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馬渕磨理子さん(40)両親からの期待、葛藤…主語が「私」になるまで

  • 2024.12.30

経済アナリストとしてTVやラジオなどに引っ張りだこの馬渕磨理子さん。ご両親との関係性、今のキャリアや「自分」ができるまで、幸せを感じる瞬間についてうかがいました。(第2回/全3回)。

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馬渕磨理子さんprofile

1984年生まれ。ミス同志社、京都大学公共政策大学院卒。一般社団法人日本金融経済研究所代表理事。YouTubeチャンネル『馬渕磨理子の株式クラブ』登録者数41万人超。TV番組のレギュラー出演やラジオ出演など多彩に活躍中。直近の著書に『馬渕磨理子の金融・経済ノート』『一歩踏み出せない人のための株式原論』などがある。

権威性が強すぎたご両親との関係…葛藤と続く苦悩

乳がんになったという報道をみて両親からすぐに上京するという連絡がきたんですが、1人で入院して1人でタクシーで帰りました。今の自分とキャリアは、両親と距離をとってからできたもの。置いてきた過去の対応をする余裕はありませんでした。田舎だったので両親が望むこういう娘でいてほしいという像が強くあり、それに応えきれない自分がいて…葛藤で20代後半のときに潰れかけたんです。親のこうあるべきだという想いが強すぎてそれに応えられない子どもが心を病む、というパターンでした。もうちょっと価値観の違いを容認できるような関係性であればよかったのですが、権威性があまりにも強く、可愛いがゆえにこうあって欲しいというのが強すぎたんですね。

今は時代的にも社会も寛容になってきているし、子どもを自立した1人の人としてみられたらいいと思います。両親と距離を置いて10年近くになりますが、大切に育ててくれたことに感謝しています。幼い頃に母親が「知識と経験を大切に。物は誰かに盗まれても、知性は自分に身に纏う一番の宝物」と教えてくれたことを今でも思い出します。

「私はこう思う」自分の心や価値観を大事にしたい

27歳のとき、親子の関係性に悩み病院に通う中で「あなたは何がしたいの?」と聞かれても「母親が…」と答えるくらい主語が常に「母親」でした。ドクターが間に入って、そこからようやく両親と距離ができて、今の仕事ができるようになりました。「私はこう思う」と言えるようになったのが30歳超えてからだったので、主語が自分になるのに結構時間がかかりました。教育に携わって欲しかった両親を想うと、“金融業界で働いて申し訳ない”、“このような立場で、自分の意見を原稿で書いていいんだろうか”、“正しいことを言わなければ、両親が恥をかくのでは”と全てにブレーキがかかり、苦しみ、自らの命を落としかねないところまで病状が悪化した時期がありました。

物理的な距離を置くなかで、ブレーキが外れ、自分の意見を述べられるようになりました。尊敬して止まない両親ですが、互いに幸せであるためには、会わない方がいいという親子関係もあるのです。悲しい、切ないですね。両親は今テレビで私がコメントしているのをおそらく見ているので、それで親孝行させてくださいというか…本当に申し訳ないですけど…私が「両親の近くで廃人になっていく」よりも「遠く離れた場所で自分の人生を生きる」ことの方が両親にとっても幸せだと。

親不孝なんじゃないかとか、ゆくゆく後悔するんじゃないかとか思う方もいらっしゃるかもしれないけど、最後はやっぱり自分の心や価値観を大事にしたい。40代は自分が生きてきたもの、自分の価値観や自分が好きだなとか大事にしたいなということをちょうど考えるいい年代だと思うんですよね。所属するコミュニティの価値観にあまり左右されずに、皆さんにも自分がいいな、大事にしたいなと思うものを大事にしてほしいと思います。あまり頑張りすぎず、自分をあまり責めずに。今のコミュニティを1回ちょっと離れて違うコミュニティにいくことも選択肢としてあります。自分と同じような価値観の人たちも見つかると思うんですよね。そのときにもし資産形成とかキャリアとか自分の中の軸があって経済的に自分で立てていると、より自由度が上がるというか、自分で自分のことを守れたらそこの後押しになるのは間違いないですね。

人生でこんなに贅沢なことはない!猫とお昼寝が至福の時間

休みの日は飼っている猫に癒されています。幼い頃から1人暮らしをしたら猫を飼うのがずっと夢だったので、人生でこんなに贅沢なことは他にないんじゃないかと思うくらい。ずっとぬいぐるみで我慢していたのが、動いてニャーと鳴くなんて(笑)先代を亡くしたときは、ビルが揺れるくらい大きな声で泣きました。悲しくて悲しくて、泣き散らして辛かったですね。淋しすぎて100日の法要に行った後、新しくミヌエットの女の子を迎えました。その子を選んだ基準は、最後亡くなる前にお手洗いの世話をできるかどうか。ほとんど意識がなかった前の子のお世話も私にとってすごく幸せだったから。いい子に出会えたので、その子と一緒にお昼寝したりするのが今とっても幸せです。

撮影/加治屋圭斗 取材・文/香取紗英子 ※衣装は本人私物

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