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【インタビュー】J1柏レイソルDF関根大輝が進むプレミアリーグへの道「絶対にプロで通用しない」CBが日本代表のSBになるまで

  • 2024.12.29
【インタビュー】J1柏レイソルDF関根大輝が進むプレミアリーグへの道「絶対にプロで通用しない」CBが日本代表のSBになるまで
【インタビュー】J1柏レイソルDF関根大輝が進むプレミアリーグへの道「絶対にプロで通用しない」CBが日本代表のSBになるまで

Text by ライター

「柏から世界へ」を体現しようとする現役大学生Jリーガーがいる。J1柏レイソルDF関根大輝(ひろき)だ。

名門・静岡学園中学、高校から拓殖大に進学すると、大学3年(現4年)ながら、今季J1リーグ開幕京都サンガFC戦でリーグ戦デビューを飾った。さらにJリーグでの活躍を受けて今夏はパリ五輪に臨むU-23日本代表のメンバー入りを果たした。同大会では惜しくも準々決勝でスペイン代表に敗れたものの、身長187センチの大型サイドバックとしてチームの攻守を支えた。22歳は勢いそのままに10月、11月は森保ジャパンの一員となった。

A代表での公式戦はまだ出場できていないが、自身が描く青写真を明かした。

(取材・文 浅野凜太郎)

A代表で感じた刺激と共通点

――10月には初のA代表に選出されました。J1第33節横浜F・マリノス戦(1○0)直後の招集だったと思います。

「マリノス戦が終わってから、すぐに(代表招集を)言われました。国内組の出発がその日の夜だったので、『すぐに出るぞ』と言われて…(笑)。急いで準備をしてからクラブハウスに戻ってきて、出発しました。

次の日の便でもいいと言われていたんすけど、森保さんや他の国内組とも一緒に行けるから、挑戦してみようと思いました」

――反響も大きかったのでは。

「いろいろなメッセージをもらいましたけど、追加(招集)なので。たぶんA代表にしっかりと招集されていたら、もっとすごかったのかもしれないですね(笑)」

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――初めてのA代表は率直にいかがでしたか。

「いろいろな選手とほぼ初対面だったので、最初はすごく緊張しました。でも佑都さん(DF長友佑都、FC東京)からいじってもらえたりしたので、だんだんと慣れていきました」

――長友選手とはどのようなお話をされましたか。

「佑都さんとお話する機会が多かったんですけど、経歴が似ている部分があると思いました。佑都さんも大学生でFC東京に行って、オリンピックにも出場。そのまま1年目の早い段階で代表にも定着していたので、やっぱりすごいなと思いました。

でもそこまでの過程は、自分とすごく似ていると思った。大事なのはここからどうやって成長していくかだと思います。佑都さんは高いレベルでずっとプレーしてきた。日ごろの意識で、自分の行ける場所が決まってくる。そこは佑都さんを見て、大切にしていかないといけない部分だと思いました」

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――実際に日本代表の活動では欧州組の鳥かごに入っていく姿などが印象的でした。意識して入りましたか。

「そうですね。どのグリッドもレベルは高いんですけど、やけにあそこは(欧州組が)固まっていた(笑)。もちろんあそこに入るだけでも自分に緊張感は出てきますし、そういうところでやりたいとずっと思っていたので、あのメンバーのところに入れるようにしていました」

――代表で刺激を受けた選手はいましたか。

「みんな本当にうまいんですけど、やっぱり守田選手(MF守田英正、スポルティングCP)はボールを取られないですし、逆に奪うこともできる。そもそもミスをしないですし、囲まれても焦らない部分が本当に上手だと思いました」

招集予定だったJ1川崎フロンターレDF高井幸太が負傷のため、代替選手として招集された柏の背番号32は、10月のサウジアラビア代表戦(2○0)とオーストラリア代表戦(1△1)では、両試合でメンバー外と悔しい思いをした。それでも関根は限られた時間の中で多くを吸収し、課題と向き合った。

