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『M-1グランプリ2024』エモーショナルの傾向について/テレビお久しぶり#132

  • 2024.12.27
「テレビお久しぶり」 (C)犬のかがやき
「テレビお久しぶり」 (C)犬のかがやき

見るのも見られるのも嗅ぐのも嗅がれるのも全部イヤ『サーヤ×くるま みんなテレビ』/テレビお久しぶり#131

長らくテレビを見ていなかったライター・城戸さんが、TVerで見た番組を独特な視点で語る連載です。今回は『M-1グランプリ2024』(ABCテレビ)をチョイス。

エモーショナルの傾向について『M-1グランプリ2024』

M-1面白かったですね。TVerがリアルタイムで配信をしてくれたおかげで、今年は家で見ることができました。ここで暴露しますが、私はテレビを持っていません。すべてTVerで見ています。テレビを持たずして、テレビについての連載を書かせていただいているのです。ネットでテレビを見るのが当たり前の時代、もはや、インターネットとテレビ、と分けて考える必要すらなくなってきたのかもしれません。

さて、熱狂冷めやらぬといったこの時期に、M-1で披露された10組の漫才すべての感想文を書こうと思いもしたのだが、無知を晒すのも恥ずかしいんで、今日は、現代のお笑いを見る中で、なんとなく感じていた傾向について話をしてみたいと思う。賞レースを見るたびに思っていたことなのだが、ここで、改めてよく考えてみることにしよう。現代のお笑いには、エモーショナルの傾向、というものがあるように感じている。

今回で言えば、令和ロマンの最終決戦、ケムリが江戸時代にタイムスリップをしてしまうという漫才。これは、いわゆるコント漫才だから、一本の物語がある。その物語のクライマックスとして、ケムリが、自身の身体がなぜか堅いことを活かし、敵を蹴散らすという場面がある。これは、エモーショナルだ。ハッキリと、エモーショナルな、クライマックスである。映画で見ていたら、思わず感動して身を乗り出してしまうような、アツい展開だ。しかし、「アツい」とは……?

「アツい」から「笑う」というのは、どうもおかしい。アツいものを見て、普通は笑わない。でも、事実として笑いが起きている。なぜ笑いが起きるのか、考えてみたい。

ひとつメタの層が挟まることで、笑いが起きているというのはあるだろう。つまり、「芸人がアツいことをやっている」という、景色をひとつ外側から見ることで生まれる笑いなのではないかと。説明が難しいのだけど、フィクションの壁がひとつあるか、無いか、という指針があって……たとえば、キングオブコント2021にて空気階段の披露した「火事」というコントは、フィクションの中でギャップが生まれている。SMクラブで、両手を縛られパンツ一丁で救助活動にあたるふたりの消防士の物語だが、ボケらしいボケを繰り出すのではなく、”SMクラブでパンツ一丁で両手を縛られた状態で”アツいことをやり続けていく。つまり、アツさがバカバカしさとのギャップとして、”物語の中で”機能しているコントだ。

対して、令和ロマンの漫才は、少なくとも物語上では、ギャップが機能していない。物語は、純然たる物語としてそこにあり、ギャップがあるとすれば、それは、「ケムリが無双している」という、メタ視点でのものだ。さらに言えば、「ふざけるべき芸人がアツいことをやっている」という視点もあるだろう。しかし、これは、端的に漫才とコントの性質の違いであると済ませて差支えないように思える。ツッコミであるケムリは、くるまの引っ張る漫才内コントに身を任せてはいつつも、ツッコミを繰り出すたびに「現世のケムリ」に戻る。これによって、見ている側も一瞬、物語から引き離される。そしてまたくるまが喋り始めて、物語へ戻る……という繰り返しの中で、今いる場所が曖昧になっていく、心地のよい混乱がある。これが、漫才とコントの違いであって、演者を演者として認識するのが鑑賞態度として自然であるからこそ、メタ的な視点が生まれる、ということなのだろう。そもそも漫才そのものが極端にメタな芸なのだから、私はずっと、当たり前のことを書いていたのである。

つまり、エモーショナルそのものに笑いが起きているわけではなく、あらゆる要素に裏打ちされ、結果として笑いが起きているということなのだろう。エモーショナルなのだから、拍手が起こるのも当然だろう。

エモーショナルの傾向の存在を確信させたジャルジャルのコント

このエモーショナルの傾向は、近年のお笑い賞レースで顕著に現れている。例を挙げればキリがなくて、M-1で言えば2022年、ロングコートダディのマラソンのネタが分かりやすい。エモーショナルの傾向がはっきり現れている。私が最も傾向を感じたのはキングオブコント2020のジャルジャルだ。彼らは優勝することになるのだが、最終決戦のコントは「空き巣するのにタンバリン持ってきた奴」だった。タイトルそのままのコントだが、クライマックス、不器用にタンバリンで音を立てまくってしまう福徳を見捨てて逃げた後藤が、すぐに戻ってきて福徳を抱きしめるという展開がある。「お前置いて逃げるわけないやろ」。キングオブコントの前にYouTubeチャンネルで披露されたバージョンにこのくだりは無かったことを考えると、ジャルジャルがエモーショナルに寄せに行ったのがうかがい知れ、私に傾向の存在を確信させたのだ。

どうしてその傾向が生まれたのか……というようなところまでは分からない。本当はそんなもの無いのかもしれないし、最初からあったのかもしれない。私はお笑いに関しては無知であるから、まったく的外れなことを言っている可能性も大いにある。あくまで個人的な感覚ということでここはひとつ……ちなみに私はママタルトが最下位というのにあまり納得がいってません。

■文/城戸

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