMAXシネマズの椅子が10席引っ越ししているが、これも優子氏が買い取ったのだという。

「SNSで販売のお知らせが出ていて、『10席引き取りたい』と希望し、池袋から本宮まで運びました。こういうふうに、消えてゆく映画館の捨てられちゃうものもありますが、うちで預かれるものは預かって、使っていきたいなと思っています。失いたくないですからね。常にそういった情報はチェックしています」。池袋HUMAXシネマズの椅子だけでなく、昨年事業を終了した東京現像所の試写室の椅子も一部譲り受けたといい、「フランスのキネット社の椅子で、これは残したいと思いました」とも教えてくれた。

上映会やショーを行う際には、多くの人が集まるという
上映会やショーを行う際には、多くの人が集まるという

現在の映画館は映画の情報一式をデータで各劇場に送る「DCP上映」が一般的で、これに対応するには専用の機材が必要になる。そのため、資金が十分でないなどの理由から閉館に追い込まれる劇場も増えつつある。そんななかで、本宮映画劇場は不定期上映だからこそ現状維持し、各劇場のアイテムを譲り受けながら、もとの古きよき雰囲気もそのままに、建物を残していきたいと考えているのだそう。

「今回のように時々イベントをやって、日々見学も来てもらって、無理しないで維持をしながら、この古いままの空気感を見てもらって、本宮の活性化につながったらいいなと思います。映画ってすごく不思議で、男女とか年齢とか関係なく、映画を通して知り合いになりやすいところがいいところだなと思っていて。県外の人や本宮の人がふらりと立ち寄れる気軽なコミュニティの場であればうれしいです。本宮映画劇場は法人ではなく個人の所有物としてやっていて自由なので、たとえばここで歌ってみたいとか、踊ってみたいとか、そういうことを言ってくれたら協力していきたいし、決してホールとして設備は完璧じゃないけれど、『ここでよかったら』という気持ちで協力したいですね」。

本宮映画劇場は、JR東北本線「本宮駅」から歩いてほどない場所にあり、本宮駅のメインストリート沿いにあるため、ちょっとした散策などもできるだろう。駅から少し歩いた先には、NHK連続テレビ小説「エール」で山崎育三郎が演じた実在の歌手、伊藤久男の生家である「ハイツ」というドイツパン屋があり、ここも人気スポットの一つ。伊藤もかつては本宮映画劇場に訪れ、リサイタルを行っている。

開業からなんと110周年!地元、そして映画館ファンから愛される「本宮映画劇場」
開業からなんと110周年!地元、そして映画館ファンから愛される「本宮映画劇場」

地元が誇る名優や歌手をはじめ、大正や昭和のスターも数多く訪れた「本宮映画劇場」。閉館時から時を止め、大正の息吹を残した数少ない劇場に、ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか?

文/佐藤来海

元記事で読む
の記事をもっとみる