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「光る君へ」振り返りトーク。ありがとう、まひろと道長。物語の世界よ、永遠なれ

  • 2024.12.30

「光る君へ」言いたい放題レヴュー

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「光る君へ」が終ってしまいました。M男はそれなりのロス状態ですが、N子さんのロスは相当深いみたい。このロス沼から抜け出すためには、ドラマに対する熱い思いを語り合うのが一番。という訳で、今回は「光る君へ、よしなし事トーク」です。

 

大河ドラマを観てこなかった女子層に刺さったかも

N子「とうとう終わってしまったわ」

M男「喪失感ハンパない」

N子「配信数は歴代1位とか」

M男「でも、視聴率は『いだてん』に次いでワースト2位だってさ。信じられない」

N子「今どきは録画して観る人も多いから、視聴率の数字なんてあまり意味がないと思うわ」

M男「配信だって、ここ10年以内の話だから歴代1位と言われても……」

N子「そう、だから数字をとやかく言うことは無駄だと思うの。でも、今まで大河ドラマを観てこなかった女子層には確実に刺さっていたと思うわ」

M男「確かに、はまっているのはどちらかといえば女子が多かったような気がする」

 

大河ドラマは、歴史エンターテインメントとして楽しむべきなのでは

M男「noteでも、『光る君へ』に関するコメントがたくさんあがっているけど、ざっと見たところ、大感激7割、非難3割という感じかな」

N子「非難する人もいるんだ」

M男「非難派の多くは、大河ドラマは歴史ドラマであるべきで、道長と紫式部が関係あったとか、賢子が道長の子だったという、あまりにも破天荒な筋立てはいかがなものか、という論調みたい」

N子「でも、これまでの大河だって、たとえば平家が壇ノ浦で滅亡して義経が平泉で死んだという史実が存在するだけで、個々の登場人物のキャラなんて、想像で作りあげたいわばフィクションですからね」

M男「坂本龍馬も、史実としては西郷隆盛の使い走り役で、薩長同盟の立役者には程遠かったみたい。だから歴史学的には研究する価値がなく、たしか教科書にも載ってなかった気がするよ。それなのに大河の主人公になっているんだから」

N子「そう、だから大河ドラマは歴史エンターテインメントとして楽しめばいいのよ。ただね、最初のころにさんざん書いたけど、いくら下級貴族の娘とはいえ、夜の平安京を独り歩きはしないだろとか、当時の生活様式から大きく逸脱した場面には、ちょっといかがなものかと思ったわ。代書屋とかね」

M男「僕も最初のころは、やれ言葉使いが現代風だの、貴族の御曹司たちが馬に乗るかよ、とかいろいろ目くじら立ててたなぁ。でも、次第にそんな粗探しはどうでもよくなって、ドラマにどんどんのめり込んでいきました」

セックスもバイオレンスも、ある意味ではたっぷりでした

N子「そうね。最初のころは、ちょっと停滞してたかも。ダイナミックに動き始めたのは、越前編以降かな」

M男「海辺と国司の館と周明しか出てこない越前編そのものはイマイチだったけどね」

N子「大石静さんが、製作発表の記者会見で『今回はセックスとバイオレンスです』とおっしゃった時は、正直、なんじゃそれと思ったけど、越前編以降は確かにそうでした」

M男「際どいシーンも多かったし」

N子「M男さんは、よく怒ってた」

M男「親と一緒に小学生もテレビの前にいる日曜の夜8時ですからね。ドギマギした親御さんたちは少なくなかったと思うよ。花山帝の変態ぶりとか」

N子「確かに、NHKにしては攻めてた。でも、考えてみれば入内した中宮は、とにかく男子を生むことが役目で、帝と妃にとってはそれが最大の業務。伊周が定子に『子をなせ、子をなせ』と執拗に迫るのも当然で、ある意味では内裏はセックス充満の気分。桔梗の目の前で一条帝と定子が『ちょっと』といって奥へ入った場面など、ほんとにあからさま」

M男「直接的な暴力はなかったけど、権謀術数を張り巡らせる、という意味でのバイオレンスもたっぷりだった。途中から、こりゃまんま『ゴッドファーザー』じゃん、と思ったら大石さんが、すでに記者会見でそう仰っていたみたい」

