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無難な名字から感じるのは、ご先祖様の土地を守った祖母とのつながり

  • 2024.12.22

特別多いわけでも少ないわけでも、難読でもない私の名字。これといって不便を感じないからこそ名字そのものについては特に何も思わない。難読で「何と読むのですか?」と言われる人や、複数の読み方があり読み間違えられる人、鈴木や佐藤など該当者が多過ぎで同姓同名が出てくる人など名字に苦労をする者を何人も見てきた中で、無難な名字を持つ私のポジションは、何の害も受けない人。失礼だが、名字に苦労する人を見て、大変だなぁと、どこか他人事な自分がいる。

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そんな私が名字について意識するのは、お墓参りの時だ。私の父方の先祖は武士の家系で育った士族で、祖父母もそうした者同士の結婚だった。私と父は運動が大の苦手で、武士だったご先祖様は苦労しなかっただろうかと時々心配になってしまう。そんな父の実家は長野市にあり、好きな戦国武将ランキングでは上位に来る真田幸村の兄、信之に仕えていた。

因みに父の実家は侍の屋敷の跡に建てられ、私自身も小学生の頃、散歩しながら寛永通宝を2つほど拾っている。2つめのそれを拾った小学5年生の頃からもう20年以上もの年月が経ち、愛用する財布も4度替わったが、一度も手放すことなくずっと財布の中に入れている。金銭運に恵まれ、貧困とは無縁の生活を送ると複数の占い師に言われているが、そんな金銭運はまだ父の実家が建つ前のお侍さん世代からのお守りで、ご先祖様の残した寛永通宝を拾い、無下にせず大切に持ち歩いているからこそ持った強運なのだと思っている。

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けれども一番の誇りは、私が出会ったご先祖様との出会いだ。2017年に100歳で永眠した祖母は、その侍屋敷の跡に建てられた嫁ぎ先を、子育てをしながら、そして看護師もしながら守り抜いていた。600坪というのは女性が一人で管理するには広大な敷地で、それを育ちざかりの子どもを育てながら管理するのは如何なる苦労があっただろうかと、仕事から帰宅後は真っ先に寝てしまう自分と比較しながらつくづく感じている。話によるとその中には亀の形をした池があり、父と叔父が石や腐った柿を投げ入れる傍ら、その形が亀であることが分かるほど綺麗に整えていたという。そんな素敵な話を教えてくれたのは私が小学生だった20年も前のことだったが、私が自分の名字を手放したくないと思うほど鮮明に覚えている。

そんな素敵な場所であるが、その土地を守り抜いていた祖母の意見は意外なものだった。聞くところによるとその広大な土地の維持費は莫大で、毎年20万円ほどかかっていたという。それほど大切に守り抜いた場所だから、跡継ぎの私にもその役目を渡すかと感じていたところ、「早く土地を売って、未来のある孫達に使えば良い」とのことだった。

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その意見が実行された頃には大分祖母の身体は弱り、最後の土地を見ることなく解体されたが、知人に土地を譲ると私と妹の教育費に存分に注がれることとなった。文系ながら27まで学生を続け、教職や図書館司書といった文系学生のための資格を沢山取ることのできた私と、高額な家庭教師を付け、看護師資格を所有した妹。そんな私たちの特技は、教育を受ける上で身についたもの、文章を書くことだ。公務員と看護師という、ともに親が子どもに就いて欲しい職業ランキングでの上位を独占した姉妹であるが、その裏には尊敬する先祖から受け継いだ伝統ある貴重な土地と、孫にお金をかけてあげようという素敵な考えを持った祖母の考えが眠っている。そんな我々をつなぐもの。それは、名字だ。

生き方が多様化している今日において、子孫繁栄はもはや一つの選択肢に過ぎない。だが、それが素敵なもので、先祖から受け継いだものを絶やさず繋いでいきたいという気持ちが、いま私の心の中に眠り、今後の将来を模索している最中である。名字。それは、私が誇りに思う大切なご先祖様から受け継いだ宝物だ。

■桃色ふりるのプロフィール
2023年3月にかがみすとを定年退職し、改名。てんかんと自閉症スペクトラム障害当事者で精神障害者福祉手帳、年金2級。

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