日本代表に入るための絶対条件

――11月にも再びA代表に招集されました。何か変化はありましたか。

「10月の代表期間ではボールを運ぶ部分や守備を森保さんから言われていました。だから帰国してからはJリーグも含めて、そこを意識していましたね。11月にもう一度(A代表に)選んでもらえて、練習に入ったときには言われていた部分をまずは出そうとしていました。前回以上に練習中からチャレンジができたと思います。

課題が明確だった分、そこを意識して練習からプレーできました。森保さんからも『前回よりもチャレンジしてくれている』と言ってもらえました。あとは精度を上げる必要がありますし、他にも個人的に思っている課題の部分をなくしていきたい。3月の代表にまた入れるようにやっていきたいですね」

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――柏レイソルでは大外からクロスを上げていくスタイルが目立ちますが、もっと自分でドリブルやシュートまで持っていく機会を増やしたいというイメージですか。

「そうですね。まずは一人で何かができる選手になることが代表に入る絶対条件だと思います。攻撃にしろ守備にしろ、違いをつくる必要がある。1個武器を持たないと生き残っていけないと感じました。

じゃあ、それをどこでつくるのかと考えたときに、自分はディフェンスで高さがあるので、ヘディングでは絶対に負けないとか、守備の対人の部分では1対1で絶対に負けないとか。そういう部分をすごく意識するようになりました。攻撃でも、いままでだったら単調にクロスを上げていた部分を、もう一個工夫して運んでシュートを打ってみるとか、誰にでもできるようなプレーではなくて、自分にしかできないプレーというか…。世界を見ても『あまりこういうプレーをやっている人はいないよね』と言われるプレーを出せるようにしたい」

【インタビュー】J1柏レイソルDF関根大輝が進むプレミアリーグへの道「絶対にプロで通用しない」CBが日本代表のSBになるまで
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――「自分にしかできないプレー」というと、11月の代表活動ではDF橋岡大樹(EFLチャンピオンシップ、ルートン・タウンFC)選手がスリーバックの右センターバックでプレーしていましたよね。関根選手は高校時代にセンターバックだったと思いますが、両ポジションでプレーできる強みがあると思います。

「スリーでプレーしたときには運べる強みは出せると感じました。あとはボール扱いにも自信があるので、前の選手につけるプレーは出せると思います。ただそのクオリティをもっと上げていかないといけない。(パスの)受け手のつける足とか、細かいところにまでこだわっていかないと、ちょっとした判断ミスであのレベルになるとビルドアップがうまく回らなくなる。そこをもっと考えるべきだと、今回の代表活動でまた新たに感じました」

静岡学園での日々がサッカー選手としての基盤をつくった。全国屈指のテクニシャンたちが集う中、関根はセンターバックとしてプレー。足元の技術に磨きをかけ、プレイヤーとしての自信を深めていった一方で、「まだプロでは通用しない」と拓殖大への進学を決めた理由があった。

「絶対に大学で4年間やってから」

――センターバックでの持ち運びや足元の技術は静岡学園(中高)で培われた部分が大きいですか。

「技術の部分は明らかに中学からやってきたことが身についています。身長が高くて足元があるところが武器ですし、そこを静学から磨いてきて良かったと本当に思います。コーチ陣や先生に一人の人間としての部分を鍛えられたというか、常に謙虚であることの大切さを言われてきたので、人としても成長できた期間でした。

それこそ代表では怜央くん(MF旗手怜央、スコティッシュ・プレミアシップ、セルテックFC)と静学の話をしました。中国で静岡県予選の決勝を観て、やっぱり上手いなって思いました。チャンスがあったら(高校サッカー選手権を)観に行きたいですし、優勝してほしい。怜央くんは(静岡学園に)贈り物をしていると言っていたので、自分も受け継いでいきたいですね(笑)」

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――静岡学園にはどのような経緯で入学を決めましたか。

「ロアッソ(熊本内定)の(MF)渡邉怜歩(れある、現・鹿屋体育大)が小学校時代に同じ少年団でプレーしていたんですけど、彼のお父さんが静学出身で、その人に小学校のころから静学がやるような足元を鍛える練習を教わっていました。それで怜歩から静学に誘ってもらって、一緒に入学しました」