N子「そうよ。まさに『ゴッドファーザ―』。アル・パチーノが純朴青年からだんだんマフィアになっていったように、道長も前半は善人道長だったけど、後半はどんどんブラック道長になっていき、彼がブラックになればなるほど面白くなっていったものね。そして前半での明子、中盤以降の伊周の“恨”のエネルギーも凄かったわ」

M男「鬼気迫るものがありました」

N子「明子のポジションって、途中で変更されたような気がするわ。製作発表時には明子は『源氏物語』の六条御息所のような立ち位置で、恨みはまひろにも及ぶ、的な説明があったような気がするの。でも、そうならなかったから、少し変えたのかもしれない」

平安女流文学に対する温かい眼差しと、リスペクトに大感動です!!

N子「『光る君へ』の最大の特徴というか、一番嬉しかったことは、『物語』に対する温かい眼差し。もう少し硬く言うならば、平安女流文学への深いリスペクト」

M男「そうだね」

N子「大石さんが、『源氏物語を劇中劇で使うようなことはしません』と記者発表で仰ったとき、その手法を使わないで1年間持つのかなと、とても不安でした。籠から逃げた鳥を探しにいったまひろが三郎に出会うなど、第一話から『源氏物語』を下敷きにしたというか、オマージュを捧げた場面はちょいちょいあり、それはある程度想定できてたけれど、まさか平安女流文学を総覧するような、壮大な裏テーマがあったとは」

M男「僕も、道隆の最期の場面のとき、看取った妻の貴子がじつは百人一首の儀同三司の母と同一人物だとの説明があり、へぇーそうなんだと思いつつ、その一方で、わざわざそこまで出さずともと思ったけれど、今から思えばこれも、女流文学総覧のひとつだったかも」

N子「『蜻蛉日記』も、かなり早くから出てたわよ」

M男「『蜻蛉日記』という名前は知ってたけれど、作者がまさか道長のとうちゃんの妻の一人で、しかも、やっぱり百人一首に出てきた右大将道綱の母だとわかったときは、かなり感動したなぁ。今回の大河の素晴らしかったところは、花山帝、一条帝、三条帝、そして右大将道綱の母や藤原公任など、文字面だけでしか頭に入っていなかった平安時代の人々が、リアルに感じられたこと。もちろん演じた俳優さんを通してだけど」

N子「そうね。信長や家康、義経や頼朝は、これまで放映された数多くのドラマと、その中で彼らを演じた役者さんたちによって、なんとなく実像が頭の中に浮かんでいるような気がしてたわ。今回やっと平安の人々もその仲間入りをしたって感じ」

M男「一条帝とか、wikiに出てる肖像画だと、それほどイケメンじゃないけどね」

N子「それは言いっこなしよ」

まさか、『枕草子』の成立をテレビで観られるとは

M男「驚いたのは、『枕草子』が書かれたのは、定子のサロンが華やかかりしころと同時期だとばかり思っていたけど、悲惨な境遇となった定子を慰めるために、清少納言があれを書いたとは」

N子「『枕草子』がなぜ『枕』という文字を冠しているのかは、はっきりと分からないらしいわよ。成立年代も。でも、病床に伏している定子を慰めるために、御簾の外に桔梗がそっと置き、それを読む度に定子が四季の移り変わりとともに、少しづつ元気になっていくシーンは、本当に感動したわ。史実かどうかは別として、素晴しい解釈と演出だったと思う。『枕草子』の成立が、たとえ史実ではないかもしれないけれど、テレビで見られるなんて思いもしてなかったわ」

M男「じつは、僕も少しけウルッときた。多くの人が良かったと言っている、まひろの頭上から色とりどりの紙が舞い降りてくる、『源氏物語』着想の場面は、それほど感動しなかったけど」

N子「『蜻蛉日記』に始まり、『枕草子』『源氏物語』『和泉式部日記』『栄華物語』そして極めつけは最終回の『更科日記』と、まさに平安女流文学オンパレードでした。平安以降、中世、戦国、江戸と女流作家はついに明治まで現れなかったのだから、考えてみればこれは特異というか素晴しい時代。その時代の空気や流れを製作陣がリスペクトしてくれたんだなぁ、ということがひしひと伝わり、このリスペクト感が伝わる度に、とても嬉しかった」

