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能登半島地震で被災 “ごちゃまぜ”サービスの「輪島カブーレ」 苦闘の1年

  • 2024.12.30

2024年1月の能登半島地震と、同年9月の豪雨で大きな被害を受けた石川県輪島市。市の中心部を拠点に、高齢者や障害者、住民、観光客などに対して、様々なサービスを提供してきた「輪島KABULET(カブ-レ)」は地震発生以降、住民と自分たちの“日常”を取り戻すために奮闘しています。地震から1年を迎えるのを前に関係者に話を聞いてきました。

温泉、食事処、デイサービス、配食… 多様なサービスを様々な人に

「輪島カブーレ」を運営するのは、社会福祉法人「佛子園(ぶっしえん)」です。2015年から準備を始め、2018年、輪島市中心部にあった複数の空き家をリノベーションした建物を中心に、営業を始めました。

高齢者向けのデイサービスや配食サービス、障害者向けのグループホームなどのほか、誰でも利用できる温泉施設や食事処、カフェ、スポーツジム、ゲストハウスなどを展開。カフェなどでは障害を持つ人も働いています。

施設長の寺田誠さんは、「高齢者も障害を持つ人も、親子連れも旅行者も、同じ空間で過ごして交流できる。“ごちゃまぜ”が、カブーレの理念です」と話します。

元日の地震 ゲストハウスは大破 拠点施設は温泉の配管などが損傷

2024年元日の地震で、カブーレが運営する施設のうち、ゲストハウスの損傷が最も大きく、サービスが提供できなくなりました。「拠点施設」と呼ばれる、温泉や食事処、高齢者配食サービスの拠点がある建物でも、温泉の配管設備などが損傷しました。

被災したほかの福祉施設に物資配送

最大震度7の激しい揺れで、奥能登は上下水道管が壊れて断水したほか、停電も発生しました。道路網は寸断され、流通も制限されました。

佛子園と、協力関係にある青年海外協力協会(JOCA)は、金沢市内の関連施設に物資を集めて、毎日のように、カブーレを始め、被災した市町村にある福祉施設向けに、食料や水、衛生用品などの物資をトラックで送り続けました。カブーレでは、輪島市内の高齢者施設や障害者施設など、ほかの事業者が運営する福祉施設にも必要な物資を問い合わせ、バンに物資を積んで届けていたといいます。

市役所内カフェに福祉避難所 温泉復旧を急ぐ

カブーレが運営を受託している輪島市役所2階にあるカフェでは、2024年1月2日から、一般の避難所で過ごすのが難しい人を受け入れる「福祉避難所」を開設しました。まもなく必要な物資を供給できるようになったものの、困ったのはお風呂でした。

自衛隊が運営する風呂は近くにないうえ、長い列を作らなければならなかったり、時間制限があったりして、福祉避難所にいる被災者にとってはハードルが高いものでした。カブーレでは温泉の復旧を急ぐことになりました。

水入りのペットボトルで湯温を下げ、温まった水で体を流す

地下1200mからくみ上げる温泉は、地震後も問題なく湧いていたものの、60度ほどもある源泉の温度を下げたり、塩分が高い温泉成分を洗い流したりするためには真水が必要でした。佛子園本部から送られた大量の水をペットボトルに入れ、大量に浴槽に入れて湯温を下げたほか、温まったボトルの水を使って髪の毛を洗ったり、体を流したりしていました。

1月12日に温泉を再開し、最初は福祉避難所やその他の福祉施設利用者を対象に提供しました。その後、自衛隊のお風呂がない小規模な仮設住宅団地の住民、それから一般利用者――というように、利用者を拡大していきました。一時は1日に300人が利用したそうです。

もともと、カブーレの温泉は、地元である2区7町会の約200世帯は無料で利用できる仕組みでした。カブーレ近隣に住んでいた高木雅啓(まさひろ)さん(65)は、地震後に利用していた避難所から、カブーレの温泉に入りに来ていました。「自衛隊の風呂は遠くて行けず、1か月近く入浴できなかった。カブーレの温泉が再開してくれて本当に助かった」と振り返ります。

