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名字への思いはグラデーション。旧姓も新姓も、どちらも紛れもない私

  • 2024.12.22

結婚して名字が変わること。それはかつて憧れだった。
結婚を夢見ること、それはすなわち名字が変わることだった。女性が名字を変えることが当たり前だと思っていた。

◎ ◎

男性が名字を変えることが選択肢として見えてきたのはいつからだろうか。
最近では「結婚したら名字どっちにするの?」という会話も友人の間でポピュラーになった。依然として男性の名字に揃える人が圧倒的に多いが、話題として上るだけでも常識が変わってきたのだなと感じる。

3年前、私は結婚して名字が変わった。私に強い希望はなく、夫は自分が名字を変えるという選択肢が毛頭なかったようだった。話し合いというほどのこともなく、自然に現在の多数派である、夫の名字に揃えることになった。
私には、旧姓において特筆すべき実績はない。研究成果も資格もない(強いて言えば運転免許証と使われていない教員免許くらいだ)。
そんな私だからか、変えたくないとまでは思わなかった名字。しかし、いざ変わるとなると、昔抱いた憧れよりも寂しさや不安がよぎった。

私が私であることの証明がなくなる。そんな不安感がぼんやりとあったことは否定できない。

◎ ◎

免許証の名前が変わる、マイナンバーカードの名前が変わる、保険証の名前が変わる……少しずつ、元の私が更新されていなくなってしまうような気がした。

そんななか、職場では旧姓のまま働くことにした。これも強い希望というよりは、周りの先輩方もみな旧姓を名乗っていたからというのが大きな理由だ。
変わらず旧姓で呼ばれる安心感。手に馴染んだ私の名字。
今まではそんなに思い入れも強くなかったはずなのに、変わって初めて愛着がわいてきた。

職場で旧姓利用が認められているとはいえ、給与明細の宛先はもちろん新姓。職場で扱う書類の名前が揺れる。
言われたことはないが、きっと管理はややこしい。
旧姓もそのまま公的に認められたらいいのに。どちらも私なのに。
変わってしまった名字が嫌なわけではないけれど、元の名字を捨てたかったわけではないのに。

◎ ◎

夫婦別姓が認められていても、私は旧姓を選ばなかったかもしれない。
夫と家族になったことがわかりやすい、揃えた名字も嫌いじゃない。
でも、家族の絆は名字に縛られるだけのものではない。
旧姓の通称利用があればいいという論があるのなら、新姓が通称利用でもいいのではないか。

旧姓の私も、新姓の私も、紛れもなく私であることを証明したい。
どちらも使えるのがいちばんいい、と私は思う。
きっとこの気持ちは人によってグラデーションだ。
旧姓を必ず残したい人もいるだろうし、旧姓を捨てたい人もいるだろう。旧姓は捨てがたいけど変えてもいい人もいるだろうし、変えたくないけどときには新姓を名乗りたい人もいるだろう。

◎ ◎

制度を整えるのは難しいかもしれないが、そんなグラデーションの気持ちを掬ってくれるような形にならないだろうか。

誰もが自分らしさを失わない形で、名字を名乗れる時代が来ることを切に願う。

■樫和 蓮のプロフィール
音楽とドラマと本と文房具が好きな、ゆるゆるOL。
エッセイを書きたいと思いつつ、筆の重さに負ける日々。

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