M男「最終回で、『この続きはまた明日』ときたときは、アラビアンナイトの千夜一夜までオマージュしてるのかも、と驚いた。そうか、まひろは、シェヘラザートだったんだって」

N子「物語が持つパワー。物語がこそが人の心を動かす。というのが、今回の大きなテーマだったと思うの。日本の古典って、本歌取りがそうであるように、過去の物語をベースに、それを換骨奪胎して新たな物語が生まれ、その物語が、また新たな物語を生んでいくという、連綿と続く大きな流れ。そう考えると、今回の『光る君へ』も、『源氏物語』をベースにしながら、令和の世の中に、大石さんが新たに紡いだ物語といえるのではないかしら」

M男「なんだかとても壮大な話だけど、確かにそうかもしれない。そして時々出てくる漢詩や和歌も、これまたよく考えられていたんでしょ? 僕は読めないからとんと分からなかったけど」

N子「テレビ放映と同時に、Xを走らせながら見ていると、漢詩が和歌が画面に登場するや否や、『あれは白居易の何々』『これはこう読む』とアップしてくる人が何人もいるのよ。その人たちが内容も説明してくれて、それがまたとってもその場面とリンクしていて、素晴しいの」

M男「すごいね。そうった古典オタクにも刺さっていたんだね。僕自身も、まひろがサラサラと筆で書いている場面になると、ああ、あれを読むことができたらと何度思ったことか」

N子「今回のドラマを機に、書道を始めた人も多いみたいよ」

イチオシは、石山寺で一夜をともにした翌朝のシーン。まひろの足の親指に注目

M男「さて、振り返りのお決まりですが、N子さんイチオシの場面は?」

N子「石山寺でのまひろと道長の逢瀬かな」

M男「キラキラの銀粉とともに道長が現れた時ね」

N子「そこじゃなくて、一夜を過ごした後の二人の場面。褥(しとね)に二人が身を横たえている時、まひろの足が道長の足に絡んでいるだけでなく、まひろの足の親指が道長の足を押さえるようにしてるのよ。録画して見直している時に気づいてびっくりした」

M男「そこかい!!」

N子「逢いたくてしかたなかった二人が、偶然とはいえ何年ぶりかに逢い、一夜を共にすることができた。その悦びと濃密な一夜を過ごした感じを、あの足が物語っていたわ。演出として演技指導が入ってたかもしれないけれど、もし、吉高さんが自らそうしてたとしたら、凄い」

M男「すみません。まったく気づきませんでした。M男は、どんな時も烏帽子は取らないんだなぁと、ただぼおっと見てただけ」

N子「M男さんの一推しは?」

M男「宇治で病に伏している道長をまひろが見舞い、二人で川べりに出て『私も一緒に参ります。この川で二人流されてみません?』とか『俺より先に死ぬな』とか、メチャメチャ濃くて危い会話を交わしてた場面もよかったけれど、意外にずしりと響いたのが、刀伊の入寇に巻き込まれる前夜の船宿の場面。『今はもう何を書く気力もない。私はもう終わってしまったの』と、周明にまひろが吐露するところ。書くという行為の根源が語られているようで、それは長年第一線で魂をすり減らしながら書き続けてきた大石さんだからこそ導き出すことができる言葉。そして今回の大切なテーマである『物語』を紡ぐということにもつながるようで、感動したなぁ」

N子「『竹取物語』へのオマージュも時々出てたわ。『源氏物語』は、たしかに紫式部個人の抜きんでた才能によるところが多いけれど、その一方で『竹取物語』や『蜻蛉日記』にはじまる物語の系譜のひとつでもあり、それをきちんと視野に入れているところも、本当に素晴らしかった」

柄本佑さんの顔芸、そして秋山竜次さんのキャスティングの妙

M男「役者さんたちも素晴しかったなぁ」

N子「なんといっても柄本佑さん。前半のおっとりとした三男坊から、中盤のブラックぶり、そしてまひろがいないとオロオロしてしまう後半と、見事だったわ。とくに、顔芸だけでまひろに対する想いを表現していた後半の演技が凄い」

M男「僕はやはり吉高さんかな。後半になるとセリフではなく、目の表情だけで演技しているシーンが多く、それがとても上手かった。最初のころは、吉岡里帆さんがまひろになればよかった、なんて言ってたけど前言撤回です」

