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自分の向ける視線で誰かを傷つける加害者とならないために

  • 2024.12.27

遠くに人を見るとき、その人が、満員電車でおばあちゃんに席を譲るかスルーするか、どうか。
その人が、天気の良い日に木々から漏れる光を美しいと感じて、ポケットからカメラを取り出すか、どうか。
その人が、急がなきゃいけない時でも、ついトイレットペーパーを几帳面に三角に折り畳むか、どうか。

なんて関係がない。
どうでもいい。

こればっかりは、輪郭が生み出す造形が美しいか美しくないか、で、まず決まる。
「決まる」というのは、その後、その人がどんな人生を歩むか、どうか。
大袈裟に言っているようでそうでもない。

◎ ◎

私の友人は中学校の卒業式当日、目の上をピッと割いて、スッと線を増やした。
すると、その子を取り巻く環境や人は魔法にかけられたように、目を輝かせて集った。
また、別の友人に、「韓国に脂肪吸引の手術と、鼻を高くする手術をしに行こうと思う」と、ふと打ち明けられたこともある。
私は整形に対し否定も肯定もないが、骨を切る大きな手術になるようなので、もう少し考えたら?と伝えてみようと、ドキマギしながら「もう少し……」まで言いかけると、「醜いものを見るような目で見られたことないでしょう」と、これまで容姿のせいでどんな仕打ちを受けてきたかを、目をまあるく見開き、鼻をふがふがさせ話された。

醜いものに向ける視線。
その目をつくっている本人はおよそ意識はしていないと思う。
それでもしてしまうというのは、つまり無意識のあぶれのようなもの。
熱いものに触れて、アツッと指を引っ込める反射作用のようなものだろう。

◎ ◎

最近では、黄金比率で成り立った誰が見ても美人だという顔以外に、バブみ系、エキゾチック系、アンニュイ系、というジャンルも流行っている気がする。
「流行」というと商品のような扱いだが、ここまで造形をいじれる技術が進み、比較市場が進むと、顔も立派なマーケティング道具の色がますます濃くなっている気がして仕方がない。
じゃあ、自分の向ける視線のせいで、その人の人生を変えてしまうような、悲しませてしまうような、加害者にならずに済む方法はないだろうか。

人はそれぞれに「好み」という超個人的な独断とDNAレベルで、表面から一歩踏み込んだ先に、合うものと合わないものが存在する。
大人になると学生時代とは異なり一緒に過ごす人間は選べるのだから、目をつぶらずにいられる相手とだけいればいい。

◎ ◎

仕事で人と関わるしそんなの無理。
いや、もうそれは目線の動かし方を教育や研修に組み込むに一票である。
アイコンタクトができてしまう私たちの窪みの語り部としてのポテンシャルは丁重に扱うべきだから。

人間関係、目線の操りだって立派な仕事。そう割り切れずに目情(目線の事情)を挟んでくるのは、よくない。
そう言っている私も、自分の向ける視線の先のその先に、どんな不具合が生じるのか、責任をもって動かしていかねばと思う。

■美味水琴のプロフィール
空気が美味しい場所が好きです。

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