1. トップ
  2. 恋愛
  3. 名字が同じじゃなきゃ、世代を超えて守りたいものは受け継げないの?

名字が同じじゃなきゃ、世代を超えて守りたいものは受け継げないの?

  • 2024.12.23

結婚する前のわたしの名字は画数がとても多くて、学生のときからずっと、林さんとか田中さんとか、テストのときにするする書ける名字のひとがほんとうに羨ましかった。

習字のときだって、手先が不器用なせいで小筆で書くとすぐ潰れて真っ黒になった。だから、自分の名字について思うことといえば、スピード感が求められる場面でしゅしゅしゅ、とスムーズに書けない、ちょっと不利な記号ぐらいにしか思っていなかった。

◎ ◎

ついでにいうと、交換日記に書くなまえは、いつも好きなアイドルの名字と自分の下のなまえだった(ほら、電車のなかでこの文章読んでるそこの平成女子。ウワ〜、いたすぎぃ〜とか心のなかで言わない。どうせ嵐でしょ〜。こじらせてんじゃ〜ん、も受け付けません。当時わたし小5だったし。ゆるして?みんなもそういう時期、あるでしょ?ね?)。

だし、それは単純に、すきなひとの名字になるのってなんかいいな、という感覚からくるものだった気がするから。いっしょにいて楽しくて(アイドルに関しては一方通行の恋だけど)、これからもいっしょにいれたらいいよね!わ!このミサンガみてよ、ちょーかわいい!!ねえ、おそろいにしよ、みたいな。そういうノリで。

◎ ◎

だけど、そういう学生のころの『おそろい』ってあれほど永久不滅の友情の証に思えたのに、時間が経てば(しかも半年とか、なんなら亀裂が入る出来事があれば3ヶ月も経たないうちにめっためたに)修復ができなくなっていることがあったような気がする。そういう人間関係のひりついた傷跡に塩を塗らないようにと、気をつけるようになった中学生のころには、名字というものにいろんな感情を抱くひとがいるんだな、ということくらいは分かるようになっていた気がする。

事情があってころころ名字が変わるひともいる。そもそも名字どころか自分のなまえが嫌いなひともいる。そして、一度変わったり、付けられたりしたなまえというものは、めちゃくちゃ簡単に戻したり変えたりできるものじゃない。

それは、なまえが自分自身を証明するものだから。わたしは、こういうものです。と公的に表さなければならない場面でとっても重要な要素のひとつだから。

◎ ◎

ーーうん。わかる。とっても、わかる。けど、めんどくせー!と思った。すきなときに、すきなようにいれたらいいじゃん。

あのころ、自分が心動かされた、すきな歌詞を、しびれちゃうくらい素敵な甘い声で歌うあのひとと、同じ名字になれたら、わたしの人生の幸せ要素いっこ増えるナァ、良き良き!くらいの感覚で、みんないれたらいいのに。

◎ ◎

そもそも家族のつながりだって、なまえの一部が一緒じゃなきゃだめなわけ?名字が同じじゃなきゃ、世代を超えて守りたい伝統的なものとか、そういうのって受け継がれていかないわけ?それってちょっぴり窮屈じゃない?なんて、名字に関するニュースを見るたびに、今、思う。

そのひとが自分らしいと思えるもの。これからの人生もずっと愛していけると思うもの。そう感じるなまえを、みんながひとりひとり与えられて、ちゃんとした心理的な理由を持って選びとれる。そういう社会になっていくためには、まだまだきっと時間がかかるだろうし、法律に縛られる部分もいっぱいあるだろうけど、変更が効かない部分は、せめて漢字じゃなくて、ひらがなに。それぐらいの柔軟さが、これからの世の中に希望としてあったっていいんじゃないかって、思う。

だって、みんな、あなたのなまえをはじめて知って、それを声に出して呼ぶとき、柔らかくてあたたかい、ひらがながぽわぽわと浮かんでいるんだからさ。

■糸野麦のプロフィール
焼き鳥はひざ軟骨に限る。monogatary.comさんで、物語書いてます。(https://x.com/mugi_itono?t=pskabmB7DTTzOvagy3pVnw&s=09)

元記事で読む
の記事をもっとみる