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【韓ドラになった歴史人】『七日の王妃』の燕山君はなぜ最悪の暴君と呼ばれたのか

  • 2024.12.25

朝鮮王朝第10代王・燕山君(ヨンサングン)は、『王と妃』でアン・ジェモ、『インス大妃』でチン・テヒョン、『逆賊-民の英雄ホン・ギルドン-』でキム・ジソク、『七日の王妃』でイ・ドンゴンが演じた国王だ。

9代王・成宗(ソンジョン)の長男として1476年に生まれた燕山君の人生は波乱に満ちたもので、最終的には「朝鮮王朝最悪の暴君」としてその名を刻むことになる。

幼少期のころに、母である斉献(チェホン)王后が父・成宗とのトラブルによって死罪となり、母親の愛情を知らずに育った燕山君。この影響で性格はわがままで攻撃的となり、1494年に国王として即位した後には、数々の暴政を行なっている。

そんな燕山君の幼少期からの性格を示す逸話がいくつか残っている。

1つ目は、成宗が可愛がっていた鹿に手の甲や衣服を舐められたことに腹を立てて蹴り飛ばし、即位後にはその鹿を殺害したという話だ。

2つ目は、帝王学を学んでいた燕山君は、自分を厳しく指導した教育係に恨みを抱き、即位直後にその側近を処刑した話である。

『七日の王妃』の燕山君
『七日の王妃』ではイ・ドンゴンが扮した燕山君(Licensed by KBS Media Ltd. © 2017 KBS. All rights reserved ドラマ『七日の王妃』より。DVD好評リリース中・U-NEXTにて見放題配信中)
暴君として行なった悪行

国王としての燕山君はさらに酷く、学問の場である成均館(ソンギュングァン)を酒宴の場に変え、日々の放蕩生活に明け暮れていた。その一方で、彼は士林派官僚への弾圧や母の死に対する報復など、残虐な事件を引き起こしている。

1498年には「戊午士禍(ムオサファ)」と呼ばれる事件で士林派官僚たちを処刑し、1504年には「甲子士禍(カプチャサファ)」で母の死に関わった者や反対勢力を容赦なく処罰した。この際には墓を掘り返し、遺体の首をはねるなど、残虐な行為が行っている。

さらに庶民に対しても暴君ぶりを発揮した燕山君。暴政に耐えかねた民が国王を批判する文を掲げたのを知った燕山君は、庶民がハングルの使用を禁止した。

また、王族や近しい人々に対しても過酷な行為を行い、伯母を辱めて自害させてしまう。そのことで燕山君に強い憎しみを抱いた高官の朴元宗(パク・ウォンジョン)は、燕山君に批判的な態度を取り、左遷させられた成希顔(ソン・ヒアン)や人望の厚かった柳順汀(ユ・スンジョン)と共にクーデターを計画した。

1506年にクーデターが実行され、燕山君は側近や兵士たちに完全に見放されて廃位となった。

その後、江華島(カンファド)に流罪となり、わずか2カ月後に世を去った燕山君。その死因については病死説と毒殺説がある。

彼の暴政によって多くの人々が犠牲となり、燕山君と一緒に放蕩三昧をした「朝鮮王朝三大悪女」の1人として有名な張緑水(チャン・ノクス)は斬首に処された。

朝鮮王朝27人の王の中で最悪と評されている燕山君。彼の名は、今なお歴史の中で「暴君」として語り継がれている。

【燕山君の人物データ】

生没年
1476年~1506年

主な登場作品()内は演じている俳優
『王と妃』(アン・ジェモ)
『宮廷女官チャングムの誓い』(チョン・ギソン)
『インス大妃』(チン・テヒョン)
『逆賊-民の英雄ホン・ギルドン-』(キム・ジソク)
『七日の王妃』(イ・ドンゴン)

文=大地 康

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