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かつて銀座の街には、140の丸窓があった。中銀カプセルタワービル窓考

  • 2024.12.28
東京〈中銀カプセルタワービル〉内観

一室の床面積は、わずか10m2。1972年に故・黒川紀章が設計した中銀(なかぎん)カプセルタワービルは、世界初の実用化したカプセル型の集合住宅。取り替えを想定して計画されたカプセルが取り付けられ、セカンドハウスやオフィスとして利用された。

東京〈中銀カプセルタワービル〉外観
かつて銀座8丁目に立っていた中銀カプセルタワービル(写真中央)。

首都高で車を走らせると誰もが目を引かれたのが、東西南北に不規則に向く140の丸窓。なぜ丸い窓になったのか。当時、黒川紀章と設計を担当していた阿部暢夫(のぶお)さんはこう話す。

「丸い窓になったのは必然です。丸は四角に比べて本体に構造的なストレスを与えず耐久性が高まります。だから船や飛行機の窓は丸くなっているのです」。高度経済成長期には、未来を夢見て宇宙船を彷彿とさせる丸い窓が流行。この中銀も未来の都市生活の姿を提案するデザインになっていた。

一方、住人たちの窓の使い方も面白い。この一見風変わりなビルには、連日多くの人が訪れ、外から窓を見上げた。老朽化が進み解体がささやかれていた頃、ビルの存続を願ったある住人が立ち上がる。丸窓に「#save Nakagin(中銀を救って)」の文字を掲げ、窓を外から見ている人へ発信。気づけば丸窓は、メディアとしての機能も持っていたのだ。

内から見た丸窓

東京〈中銀カプセルタワービル〉内観
首都高や銀座の風景が望める丸窓の使い方は、住人によってさまざま。photo/『中銀カプセルスタイル』(草思社)より
東京〈中銀カプセルタワービル〉内観
奥行きのあるソファを窓にはめ込んだ特等席を作ったり。photo/『中銀カプセルスタイル』(草思社)より
東京〈中銀カプセルタワービル〉内観
自分の好きなシールで窓を埋め尽くしたり。photo/『中銀カプセルスタイル』(草思社)より
東京〈中銀カプセルタワービル〉内観
和室にリノベーションをして丸窓を茶室のように生かす人も。photo/『中銀カプセルスタイル』(草思社)より

そして2022年、多くのファンに惜しまれつつも解体。現在、残されたカプセルは修復を経て、サンフランシスコや香港をはじめ、国内外の美術館やギャラリーに展示されることが決定し、第二の人生を歩み始めた。かつては銀座の街を捉えていた丸窓は、今世界各地から外を眺めている。未来を夢見た黒川紀章は、こんな未来が待っていたことを想像していただろうか。

今も出会える丸窓

東京〈中銀カプセルタワービル〉内観
解体前に見ることができず悔やんでいる人に朗報だ。救出されたカプセルは国内外での展示が発表されている。2023年は東銀座にアートスペース〈SHUTL〉が誕生。2025年には宿泊施設〈カプセルヴィレッジ〉も完成予定。photo/archipicture Kota Toyama
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