N子「伊周の三浦翔平さんも凄かったわ。秋山竜次さんも際立ってた。なんと言っても秋山さんを実資にキャスティングしたその思いつきが素晴しい。黒木華さんも堂々とした北の方っぷりで素敵でした。ちょっと怖いところも最高。架空のキャラだけど、最後まで登場してくれた乙丸の矢部さんも、いとの信川さんも、とてもいい味を出してくれてた」

M男「確かに、ほっこりしててよかった。でも、架空キャラという点で、あえて難を言わせていただくと、前半の直秀、越前とまさかの大宰府での周明、そして最後の双寿丸と、架空の3人がストーリーにおいてかなり重要な役目を果たしている、というところがいかがなものか、と思わなくもない」

N子「実在の人物を配した内裏だけの物語だと、ドラマが大きく動いていかないから、ゲームチェンジャーとしてパワーのあるキャラが必要だったのだと思うわ。それに3人ともイケメンだから、女子的にはOKよ」

 

大石静さん、演出をはじめとする製作スタッフの方々、一年間素晴しいドラマを本当にありがとうございました

M男「『光る君へ』関連の検索をしょっちゅうしてたからか、関連するブログや配信記事が勝手にアップされるようになり、いろいろな人が、いろんなことを言ってるのだなと、それを読むのも楽しみだった」

N子「大河関連の記事やブログは、毎年それなりにあがってくるけど、SNSも含めて今回ほどいろいろな方面からさまざまなコメントが頻発したのは、初めてかも。話題になった最終回の場面でも、じつはあの時はすでにまひろと乙丸は死んでいて、亡霊だったと言っている人もいるのよ。何故なら馬を返して戻ってきた武者は双寿丸だけで、二人と関わりのあった双寿丸にだけ、亡霊の二人が見えていた、ということを物語っているんだって。賢子に紫式部集となる和歌を渡している時も、あれはまひろの亡霊だったという説も」

M男「まさか。『シックスセンス』じゃあるまいし。でも、初回の安部晴明のセリフと最後のまひろのセリフが呼応してるとか、最終回での乙丸は、「姫様」と呼ぶようになったとか、ここが回収された、あそこのシーンは実はこんな意味と、数多くの人が、いろいろな受け止め方をして楽しんでいるのは事実」

N子「それを全部、大石さんをはじめとする製作陣が計算ずくでやっていたとしたら、すごいわ」

M男「最後といえば、百人一首にある紫式部の『めぐり逢いて……』の和歌が、ここで登場するのかと驚いた。今までは、亡き友人に宛てた歌と解釈されていたけれど、あの場で登場すると、その友人って道長のことじゃんということになり、歌の意味がメチャ深くなってくる。そこに被せるように賢子が『お母さまにも友達がいらしたのね』って、あっけらかんと言う。思わず『おいおいその友達とは、おまえの父ちゃんのことだよ』と、突っ込みたくなったりして。この場面ひとつにしても、いろいろな解釈の余地があり、それがとても面白い。オーㇷ゚ニングの音楽のバックに登場する手と手は、じつは最終回で布団から出ていた道長の手と、それを握ったまひろの手だったとかね」

N子「音楽もよかった。音楽だけでなく、豪華だったセットや装束のこと、五節の舞や曲水の宴の再現の素晴らしかったことなど、語りたいことは山のようにあるけど、このあたりでやめとくわ。ロスが募るだけだから」

M男「このロスから脱するには、今度の大河に早くはまることが、最上の手段かも」

N子「そうね。文学オタクとしては、江戸の戯作者がどう扱われるかが、とても楽しみ。でも、最後に声を大にして言いたいわ。大石静さん、演出をはじめとする製作スタッフの方々、一年間素晴しいドラマを本当にありがとうございました」

「光る君へ」言いたい放題レヴューとは……

Premium Japan編集部内に文学を愛する者が結成した「Premium Japan文学部」(大げさ)。文学好きにとっては、2024年度の大河ドラマ「光る君へ」はああだこうだ言い合う、恰好の機会となりました。今後も編集部有志が自由にレヴューいたします。編集S氏と編集Nが、史実とドラマの違い、伏線の深読みなどをレビューいたしました!

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