カブーレでは地震後、地元以外の被災者も無料で温泉に入れるようにし、その後、県が被災者の銭湯利用に補助金を出すようになりました。

地元住民と一緒にイベント開催

地震発生から1か月ほどして物資などが行き渡るようになった一方、住民たちの間では、「能登半島地震の報道が減ってきたと感じる」「能登はこのまま忘れ去られるのではないか」という危機感が高まったといいます。

高木さんたち近隣住民は、カブーレの寺田さんに「輪島でイベントをやって発信する機会を作りたい。一緒にやってもらえないか」と持ちかけます。話し合いの結果、カブーレの拠点施設前の通りで、能登の食とお酒を楽しむイベント「SAKEBEER NOTO2024」を開くことが決まりました。寺田さんは、被害を受けた市内の飲食店や、行政などに声をかけて、出店者の調整や、避難所からの参加希望者を乗せる車の手配などを行いました。

当日は、26店舗が提供した能登の食と酒を、市の内外から集まった約1200人が堪能しました。

「被災後、笑うこともあまりなかったけれど、久しぶりに笑った」という人もいたそうです。

9月の豪雨災害は地震以上のダメージに

2024年9月21日、今度は豪雨が輪島市を襲います。カブーレの近くでは、午前10時45分ごろからわずか15分ほどの短い間に、ものすごい勢いで水位が上がり、腰の高さほどまでになりました。

 

カブーレの拠点施設では、1階全体が床上浸水し、食事処「やぶかぶれ」の厨房に置かれていた大型の冷蔵庫や棚、調理機器などが水に浮き、全て使えなくなりました。40畳ほどの飲食スペースは床上30㎝ほど浸水しました。畳はもちろん、床材も廃棄した上、泥出しをして完全に乾燥させるしかなく、多くの作業が必要な状態になりました。当時、現場にいた「やぶかぶれ」の料理長(50)は、「最初は冷蔵庫が倒れないように押さえていたけれど、水がどんどん上がってきて、もう無理だ、となって避難しました。恐怖を感じるような増え方でした」と話します。

「カブーレを早く再開させよう」地域住民が自発的に片付け参加

豪雨翌日の9月22日、寺田さんは、地域住民と作るLINEグループに来たメッセージを見て驚きます。

高木さんらが、町内の人たちに対して「カブーレを早く再開させるため、9月23日朝9時からの片付けに参加しましょう」と呼びかける内容で、豪雨被害を受けた人や、地震で仮設住宅に移っている人もそれに応じていました。呼びかけた一人の多賀美太郎さん(65)さんは、「地震の後も、地域の拠り所となってくれていたカブーレに、少しでも恩返ししたいと思った」と話します。

寺田さんは、「こんなにうれしいことがあるだろうか、と思いました。この地域に根ざして、『住民主体』を心がけて事業をやってきてよかった、と涙が出ました」と振り返ります。

近隣住民の助けもあって、温泉は10月3日に再開、食事処も同月下旬に部分的に営業を始め、11月の終わりには夜の営業も再開しました。

「輪島に残る住民が活動し、交流できる場を守っていきたい」

自宅が被災して、離れた場所に住む家族や親戚の近くに引っ越したり、市外の「みなし仮設」に行ったりして、輪島市を離れる人も多くいます。そんな中、カブーレは、輪島に住み続けたいと希望する人たちに、地元にとどまるすべを提示しています。

寺田さんは、「もともとの輪島の家は広くて、家の隣には畑があって、出かける先もあって、生活の中で自然に活動できていたのに、仮設住宅では活動量が落ちてしまい、交流する機会も減ってしまっています」と指摘します。

佛子園は、輪島市内の仮設住宅団地に4か所整備される予定の、風呂や食事処などを備えた「コミュニティセンター」の運営も担うことになっています。「今後も、住民が集まって活動し、交流を楽しめる場を作っていきたい」と寺田さんは話しています。

<執筆者>
針原 陽子
「防災ニッポン」編集長

 

 

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