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「3人の銀なら、4人で銅の方がむしろ個人的に嬉しかった」 初老ジャパンメンバー4人がイベントに登場!

  • 2024.12.24

こんにちは。ニッポン放送アナウンサー内田雄基です。

「2024ユーキャン新語・流行語大賞」TOP10入りを果たした総合馬術団体『初老ジャパン』。今年の夏に、パリオリンピックで日本勢92年ぶりの銅メダルを獲得後、一気に知名度が上がり誰もが知る所になりました。

私は、パリオリンピックの前までは、「総合馬術」という名前は聞いたことがあるものの、どのような競技なのか詳しく知りませんでしたが、競技時やメダル獲得後のウイニングランの映像、メディアに登場する初老ジャパンの皆さんのエピソードを聴いて「総合馬術」に興味が湧いてきました。

その中で、幸運なことに初老ジャパンの皆さんが集まるイベント「クリスマスだヨ!初老ジャパン全員集合 Presented by ENEOS」が、12月21日(土)に開催されると聞きつけ、取材に伺いました。

入場する初老ジャパン
入場する初老ジャパン 左から、北島選手、大岩選手、田中選手、戸本選手

会場のJRA馬事公苑(東京都世田谷区)のインドアアリーナに、初老ジャパンメンバーの大岩義明選手、北島隆三選手、田中利幸選手、戸本一真選手の4人がクリスマスらしくサンタ帽を被り登場すると、会場に集まった数百人のファンから大きな拍手が送られました。

トークショーではチーム最年長の大岩選手が「ヨーロッパに渡り長い年月、努力をしてきたことをそれぞれが分かっていた。オリンピックには3人しか出られない。(北島選手の馬が、場体検査をクリアできずに田中選手に交代となり)最終的に4人がメダルを取れたのは最高の結果だった。3人の銀なら、4人で銅の方がむしろ個人的に嬉しかったと思う」と、メダル獲得時の心境を答えました。

トークショーの様子 左から司会者、大岩選手、田中選手、北島選手、戸本選手
トークショーの様子 左から司会者、大岩選手、田中選手、北島選手、戸本選手

一方、北島選手は、お世話になってきた様々な人にメダルを触ってもらったといい結果的に「一週間もしないうちにはげてきた。10円玉みたいな色になってきている。」と、メダルの色が変わってきていることを明かし、集まったファンの笑いを誘っていました。

また、田中選手は「初心者の方からも声をかけてもらうようになった。」北島選手は「サインを求められることが増えて、サインが上手くなった。」と“オリンピアン”から“メダリスト”に変わったことで、周囲からの反応が変わったことも明かしていました。

午後には数百人のファンに見守られる中、総合馬術3種目のデモンストレーションを初老ジャパンメンバーが実演。4人が順番にデモンストレーションを行うと度々大きな歓声や拍手が送られました。

大岩選手障害飛越競技デモンストレーション/北島選手クロスカントリーデモンストレーション
大岩選手障害飛越競技デモンストレーション/北島選手クロスカントリーデモンストレーション

デモンストレーションの中では、試合で見せる技を披露し、その時に騎手はどのような指示を与えているのか、どこが難しく見どころなのかを、初老ジャパンの監督・コーチと騎乗していない選手が解説します。

障害を飛び越えたり、くるくると馬がその場で回ったり、という指示もありますが、馬の歩くリズムの拍を変えたりことも騎乗しながら指示をしているそうで、「そこまで細かい指示を出しているの!?」と驚きました。正に「人馬一体」の演技を生で観ることが出来ました。

イベントの最後には、馬場の柵沿いに集まったファンの前を馬と共に練り歩き、声援に応えていました。

イベント後、田中選手は「初めは人が本当に集まるのかと思ったが、沢山の人に集まってもらった」とコメント。戸本選手は「(馬術は)日本ではまだまだマイナースポーツなので。初めて見て迫力があったとか、馬がかわいいという声も聞こえた。まずは馬を好きになってもらえれば。」と振り返りました。

囲み取材
囲み取材の様子

一日取材をしていて、感じたのは初老ジャパンの周囲への“気遣い”でした。トークショーでは、普段から周りの人に助けられているという感謝を口にし、トークショー用の椅子を自ら持って移動したり、質問に答える際にはお互いに質問を投げかけたり、難しい専門用語が出たときの初心者へ向けたフォローも欠かしません。こうした気遣いや謙虚な姿勢を観て、このイベントを通じてより初老ジャパンを応援したくなった人は私だけではないはずです。

そして、次の目標について、愛知県・名古屋市出身の大岩選手は「2年後の愛知・名古屋アジア大会で、馬術界として金メダルを取る。4年後のオリンピックで戦う準備も始めたい。」と貪欲に上を目指すことを誓いました。

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