――そのまま高校2年時には全国高校サッカー選手権で優勝を経験しました。

「でもぜんぜん(試合に)出ていなかったので…。Aチームに入ったのも、全国大会の直前でした。もちろんうれしかったですよ。でもだからといって自分自身が燃え尽きるような感覚はなくて、むしろ次の年には自分たちの代が来るから、そこで逆にやらないといけないというプレッシャーの方がありました」

――その後、拓殖大に進学されました。高校在学中にプロへの道は考えていましたか。

「高校のときは『いまプロにいっても絶対に通用しない』という感覚が自分の中にあった。仮にどこかからオファーが来ても、絶対に大学で4年間やってから(プロに)いこうと決めていました。

その中で1個上の(MF)浅倉廉さん(J2藤枝MYFC)が拓殖に行って、ちょうど1部に上がったタイミングでした。監督からも『拓殖がいいサッカーをするし、行った方がいいよ』と言ってもらえたので、(3年の)夏過ぎには進学を決めました」

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――プロで通用しないと思っていた理由は何ですか。

「一番は体の細さですね。技術面は鍛えていましが、上のレベルへいったときにフィジカルは少なからず必要だと感じていたので、このまま高校から約3年で結果を残せるかと考えたときに『正直、高卒じゃきついというか』。あまり成功しているイメージが浮かばなかった。

ちょうど三笘選手(MF三笘薫、プレミアリーグ、ブライトン)や旗手選手が大卒で活躍していた時期でもあったので、絶対に大学へ行こうと決めました」

大学では転機があった。関根は慣れ親しんだセンターバックからポジションを右サイドバックに変更。このコンバートが、関根の飛躍を後押しした。

柏への加入前倒しを決めた理由と感謝

――そこでサイドバックへの転向があったわけですね。

「大学1年のときにチームがあまり勝てていない中で紅白戦があって、そこで右サイドバックの位置に自分の名前がありました。最初は『なんで?』みたいな感じです。でも実際にやってみたら意外とうまくいって、楽しかった。そこからはすっかりとサイドバックですね」

――すぐにサイドバックをモノにしたのですか。

「サイドバックとしての能力は、ある意味コンバートされた時点でゼロからのスタートでした。でも大学3年までの間で明らかに伸びたと感じますし、センターバックでのプレーと違って攻撃に行くことの楽しさもさらに感じられるようになりました」

――サイドバックとしてどんどん成長して、大学3年時には柏レイソルから特別指定選手となりました。当時の心境について教えてください。

「サイドバックに変わった後から(全日本大学)選抜にも選んでもらえて、だんだんとプロに近づいてる感覚が自分の中にもありました。大学3年でプロ内定をもらうという理想を描いてたので、早いタイミングで(柏に)声をかけてもらったことはうれしかったですし、迷わずに加入を決めました」

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――加入を決めてから、関根選手は大学で主力だった中、前倒しでチームに合流を決断されました。

「一番はオリンピックに出たいという想いがあったからです。オリンピックに出るためにはJリーグでプレーしないといけないと思った。大学とJリーグだとどうしてもレベルの差が明らかにありますし、まずは自分がそのレベルにいかないと、オリンピック代表にも絶対に選ばれないと感じていました。

自分はその気持ちを正直に大学の監督に伝えました。そしたら快く送り出してくれたんです。自分の成長のためにって…。あの前倒し加入はいろいろな関係者の方々の理解があったから実現した部分が大きかったと改めて思っています」

――そこから柏では開幕スタメンを飾りました。大学での経験は大きかったですか。

「それこそJリーグで開幕スタメンを取れたことが、自分にとって一番大きかった。練習をやっていくうちに、『試合に出るな』と分かってきて、はじめはすごく緊張しました。でも、とにかく自分の持っているものをすべて出そうと思ってプレーしていました。

