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「特別」よりも「日常」。自分が貫きたい時間でクリスマスを過ごそう

  • 2024.12.30

2024年も終わりが近づいている今、クリスマスがさらに年末までの時間を進めていくようだ。

2024年は私にとって、これでもかっ!というほど、いろいろなことを考え、生きることの尊さを思い知らされた一年だった。だから、今年の冬はいつも以上に寒く感じてしまう。切ないクリスマスを迎えるんだろうなあ、とすでに想像している一方で、夢が詰まっていたクリスマスを思い出したりもする。

◎ ◎

冬休み中も練習があり、クリスマスイブもクリスマスも、部活で予定が埋まっていた中学時代。汗臭い防具を、クリスマスも装備しなければいけない現実が、私をクリスマスという聖夜を遠くへ押しやっていたのかもしれない。しかし、それはそれで幸せなクリスマスではなかったと感じている。ひとり家に宿題をおともに、引きこもって、孤独だなあ、と呟いてテレビのチャンネルを回している姿よりかは、「青春」を感じるクリスマスだったのではないか。

イチ、ニッ、サン、シー、ニィ、ニィ、サン、シー。と声を上げながら、いつも通りに準備体操をして、防具をつける。14歳の私には、当たり前の景色で、クリスマスまでこんなことをやってるなんて、寂しい人だなあ、とうんざりしていたけれど、今となっては愛おしい時間だったと思う。

部活が嫌で仕方なかった、というわけではないが、やはり多少は「彼氏と何も考えずに、ただイチャイチャする」ことに必死だった同級生たちが羨ましくなかったというと嘘になる。胴着に防具のフル装備で、薙刀を振り回すクリスマスは、おそらく人生のなかで一度も訪れる予感は、今のところない。どちらかというと、当時の私が、憧れていた「彼氏と何も考えずに、ただイチャイチャする」という時間のほうが、多くなっていくはずだ、と勝手に確信している。

だからこそ、もし薙刀を振り回していたあのクリスマスに戻れたなら、「面っ、スネっ!」とさらに力を振り絞って、一点集中してやり遂げたいと思う。スポーツ万能な人間ではないけれど、声を出すことが楽しくて仕方なかった思春期真っ盛りにいた14歳の私へ、運動なんてすることが減り、理不尽な世の中で何もできずにいる22歳の私から、伝えられるメッセージがあるということを、クリスマスが教えてくれているみたいだ。

◎ ◎

やはりクリスマスには魔法がかかっている。そう表すと、また聖なる夜とか、コツンと音を響かせる二つのワイングラスとかにしかイメージが湧かないけれど、あえて普段通りに着飾らずに過ごすクリスマスが、今はなんだか愛おしく思えるのだ。

「特別」よりも「日常」。その当たり前のようで、コツコツと努力を重ねて生きている人にしか訪れない幸せがあるということを、身をもって知った2024年だったからこそ、クリスマスを気負わず過ごしてみたい。平穏で平凡、それも良い意味で「しあわせ」を積み重ねていくことに繋がると私は感じている。「聖夜を過ごそう!」と気取ってワイワイと騒ぐクリスマスよりも、下手に気を張らず、時間の許す限り、誰もがゆっくりと過ごせる時間こそ、クリスマスなんだなという考えが広まってほしいなあ。

クリぼっち、なんていう言葉もあるけれど、そんなの全く笑えないし、どうでも良いのだ。ひとり秘かに、ゆったりと過ごす時間も、贅沢だと思うからこそ、ぼっちなんてひとりもいないはず。

変化のない時間も、時たまには必要なこと。クリスマスくらいは自分らしくいよう、と呪文のように語ってしまいそうだけれど、自分が貫きたい時間の過ごし方をクリスマスでは思う存分、パフォーマンスしてみせよう!

この宣言こそが、私にとって寂しくて震えあがるくらい寒い2024年のクリスマスを彩ってくれるに違いない。

■真桜のプロフィール
恋愛の神様、北川悦吏子先生に憧れながら、小説やエッセイを執筆しています。

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