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ありふれた名字を特別な名前にしてくれた、もう1人の田中へ

  • 2024.12.28

日本で4番目に多い名字である田中。
生まれた時に私の名字となった『田中』は、ただの平凡な名前ではなく、ある出会いをきっかけに、かけがえのない特別な名前に変わる。

日本でありふれたこの名字『田中』は、私の住む都道府県では最も多い名字であるらしく、学生時代は同じクラスに田中が複数人いることが定番だった。
学年にも複数の田中がいることで、誰かが体操服や印鑑を忘れた際に貸し合える田中コミュニティも存在した。

そして高校2年の年にも、クラスにはもう1人の田中がいた。
彼女は始業式の日、出席番号順に座席が指定された教室で、私のひとつ後ろの席にいた。偶然にも同じ名字で、同じクラスの前後の席同士になった私たちは、親友と呼べる仲になった。

◎ ◎

何故か2人とも仲良くなったきっかけや経緯を全く覚えていないのだが、クラスメイトの一員として接するうちに、どういうわけかとにかく親友となったようだ。
後に知って笑い話になったのだが、同じクラスになった当初の互いの印象は信じられないほど悪く、仲良くなれるとは想像もしていなかったらしい。

学校行事や体育の授業に真剣に取り組む田中と、自由に見学だけしていたい田中。
弟のいる長女である田中と、3姉妹の末っ子である田中。
だけど2人とも、興味のあること以外には省エネ気質で気ままな性格をしている。

似ていないようで似ている。お互い常に一緒というわけではないが、2人でいるのがしっくりくる。そんな2人だった。
翌年も同じクラスになり、同級生や先生たちからは『ダブル田中』と呼ばれることもあった。

◎ ◎

卒業後は別々の大学へ進学して、私は隣の県で1人暮らしを始めた。
距離は離れたが、自然といつも連絡を取り合っていて、最も近い存在だった。
日常の些細な出来事も共有しあって、一緒に笑って、一緒に怒って、一緒に悲しんで、一緒に乗り越えてきた。

私たちは運命共同体なのかもしれないと話すほど、進学や就職で離れた場所にいても、2人は偶然同じ行動をしていたり、似た状況に陥ったりすることが多かった。
新卒で入った業界も偶然同じで、辛い日々も支え合った。
恋人との関係性に悩むタイミングも内容も、何故か似ていた。
どうしようもなく消えてしまいたくなったとき、泣きながら電話で話したこともある。
彼女がいなければ、今の私は存在しないかもしれない。
出会ってから10年以上経った今でも変わらず、互いに1番の理解者かつ味方であり、唯一無二の存在である。
そんな私たちが田中であることは、2人の友情の象徴のようにも感じる。

◎ ◎

20代半ばの頃、両親が離婚した。元から性格の不一致が明らかだったため特に驚かなかったが、心配したのは名字が田中でなくなってしまうことだった。
幸いにも、名字を母親の旧姓に変更する必要はないらしく、そのまま田中でいられることになりほっとした。

親友との会話でも、将来もしどちらかが結婚をしたら、田中同士ではなくなってしまうことが話題に出たことがある。彼女の姉は、偶然にも田中同士で結婚をしたため名字が変わらなかったらしい。2人でまさに理想だと語った。
私たちは田中という名字であることを特別だと感じているのだ。

この先、私たち2人の名字が田中でなくなるときが来たとしても、少し寂しい気はするが、田中という名字が繋いでくれた私たちの結び付きは、生涯消えることはないだろう。

◎ ◎

もし私の名字が田中でなかったとしたら、親友の彼女とは仲良くなっていなかったのかもしれない。
偶然にもこの名字を持つことができて、同じ名字の彼女と出会うことができて、本当によかったと思う。

最後に、親友である同じクラスだったもう1人の田中へ。
ありふれた田中という名字を、私にとって特別な名前にしてくれてありがとう。

■田中奈菜のプロフィール
オムライスが好きです。

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