まずはプレースピードが違ったのでそこに慣れることが必要だと感じていました。そこに慣れてからは、大学で学んだサイドバックとしての技術は出せました」

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――プロ1年目にしてシーズンを通して戦ってきました(リーグ戦31試合出場)。ご自身の中でたくましくなったと感じていますか。

「それはまだないですね。だんだんと成長できている、充実している感覚はありますけど、もっと上のところを目指しているので。A代表に入って試合に出るくらいのプレーができているかといえば全然できていないですし、いろいろと課題がありますね」

ひと回りほど年齢の違う相手選手にも臆さない関根だが、ピッチ外では先輩たちからいじられ、可愛がられる一面もある。ついつい現役の大学生だと忘れてしまう22歳のキャリアは無限の可能性が秘められている。

プレミアリーグ挑戦を目指す

――プロ1年目から日本代表へと駆け上がっていますが、環境の変化に苦労はしませんでしたか。

「大学時代もいまと似たような生活でした。拓殖では朝練習をやってから筋トレ、そのあとにご飯を食べて、また筋トレをしていました。いまと同じような生活リズムだったので、こっち(柏)に来てからも、戸惑いはありませんでした」

――大学生活も終わりに近づいていると思います。順調に卒業はできそうですか。

「大学3年の前期には単位をほとんど取り終わっていましたし、僕の学部は卒論もないので、大丈夫だと思います」

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――すごいですね。大学のご友人たちはいまごろ遊んでいる時期ですかね。

「そうですね(笑)。でも特に羨ましいとかはなくて、自分は遊ぶのがすごく好きなタイプというわけでもないんです。なんだか疲れてしまって(笑)。だからあまりどこかに出かけたりもしませんね」

――でも今年は世界中を飛び回った。

「いろいろな国に行きました。一番良かった国はフランスですね。でも意外にカタールも良かったんですよ。ホテルもすごく綺麗だし、食事はシェフがついてくれていた。もちろん、周りの人に助けられていた部分もありましたけど、自分の中ではカタールもいいなと思いました」

――フランスはパリ五輪で訪れたと思います。オリンピックで得たものを教えてください。

「パリ五輪でスペインに負けたときに、もう一回このユニフォーム(日本代表のユニフォーム)を着て、スペインにリベンジしたいと思いました。

日本を代表して戦うことの重みや誇らしさは、あの大会を通して感じた部分です。またあのユニフォームを着たいと強く思っていますし、もうA代表しかないので、いち早く試合に出られるように頑張りたいです」

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――今後のキャリアの展望を教えてください。

「最終的にはプレミアリーグでやりたいです。代表ではプレミアだけはなくて海外でやっている人が多いですし、自分はそれぞれの地域の話もよく聞いていて、その時間が一番楽しいです」

――イギリスだとご飯の心配はないですか。

「みんな『結局、慣れだよ』と言いますね。もう出されたものを食べるしかないって。日本との違いもよく分かったので、自分も慣れていくんじゃないかな(笑)」

――先ほどカタールが良かったとおっしゃっていましたが、近年では中東のリーグに向かう選手も増えていますよね。関根選手はどうですか。

「それも一つの方法だとは思います。でも僕はさっきも言った通り、プレミアに行きたい。

それを考えたときに、踏んでいくステップというものがあると思うんです。行くべき場所は自分で考えながら決めてく必要がありますし、違いをつくれる選手になれば、そういう舞台にも絶対に行ける。そこで活躍した後に、最後に行く考えはあるかもしれないですけどね(笑)」

【インタビュー】J1柏レイソルDF関根大輝が進むプレミアリーグへの道「絶対にプロで通用しない」CBが日本代表のSBになるまで
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憧れの地であるイングランドへと着実に向かっている関根は、堅実なキャリアプランや私生活とは対照的に、ピッチでは大胆不敵なプレーを披露する。


"ここぞ”というときには大きな一歩を踏み出せるからこそ、静岡学園、拓殖大、柏レイソル、パリ五輪、日本代表と歩みを進めてこられたのだろう。「あっという間の1年でした」と振り返った関根は、来シーズンも駆け抜ける。

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